落葉の積もる場所

- The way I was -
 

 矢沢一家  

2013年11月20日 | WEBLOG
















         最初から最後までメンバーだった OとKに捧ぐ。









 






























































 恥ずかしながらも、 俺たちの輝ける青春の記憶。














     遥か彼方に消え去った ‥ まるで あの 『ひき潮』 のように。



































































































 昭和52年、 学生寮、



 O(Vo、G)、Ⅰ(G)、K(B)、K(Sax)、M(Sax)そして ちっぷ(Dr)の6人は


                    狭い一室で バンド結成の契りを交わしていた。













        格好いいステージをみんなに魅せつけてやろうぜ!

(一体どこから この自信は来ているんだ??)













    だけど、、  肝心の「何をやるか」は まだ決まっていなかった。   



















 いや、



    正確に言えば、 メンバー中 4人は  当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった



              矢沢永吉 コピーバンドに、決めていた。




         
   

















 俺と、ベースのKは 「ロックンロールなんて女の子にもてないじゃーん」 と


   かなり否定的だったのだが、 最終的には 多数決 が決め手となった。









                  なんと民主的なスタイル…     (トホホ  























 そして 記念すべきバンド名は、 できんBOY。。。












 まぁ、 このバンド名はすぐに改名され、 「矢沢一家」 となったけどね。 





















































 3年弱の活動期間で、 合計十数回のステージしかやらなかった。















 けれど、 各ステージでコンセプト、曲の内容、曲順などが全く変わってくるので、



            起きてる時間の大半を 矢沢一家 に注いでいた。














 そのせいか、 6人の内 4人が  留学  留年した‥。       




























 印象的だったのは、俺が大風邪をひいているにも関わらず、


                      普通にバンド練習に連れて行かれたこと。








          VocalのOが、鬼畜 に見えた瞬間だった。






















 メンバー全員で矢沢永吉のドキュメント・シネマを観に行ったりもしたな。。







 広島の某有名ホテルから、『X'mas-concert』の誘いもあった。。




























 ラスト・ステージは、ブラス・セクションを増やしたり、



         ツインドラムにしたりして、   メンバーは10人を超えていた。











 














俺たちは上手かったよな!

    






















     矢沢一家   それは青春そのものだった!   











                












































 二度と戻れないから、青春と呼ぶんだろう?









































 俺の夢だった  『”年寄り矢沢一家” を 再び』は、 儚い幻となったけど、




            



                  青春は俺たちの心にある、、    いつまでも。