前の記事と重複する部分もありますが、3月に入ってからのチロの様子を
ここに書き留めたいと思います。
少し長文になります。
3月2日の夜中、チロの呼吸が荒くなり30分位ウトウトしては目を覚ますを朝方まで繰り返し
5時頃やっと落ち着き眠り始めました。
しばらく寝て目を覚ました後は朝ごはんを食べました。
夜も完食はしましたが、この日から食べるスピードがぐっと落ちました。
4日と5日も、ゆっくり休み休み、朝夜完食しました。
呼吸は穏やかでしたが心臓の鼓動がいつもよりとても速かったです。
食べ方などを見ても、食べたいけれど途中で疲れてしまって、身体のすべての機能が低下している
ようなそんな感じがしました。
6日は体調が良さそうだったので「行くなら今日だ」と病院へ行きました。
レントゲン検査の結果、軽い肺水腫であることがわかりましたが「ほんの少しでまだ呼吸が苦しく
なるほどではない」とのことで、少量の利尿剤をもらってきました。
この日も朝夜完食しました。
7日は朝ごはんの途中で力尽きてしまい、ごはんの中に鼻を埋めてしまいましたが
夜は完食しました。
「食べること、排泄すること」どちらも体力が必要なのだと改めて実感しました。
8日も朝夜ほとんど残さずに食べてくれました。
9日午前、また呼吸が荒くなりました。
この時はじめての「眼振」もあり、午前の診療には間に合いそうもありませんでしたが
診ていただけるか病院に電話をしました。
電話に出た方に「時間外でも大丈夫ですが、午後から院長が手術の予定なのでしばらくお預かり
することになります」と言われ、「置いていくってことですか?」と私が聞くと「そうなります」
と言われました。
しばらく悩んだ末「お願いします」と言って電話を切りました。
間もなく折り返し院長が電話をくださいました。
院長の指示通り舌の色が紫になっていないことを確認し「眼振がある時は車に乗せると可哀想
だから少し様子を見ても大丈夫、何かあったらすぐに連絡をください」と言われ、しばらく家で
様子を見ることにしました。
呼吸が荒いことと、はじめての眼振でとても焦りましたが、その眼振も一時的なものですぐに
治まり午後からは呼吸も落ち着きずっと寝ていました。
この日も夜ごはんはだいぶ食べました。
10日も朝ごはんはほとんど食べましたが、夜は少ししか食べられませんでした。
10日のチロ。
11日は朝も夜も食べられず水分のみ。
午後からレンタルした酸素マスクをつけて過ごしましたが、この時はまだもう少し一緒に
居られると思っていました。
12日の朝、母が仕事に出かけて間もなくの10時すぎ、チロの前脚が小刻みに震え始めました。
急いで近くの父に電話をしてすぐに帰ってきてもらい、クッションをあててみたり二人であれこれ
やっているうちに、ここ最近で一番と言っていいくらい、とてもとても穏やかな呼吸になりました。
私は午前中にどうしても済ませなければならない仕事があり、チロを父に見ていてもらって
11時から20分ほど出かけました。
チロは待っていてくれました。
生前最後のチロです。
父は後ろ髪を引かれながら仕事に戻り、それからはチロと私のふたりでした。
もうお別れが近い気がしたので、私はチロから一瞬でも目を離したくなくて母に電話をする
ことができませんでした。
亡くなる直前、チロの歯がカチカチカチと3回鳴りました。
その後は、少しアゴを引きながら同時に喉の奥から「グー」っという小さい音が聞こえました。
4,5回繰り返したでしょうか、最後に大きくアゴを引いて呼吸が止まりました。
心臓を確認したらまだ動いていましたが、間もなく鼓動も感じられなくなりました。
12時12分。
私がずっと恐れていた心臓病の最期。
その前に老衰で旅立つことを願い続けてきました。
チロの最期は私が恐れていたものとは違い、とても穏やかな最期でした。
それともう一つの願い、旅立ちの時に一番近くで側にいてあげることができました。
後日病院へご挨拶に行った時も、院長が「チロ君は最期までちゃんと薬を飲んでいたから
ギリギリのところまで生きられたんですよ。少しずつすべての機能が低下したことによる
老衰です。だから本人もそんなに苦しくなかったはずですよ」と言ってくださり少し心が軽く
なりました。
ブロ友さんも「チロちゃんはほんとに、身体の機能がひとつずつ、ゆっくり、止まって
いくような理想的な老衰だったよ」と言ってくれて、私は大泣きしました。
今でもその時々の判断は正しかったのか、もっと出来ることがあったのではないかと
悲しさ半分、後悔半分で毎日涙が出ます。
でも、みなさまからの励まし、温かいお言葉のおかげで少しずつ前を向いていけそうです。
本当にありがとうございました。
チロ、ありがとう。
食いしん坊のチロらしく、亡くなる2日前まで自力でごはんを食べて偉かったぞ。
前の日の夜に、決して下痢ではないウンを少しずつ何回かに分けて全部出して
お腹を空っぽにして旅立ったね。
旅の途中で食べるお弁当、いつも食べていたお肉とヨーグルト、大好きだった干し芋
お腹いっぱい食べてくれたかな。
母さんは、最期まで立派だったチロを誇りに思うよ。
うちの仔になってくれて本当にありがとう。
ずっとずーっと大好きだよ。
長々と読んでいただきありがとうございました。
レンタルした酸素についてはまた後日書きます。
ここに書き留めたいと思います。
少し長文になります。
3月2日の夜中、チロの呼吸が荒くなり30分位ウトウトしては目を覚ますを朝方まで繰り返し
5時頃やっと落ち着き眠り始めました。
しばらく寝て目を覚ました後は朝ごはんを食べました。
夜も完食はしましたが、この日から食べるスピードがぐっと落ちました。
4日と5日も、ゆっくり休み休み、朝夜完食しました。
呼吸は穏やかでしたが心臓の鼓動がいつもよりとても速かったです。
食べ方などを見ても、食べたいけれど途中で疲れてしまって、身体のすべての機能が低下している
ようなそんな感じがしました。
6日は体調が良さそうだったので「行くなら今日だ」と病院へ行きました。
レントゲン検査の結果、軽い肺水腫であることがわかりましたが「ほんの少しでまだ呼吸が苦しく
なるほどではない」とのことで、少量の利尿剤をもらってきました。
この日も朝夜完食しました。
7日は朝ごはんの途中で力尽きてしまい、ごはんの中に鼻を埋めてしまいましたが
夜は完食しました。
「食べること、排泄すること」どちらも体力が必要なのだと改めて実感しました。
8日も朝夜ほとんど残さずに食べてくれました。
9日午前、また呼吸が荒くなりました。
この時はじめての「眼振」もあり、午前の診療には間に合いそうもありませんでしたが
診ていただけるか病院に電話をしました。
電話に出た方に「時間外でも大丈夫ですが、午後から院長が手術の予定なのでしばらくお預かり
することになります」と言われ、「置いていくってことですか?」と私が聞くと「そうなります」
と言われました。
しばらく悩んだ末「お願いします」と言って電話を切りました。
間もなく折り返し院長が電話をくださいました。
院長の指示通り舌の色が紫になっていないことを確認し「眼振がある時は車に乗せると可哀想
だから少し様子を見ても大丈夫、何かあったらすぐに連絡をください」と言われ、しばらく家で
様子を見ることにしました。
呼吸が荒いことと、はじめての眼振でとても焦りましたが、その眼振も一時的なものですぐに
治まり午後からは呼吸も落ち着きずっと寝ていました。
この日も夜ごはんはだいぶ食べました。
10日も朝ごはんはほとんど食べましたが、夜は少ししか食べられませんでした。
10日のチロ。
11日は朝も夜も食べられず水分のみ。
午後からレンタルした酸素マスクをつけて過ごしましたが、この時はまだもう少し一緒に
居られると思っていました。
12日の朝、母が仕事に出かけて間もなくの10時すぎ、チロの前脚が小刻みに震え始めました。
急いで近くの父に電話をしてすぐに帰ってきてもらい、クッションをあててみたり二人であれこれ
やっているうちに、ここ最近で一番と言っていいくらい、とてもとても穏やかな呼吸になりました。
私は午前中にどうしても済ませなければならない仕事があり、チロを父に見ていてもらって
11時から20分ほど出かけました。
チロは待っていてくれました。
生前最後のチロです。
父は後ろ髪を引かれながら仕事に戻り、それからはチロと私のふたりでした。
もうお別れが近い気がしたので、私はチロから一瞬でも目を離したくなくて母に電話をする
ことができませんでした。
亡くなる直前、チロの歯がカチカチカチと3回鳴りました。
その後は、少しアゴを引きながら同時に喉の奥から「グー」っという小さい音が聞こえました。
4,5回繰り返したでしょうか、最後に大きくアゴを引いて呼吸が止まりました。
心臓を確認したらまだ動いていましたが、間もなく鼓動も感じられなくなりました。
12時12分。
私がずっと恐れていた心臓病の最期。
その前に老衰で旅立つことを願い続けてきました。
チロの最期は私が恐れていたものとは違い、とても穏やかな最期でした。
それともう一つの願い、旅立ちの時に一番近くで側にいてあげることができました。
後日病院へご挨拶に行った時も、院長が「チロ君は最期までちゃんと薬を飲んでいたから
ギリギリのところまで生きられたんですよ。少しずつすべての機能が低下したことによる
老衰です。だから本人もそんなに苦しくなかったはずですよ」と言ってくださり少し心が軽く
なりました。
ブロ友さんも「チロちゃんはほんとに、身体の機能がひとつずつ、ゆっくり、止まって
いくような理想的な老衰だったよ」と言ってくれて、私は大泣きしました。
今でもその時々の判断は正しかったのか、もっと出来ることがあったのではないかと
悲しさ半分、後悔半分で毎日涙が出ます。
でも、みなさまからの励まし、温かいお言葉のおかげで少しずつ前を向いていけそうです。
本当にありがとうございました。
チロ、ありがとう。
食いしん坊のチロらしく、亡くなる2日前まで自力でごはんを食べて偉かったぞ。
前の日の夜に、決して下痢ではないウンを少しずつ何回かに分けて全部出して
お腹を空っぽにして旅立ったね。
旅の途中で食べるお弁当、いつも食べていたお肉とヨーグルト、大好きだった干し芋
お腹いっぱい食べてくれたかな。
母さんは、最期まで立派だったチロを誇りに思うよ。
うちの仔になってくれて本当にありがとう。
ずっとずーっと大好きだよ。
長々と読んでいただきありがとうございました。
レンタルした酸素についてはまた後日書きます。