哲学以前

日々の思索を綴ります

物語構築力

2017-03-07 15:02:06 | 日記
『精神医学の哲学』の出版記念シンポジウムで信原先生が言っていた「物語構築力」というのが心に引っかかっている。

確かに人それぞれ欲求が違うから「絶対に不可能なことをやりたい」なんてことを考える者もいて不思議ではない。私には、そうした欲求は理解できないし、ましてや相手が還暦を超えているとしたならば驚くしかない。

大抵、人間というやつは加齢とともに考えが現実的になっていくものだし、それが「現実からの反映」というやつだろう。

「絶対に不可能なこと」なんて雲を掴むような抽象的な思考ではなく、もっと具体的な考えから人間は思考するだろうし、その考えが結果として「それは無理だよね、不可能だよね」なんてことになりはするだろうけれど。

「絶対に不可能なことをやりたい」なんて、どれだけ見栄っ張りな人間かとも思うが、その相手が出している「空を飛ぶ」ということで考えてみる。

いま人間は飛行機やヘリコプターで空を飛ぶことが出来るが、それは「鳥のように自由に飛んでいる」というのではないだろう。

それは「生身の自分」ではなく「乗り物」なんだ。それって人類が大昔からやってきた「自分に出来ないことは出来るものに任せる」ということの延長線上なんだろう。

速く・早く遠くまで行って帰ってくる、なんてのは馬だとかの他の体力のある動物にやらせていたわけだし、犬ゾリだとか。その考えでいけば、空を飛ぶならば自分の筋力で羽ばたくのではなく鳥に乗ろうと考えたはずだ。

現に、シンドバッドの冒険だとかには鳥に乗って移動する話がある。

シンデレラのカボチャの馬車が空を飛ぶなんてのも乗り物だ。

それでライト兄弟の時代には、既にエンジンを積んだ自動車が陸を走っていた。ならば、空を行く自動車(乗り物)を考えたって不思議ではない。空気抵抗の存在も既に知られていたし、速くなれば速くなるほど空気抵抗=浮力が大きくなることも知られていただろう。

自分の代わりに空を飛んでくれる、という「代わってもらう」という発想ならば、死に際して「私の分まで生きて」なんて発言にもなるだろう。

まあ、飛行機やヘリコプターを自分で操縦するにも自家用操縦士の免許を取らなければならないし、航空法に則って飛ばないといけないが、自分の好きなときに自分の意志で飛ぶことが出来るというのは他者からの束縛もなく自由と呼んでよいだろう。

兎に角、ものを考えるには具体的な像を描くことが重要で、「空を行く自動車」と「パタパタ羽ばたくんじゃなくって~、四つん這いで走るんじゃなくって~、きゃい~んしはん~」とどちらが明確な像かは自明。

世界の果てまでイッテQ!!


つづく
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 形而上学と基礎論 | トップ | 歌舞伎 問いかけの文学 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。