哲学以前

日々の思索を綴ります

実体と日本刀

2017-05-30 11:20:38 | 日記
「実体」ということを考えるに日本刀を用いるというのも一つの事例ではある。

日本刀の材質を考えるなら「たたら製鉄」という過程・方法を等閑視することは出来ず、それは自然界の「鉄鉱石」や「砂鉄」から酸素を離し炭素と結びつける工程を意味している。

日本刀の材質とは、そうした「選別された物質」とでも呼ばれるべき玉鋼で、日本刀における「実体」とは「酸素や他の不純物から区別された玉鋼」であって「観念一般から区別された物質一般」なのでは無い。

かような「物質一般が実体である」というが如き理解では、現代の科学技術が発展している社会の理解に利用することも出来ないどころか、日常生活の事実を説明することさえ出来ない。
 
「選別された特殊な物質が選別された特殊な観念と結びついている」という、出隆も語っていたという「形相と質料との個物における結びつき」を見なければ、「弁証法は一般性のみでなく・・・」などと書いても他者から盗用してきたから自説との整合性に欠けていることを隠しようもなく。

「内的連関がない」なんてのは自分自身のことだという自覚を些かでも持ち合わせているだろうか?


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