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【新都市】ペグー@東南アジア

2006-09-06 22:53:23 | 新都市
<概要>
・名称:ペグー
・位置:東南アジア‥パガン右下港の左上3(S4アユタヤ左上)
・歴史:

 ミャンマー南部、バゴー管区の主都。現バゴー(Bago)。
 "ペグー”の名19世紀、この地を併呑したイギリスの訛りによる。
 人口は約22万人。首都ヤンゴンの北東80kmに位置。
 ヤンゴンから繋がる鉄道および道路の分岐点であり、交通の要衝である。

 起源はモン族の伝説によれば西暦573年。
 竜の血を引く娘と、タトン国の創始者ティッサ王との間に生まれた双子の兄弟が町を築いたとされる。
 (ローマみたいだ)
 しかし書物でペグーの名を書物で確認できるのは西暦850年頃のアラブ人の書物の中によってである。


 ペグーが栄えるきっかけとなったのは1369年にペグー朝のビンニャウー王によって王城が築かれてより。

 ペグーの最盛期は、タウングー朝のバインナウン王がここを都とした16世紀。
 17世紀前期までその座にあったが、以後、モン人とビルマ人の間で争奪が繰り返された。

 その後イギリスの支配下にあってかつての勢威はすっかり失われた。
 しかし城壁や濠の痕跡は、現在でも市街地の外れに残っている。
 巨大な寝釈迦仏(身長約55m)が有名。

 
・総合:(3.5pt)
・面積:
・特産:(象2,ヒスイ,塩)
・兵科:
・安全:
・文化:
・農業:



「ペグーといえばペグー朝です。
シナリオ2で「ワレル」王プレーを楽しんでください」

※ペグー朝の初代王マガドゥー(即位後ワレル。?-1296)は立志伝中の人。
 商人出身で、20歳のときタイのスコータイに出かけ王の象使に仕えたが、
 働きぶりを認められて国王の司厨長、次いで近衛隊長に抜擢された。

 やがて王女と恋仲となって郷里に駆落し、
 1231年ルタバンのビルマ族太守アレインマを殺害してその地の支配者となった。

 その後、ペグー領主タラビャーに妹を嫁がせ提携、パガン王朝を撃退したが不仲となり、
 タラビャーを殺害して、1287年ペグー朝を創始した。
 しかし1296年タラビャーの遺子2人によって殺された。

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