シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

色々引っかかるけど

2013-11-27 19:49:49 | ボランティア
「魂は死にません。また、カルマと言う用語を用いておられますが、これはつまるところ摂理の働きのことです。タネ蒔きと刈り取りのことであり、因果律の一部を構成するものです。
 摂理の働きだけは何人も逃れることはできません。究極において公正が成就されるようにとの大霊の意図によって案出されているのですから、万が一その摂理が廃止されたり原因と結果の連鎖関係が妨げられたりすることがあり得るとすれば、それは大霊の意図が無視されることが有り得ることになり、言語道断の話です。」『シルバーバーチの新たなる啓示』



ディケアでの、ボランティアに行ってきました。

相変わらず、利用者さんとおしゃべりしたりしてますが・・。
機嫌の悪い利用者さんと、スタッフさんとのやり取りを心配して見ていたら
「ぼやぼやしないで・・・」と注意されたり、
「じっと見てるならドライヤー変わってあげて・・」
とか、とても、とても人使いが荒いです。
なんか、訪問介護の仕事より、こちらのボランティアのほうが憂鬱です。

でも、糖尿病のおばあさんがベッドでお休みになられていて、様子を見に行ったら
ギューって手を握られました。ずっと握ったままでしばらくすごしました。
この方は、尿バッグで排泄も強制的に出させるそうなのですが、
いつも排泄したい感覚があるそうで、
「トイレ行っても何も出ないよ~」
と、スタッフさんに言われています。

とても、気の毒なんですけど、同情心は持ちつつも
これも何かしらの摂理ということは理解できます。
でも、できれば、この方の苦しみが少しでも軽減されたらと思います。


守護霊さんは、このボランティアを通して私に何を学ばせようとしているのか・・・

スタッフさんの言葉を謙虚に受け入れることでしょうか。
謙虚さ、これが今の私に求められているものなのかもしれません。

今日も片麻痺の友達にも会えたし、とにかくこの状況から何かを学ばなければ!
もう少し頑張ります。

目標

2013-11-26 13:21:13 | お仕事
「もしも辛い思いをするのはもうご免だと思うようになったら、それも人間として私は決して咎めるつもりはありませんが、少なくともあなたの霊的成長はそこで止まります。成長は困難に立ち向かうこと、挑戦を受けとめ、そして克服していくことによってのみ得られるのです。」
『シルバーバーチの新たなる啓示』



お仕事頑張っています。私。
ダブルブッキングとか、細かいことが色々ありますが、仕事が人生のメインではない以上
体がダメージを受けるほど、心はダメージを受けません。

ただ、仕事をすることによって霊的な視点よりも、物的な視点に傾きがちです。
時給はいくらだ。交通費はいくらだ。これだけ稼いだら家計がこれだけ豊かになる・・・みたいなことが
脳裏をよぎります。

ここは一つ初心に帰らねば・・・

小さい目標を立てます。

<どんな人も避けないこと>

近所の人でもなんとなく、この人の傍を通りたくないなっていう人がいます。
つい別の道を通りがちです。
スーパーで、なんとなく嫌な感じの人もたまに会います。

こういう、なんとなくいやな人にお会いしても、避けないようにしようと思います。

些細なことですが、私はできていないのです。

私の霊性はその程度なので、
ブログのタイトルにシルバーバーチを冠するなんて、大それたことだと恐縮する次第です。

シルバーバーチファンでも、とても高い霊性の方から低い霊性の私まで様々ですね。

ボランティアの継続

2013-11-20 14:14:35 | ボランティア
「しなければならないことがあるのを自覚しながら心の安らぎが得られるでしょうか。地上の同胞が、知っておくべき真理も知らされず、神の名のもとに誤った教えを聞かされている事実を前にして、私どもが安閑としておれると思われますか。」『シルバーバーチの霊訓2』

仕事も始めたことだし、これを機にディケアのボランティアを辞そうかどうか迷っていました。
一ヶ月くらいグダグダと考えていました。
スタッフさんにも迷惑かもしれないので、
私が必要なさそうなら、その場で退会しようと思って行ってみると

のっけから、私の友人に会いました。
方麻痺ですが、一生懸命リハビリに励んでいます。
そして、利用者さんや、スタッフさんから
「久しぶりやね~」と、いっぱい声をかけられました。

75歳のおじいさんは、
「さっさとお迎えがきてくれんかなあ・・」
と、私に話しかけてきます。
このおじいさんは、脳梗塞で片側麻痺、血糖値も高く、色々な合併症もあります。
私はスピリチュアル的な話をしました。
私が今回話した内容は
「人のお役に立つことこそ、人生の目的」でした。
この方には、95歳の母親がいます。
毎日電話で声を聞かせて励まし合うのが日課だそうです。
「お母様の心の支えなんだから、頑張らないとね!」
そういって、お互い笑い合いました。
生きてるということで、お母様のお役にたっていますから。

こういう時など、霊界の意思をひしひしを感じます。
私が迷った時など、体験を通して強烈なメッセージを送ってきます。
私も、話を聞くことでおじいさんのお役に立っている・・・・
必要とされているんなだあと実感できました。
正に「人のお役に立つことこそ、人生の目的」ですね。
友人にも会いたいですし、
もう少し、ボランティアを継続しようかと思います。

地域猫

2013-11-18 12:49:45 | 動物関連
「さて、そうして神が動物に霊性の息吹きを吹き込んだように、あなたがた人間も動物に対して同じことが出来るのです。人間は神の一部です。従って進化の順序の中で人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹きを吹き込む能力を具えています。つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって、動物の魂に自我意識を芽生えさせることが出来るのです。」
『シルバーバーチの霊訓8』

近所の病院裏に耳カットされた猫ちゃんがいつも同じ木の下にいます。
サビ猫で、とても愛くるしく、人慣れしていて、近寄るといつもゴロゴロと喉をならしお腹を見せてくれます。患者さんからもかわいがられていて病院の隠れアイドルです。
耳カットされているから、どなたかが避妊手術をしてくださったのでしょう。

かたや、反対側の団地には、野良猫が何匹かいて、
そこの住民たちから、餌をやるとか、やらないでくれとか、
いつも揉め事になっています。
当然 去勢避妊手術もするはずもなく、人間に近づいたり警戒したり、まんま野良ちゃんです。
本当に可愛いのに、虐待の危険もあります。

こういう猫ちゃんたちは、どういう暮らしをするのが一番なのでしょうか。
猫も犬と同じように野良化を撲滅させたほうが良いのでしょうか?
やはり、保護して地域猫にリリースするなり、ペットにするなりが良いのでしょうか?
それとも昔ながら、猫ちゃんの好きなようにさせてあげるのが良いのでしょうか?

昔は野良犬もいました。
野良猫もいました。
フラリと家に来て、なんとなく飼っているということもありました。
しかし、今では犬はペットショップで買うものになってしまいました。
それはそれで、売れない犬の扱いに困ることになりました。

動物たちの本当の幸せとは・・
霊性が低いのは人間なのに、罪の無い動物に、そのつけが回ります。

動物愛護は問題が山積みです。
団地の猫に遭遇する度に、自分の無力さを痛感します。

容姿の理解

2013-11-15 15:20:58 | 摂食障害
「不公平を口にされるのは、問題を肉体の問題としてだけ、つまり物質界のみの問題としてお考えになり、無限の生命の観点からお考えになっていないからです。霊そのものは性病なんかには罹りません。霊が傷ついたり奇形になったりすることはありません。両親の遺伝的特質や後天的性格を受け継ぐことはありません。それは霊が自我を表現する媒体であるところの肉体に影響を及ぼすことはあっても霊そのものを変えるような事ことは成りません。
 確かに地上的観点から、つまり物質的観点からのみ人生を眺めれば、病弱な身体を持って生まれた人は健全な身体を持って生まれた人よりも、物的には不幸の要素が多いと言えるでしょうが、その意見は霊については当てはまりません。身体が病弱だから霊も気の毒で、身体が頑健だから霊が豊かであるという方程式は成り立ちません。実際にはむしろ宿命的な進化のための備えとして、多くの痛みや苦しみを味わうことによって霊が豊かになるという考えの方が正しいのです」
『シルバーバーチのスピリチュアルメッセージ』


私の容姿に対するコンプレックスに対して、新しい道が見えてきました。

それは、全ての人は病気や欠陥を含めた肉体の一切を、わざわざ選んで産まれてくるということ。
嫌なら他の遺伝子を選ぶこともできたはずです。
なのに、私は これで一生過ごすことを決心したのですから・・・・
容姿も全て自分の責任です。

これまで私は 自分の容姿を前世の罰ゲームのように感じていました。
だから、自分の容姿が嫌いだったし、早く自分の人生を閉じたかったのです。

でも、カルマであっても罰ゲームじゃない。
この容姿でないと学べないことがあって、この容姿であることで達成されました。

いじめ。摂食障害。
このことは私の未熟な心を向上させるために絶対必要だったはずです。

なぜ、私のような女が結婚できたか不思議だったのですが、
これは前世で主人と約束していたからです。
前世で約束した相手とは、目的実行のため、その通りに展開されます。
私を好きでいてくれる人は、私の今世がどうであろうと確実に前世から私を好きでいてくれる人・・・・

だから、今世の容姿が美しいかどうかという基準は霊には当てはまりません。

今もこの容姿が好きだとはいえません。
それは、当たり前です。
病気を好きかどうか訊かれるのと同じことですから。
本当の美しさは霊にしかないのですから。
全て自分の責任、と受け入れることで精一杯です。
ですが私は、この容姿を選んだ自分を理解し褒めます。
私の霊的成長を促進させてくれたのもこの容姿のおかげですから。

お師匠から言われた言葉があります。

「あなたのように霊性の進化した人が醜いはずがない・・・。」

私は冗談かなぐさめのように受け取りました。
しかし、今なら、この言葉を真理として受け取れます。

体が病弱な人よりも、体が頑健な人のほうが、霊が豊かであるという方程式は成り立たないように、
多くの痛みや苦しみを味わうことによって、霊が豊かになり気高くなるというのが
本当のところでしょう。

容姿に対するコンプレックス解決の道が見えてきました。
人生の大きな課題だったコンプレックスが氷解していくのがわかります。

祈り

2013-11-14 19:04:52 | 祈り
祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。その行為によってほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるからです。わずかな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることができ、かくしてわれわれに“本当に必要なものが”授けられる通路を用意したことになります。
『シルバーバーチの霊訓7』 

「あなたにとって今何が必要か神は先刻ご存じです。それを祈りによって表現することは結構なことです。なぜなら、その時点におけるその人の霊的ならびに精神的発達程度に応じて、可能なかぎりの援助が得やすくなるからです。なるべくなら言葉に出して祈った方がよろしい。その波動によってあなたが何を動機に祈っているか、その意図が鮮明になるからです」

(質問)祈るということをしない人、あるいは絶望のどん底にあって神なんかいるものかと思っている人はどうなりますか。救いようがないのでしょうか。

「大霊の存在を信じる信じないは関係ありません。・・・」
「・・・援助を受けるか受けないかは、大霊の存在を信じるか信じないかによって決まるのではありません。それまでに到達した精神的ならびに霊的進化の程度によって決まるのです。援助を手にするに値するだけのものを受けるのです。原因と結果の法則です。それが大自然の摂理なのです」
『シルバーバーチ最後の啓示』





最近、祈りが届いたなあと確信する出来事がありました。

子供が色々悩んでいて、私も出来るだけアドバイスしてきましたが、
つい声を荒らげてしまったりして上手くいかず、限界を感じて神に真剣に祈りました。

祈ったその日に、子供が学校で体調を崩し保健室へ。
そこで、保健室の先生と何時間も話すことができたそうで、楽しげに帰ってきました。
あまりの変貌ぶりでびっくり。霊界側で配慮して下さったんだと思います。

自分の力が及ばない時は、祈ることで援助を求めようと思います。
それが、適切な祈りで援助を受ける資格があるのなら、きっと授かることができるはずです。

今度は腰痛

2013-11-13 09:06:29 | 病気の話
全生命と調和して生きていれば病気になるはずはありません。健康とは調和のことだからです。病気になると言うことは、その調和を乱していることの証拠です。職業とは関係ありません。
いかに献身的であっても関係ありません。どこかで法則に反した事をしていて、その結果として病気が生じているのです
『シルバーバーチ最後の啓示』



はあ~
霊訓読んでいるからといって、実は不調和だらけということが露呈してしまいました。
今度は腰痛です。
腰が痛くて眠れません。
昼間はなんとか動けますが夜と朝が辛いです。
これではお弁当もつくれません。

腎臓の病気で痛いのか、単なる腰痛で痛いのか・・
でも、ヨガ教室の後から徐々に痛くなったので、多分ただの腰痛だと思います。

尿検査の結果ですが、一ヶ月後くらいに詳しく検査してもらったほうが良いでした。
それまで様子見です。

他に心臓の血管が細くなっているとか。
心電図があまりよろしくないとのこと・・・
これも、様子見です。

いずれにせよ、主婦業は開店休業状態です。

容姿

2013-11-04 11:55:42 | 摂食障害
「身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではないということです。家である以上は住み心地よくしなければなりません。手入れが要るわけです。しかし、あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはなりません。」『シルバーバーチ霊訓1』


容姿の呪縛。
私は、どうしても見た目を気にしてしまうのですね。
本当に、これがいやです。

スピリチュアリズムを学ぶと、肉体より心のほうが本物だと理解できます。
しかし、心の中から わかりきっていないのです。

友人は「内面が外見に現れるから、内面が大事よ~。」
と言います。
彼女は人の容姿が全然気にならないそうです。
私には、それが不思議でなりません。
内面が外見に現れるなら、私はかなり不細工な内面だと思います。

街はおしゃれでとても美しい人がいっぱいです。
その人たちの内面が美しいかといえば、これはどうでしょう・・。
よく、人相で、口が曲がっていればその人は悲しみや悔しい思いをしていると言いますが、
それは、霊格とは全く関係ありませんしね。

なんでだろう。
お金とか、地位とかはいらないと心から思えるのに・・
これは私が女性だからでしょうか。


霊界では お金が必要ないのはわかりきったことです。
地位も霊格の高い順です。
でも、容姿は皆若返るそうですから、あんがい皆 容姿を気にしてますよね。

容姿はとても重要なのではないか・・・

そんなことを考えていると、なんか自分が惨めになってきました。

お師匠からは、このコンプレックスを払拭するための道が用意されているとも
教えていただいています。
しかし、未だ 何も道が見えてきません。

どうして、容姿は大したことないって、答えもわかっているのに、
心が頑迷なんでしょう・・・
自分が嫌になります。