「蒼き狼と白き牝鹿」ブログ

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広州@華南(未完成)

2008-07-29 17:21:02 | 新都市

(仮画像 BY WIKIの)

<概要>
・名称:広州

・位置:華南‥真珠近くの港から左上5、左下1
・歴史:
広東(カントン)とも。北京市、上海市に次ぐ中国第3の大都市。
地勢は北高南低。北は山林が密集し、南は平原が海に面している。

愛称は「羊城」「五羊城」「穂城」。

由来は、貧しかったこの地に五人の仙人が五匹の羊にまたがって現れ、穀物の穂をひとびとに与えて去った伝説より。
(ちなみに仙人&羊は赤、橙、黄、緑、紫の五色。ファンキー。)

石化した羊画像

また「花城」の愛称もあるが、これは四季を通して気候が温暖湿潤で(真冬の日中気温が18 ℃!)つねに花が咲き乱れることに由来している。

この地の歴史は古く、約4000年前(新石器時代)に百越族が集落を形成していたのが確認されている。
その後、紀元前220年、秦の始皇帝がこの地を征服し、「番禺城」を行政拠点として設置。
そして三国時代、呉の孫権が「広州」と名付けたのがその名のはじまり。(そのときの太守は呂岱)

広州は古来より、その地勢的位置から中国の南の玄関(南大門)として貿易の要衝とされてきた。
とくに発展したは唐代で、水陸両面でベトナムへ通ずる道が開かれたことにより、国際貿易港としての地位を確立した。
唐末、黄巣の乱で12万のペルシア人・ユダヤ人が殺され衰微するが、この数字からもいかに多くの外国人商人が広州を訪れていたかわかるだろう。

その後広州は宋の建国により再興し、中国の国際貿易売上の9割を占めるに至る。

ただし「蒼き狼」の時代(南宋〜元期)は、隣の泉州が国都臨安に近い都合上「海のシルクロード」と呼ばれるほどブイブイ言わせており、相当押され気味であった。

特産は砂糖、果実、生糸、穀物、林産物など。またかつては犀角、象牙、翡翠、真珠の集積地であった。
料理やお茶も美味しくて有名である。筆者も行って食った。旨かった。でも暑かった。
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【新都市】スカダナ@カリマンタン島

2007-07-01 21:47:12 | 新都市
<概要>
・名称:スカダナ
・位置:カリマンタン島‥南西部の港から右上2,左上1
・歴史:
 ボルネオ島南部の都市。インドネシア領。


・総合:(3pt)
・面積:
・特産:(木材,香辛料)
・兵科:
・安全:
・文化:
・農業:



 「カリマンタン島の中では、唯一攻め込まれる可能性のある都市ですね。
 この際それが個性といえば個性ですね」
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【新都市】バンゼルマシン@カリマンタン島

2007-07-01 12:22:27 | 新都市
<概要>
・名称:バンゼルマシン
・位置:カリマンタン島‥東部の港より左下2、右下1
・歴史:
 Banjermasin。バンジェルマシン
 インドネシア、ボルネオ島南部の都市。
 古くよりジャワとインドの文化的影響を受けていた。
 この地方に住むバンジェル人はジャワ人とマレー人の混血といわれ、
 独立国を形成していたが14世紀にジャワのマジャパイト王国に服した。
 
 熱帯雨林型で、高温多湿。
 ゆえに林産物が特産で、金、ダイヤモンド、ゴム、石炭も産し、
 近年では石油の宝庫として知られる。
 

 
・総合:(3pt)
・面積:
・特産:(香辛料2,塩1)
・兵科:
・安全:
・文化:
・農業:



「安全性なら、世界屈指の都市ですね。数百年プレーしても、
 滅ぼされる危険はおろか、攻め入られることすら稀ではないでしょうか。
 土地が狭いので内政には向いていないのが玉に瑕ですね
 香辛料がたくさん採れますが、陸上交易が中心の『蒼き狼4』では
 大きく儲けるのは難しいかと思います。

 この地域が脚光を浴びるのはむしろ『大航海時代』とか『提督の決断』ですよね。」
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【新都市】ジッダ@西アジア

2007-07-01 10:33:36 | 新都市
<概要>
・名称:ジッダ
・位置:西アジア‥紅海の東岸 銀の右下5
・歴史:
 Jidda。ジェッダ(Jedda)が一般的。アラビア語ではジュッダ(Judda)。
 サウジアラビアの西岸にある紅海に面した港湾都市。
 古くより、メッカ巡礼への入り口として栄え、いまもなお首都リヤドに次ぐ大都市である。
 646年、第3代カリフのウスマーンが巡礼用の港と定めたのがその起源。
 夜景の美しさから「紅海の花嫁」と呼ばれる。

 サウジアラビアの気候は一般に砂漠性であり、夏に気温50度を越える日も珍しくないが
 沿岸部のジッダは湿度も高く夏には90%を超えることがある。
 
 その気候ゆえに農業はふるわない。古くより巡礼者が落とす金や関税収入、
 じゅうたん、陶器、衣料、金属細工などの手工業が主な収入源であったが、
 近年は莫大な石油収入により近代的なビルが林立する大都市に姿を変えている。
 首都リヤドとは異なり、ジッダはその歴史的な性格ゆえに開放的な側面の強い
 都市である。

 「蒼き狼」時代はアイユーブ朝、マムルーク朝が支配した。

 
・総合:(4.7pt)
・面積:
・特産:(銀,塩,馬,ラクダ2)
・兵科:
・安全:
・文化:
・農業:



「現実の港町ジッダよりちょっと内陸で、位置的には“メッカ”ですね。
 聖地“メッカ”の名を使うのははばかりがあったのかな。

 どう考えても新国王向けの都市ですね。
 新都市チュートリアルでゲスラーが薦める場所を、
 もうちょっとアグレッシブにした位置ですね
 まず最初に攻めるのはカイロになりそうですが、
 シナリオによって難易度が大きく変わります。
 バイバルスやサラディンがいるシナリオでは相当、てこずりそうです。

 国王の武力を強くするか、紅海を南下して別都市を作るか‥。
 後者の場合は、豊富な特産品が、文化の上昇を後押しするでしょうね」
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【新都市】アバ@東南アジア

2007-07-01 05:31:21 | 新都市
<概要>
・名称:アバ
・位置:東南アジア‥砂糖の右上4、左上2
・歴史:
 Awa。「インワ(Inwa)」のほうが一般的。
 ミャンマーで14世紀に興ったシャン族アバ朝の都の名前。
 ミツゲー川とイラワジ川の合流点にあり、現マンダレー市に近い。
 
 ミャンマーは日本の約1.8倍の国土に100を越える少数民族が住む多民族国家である。
 ただし国民の7割をビルマ族が占めている。
 全体的に高温多湿な気候で、雨季と乾季がはっきり分かれている。
 国民の6割が農業に従事しており、イラワジ川下流域に広がるデルタ地帯は
 世界的な穀倉地帯として知られている。

 上記に列記したように国民の多様性、国土の肥沃さ、人口と広さの均衡に優れ、
 中国とインドの間に挟まれる立地のよさもあり、高い識字率による人的資源も豊富で、
 石油・鉄・宝石といった天然資源も多く産し、発展への条件は揃いすぎるほど
 揃っているにも関わらず、軍事政権への経済制裁でその発展が大きく阻害されて
 いるのが現状である。

  
・総合:(5.17pt)
・面積:
・特産:(ヒスイ3,象,砂糖)
・兵科:
・安全:
・文化:
・農業:



「すごい。この総合5.17ポイントを越える都市は存在しえないんじゃないでしょうか!?

 面積広し、特産品多し、象兵が採れて、敵国も遠く、
 文化も上げやすく、農業生産高も最高級。
 
 おまけにチベット・東南アジア・インド諸都市の中間地点という要地でもあります。
 ここがあればインドの象さんも飢え死にしなくてすみますよー!」
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【新都市】重慶@華南

2007-06-26 23:23:04 | 新都市
<概要>
・名称:重慶(じゅうけい)
・位置:‥華南左、絹織物の右上2、左上1
・歴史:
 チョンチン、中国西南部の直轄市。1997年に、四川省から独立した。
 大きさは北海道に匹敵。
 人口は3150万人(そのうち都市部の人口は20%の600万人)と、カナダ一国に匹敵。
 これは1都市に住まう人口としては世界最大である。

 揚子江・嘉陵江の合流点にある交通の要地でもあり、
 四川盆地最大の商業機能を有し、鉱工業も発達している。

 このあたりは古くは巴国が都を建設し「江州」と名づけた。
 その後、秦がこれを破り「巴郡」をおいた。
 南北朝時代に宋が「渝州」と呼び隋・唐でもそれを踏襲。
 紆余曲折を経て、1189年に南宋の孝宗が「重慶」と命名し今に至る。
 これは孝宗に、皇子の誕生、および帝位への即位、この二つの喜びごとが
 重なったことに由来している。

 気候は亜熱帯湿潤気候に属し、雨量が多い。
 冬は暖かいが、夏には高温多湿となる。
 山峡の険とあいまって、攻め手にとってはキツい土地といえる。

 モンケ・ハンが味方の反対を押し切り、南宋親征を強行したものの、
 兵士たちが悪疫によって倒れ、自身も(コレラとも赤痢とも)で死去して
 しまった、因縁の釣魚城はこの地である。

 ちなみに三国志の時代には蜀の領土であった。
 劉備が夷陵の戦いで負けた後、重慶にある白帝城まで逃げ戻り、
 呉の追っ手から一息つけたのもこの守りの堅さが一因とはいえないだろうか?

 

 
・総合:(3.83pt)
・面積:
・特産:(茶,絹織物,漢方薬)
・兵科:
・安全:
・文化:
・農業:



「新シナリオ2の場合は、成都を廃都しないと作れません。
 成都との違いは、チベットの漢方薬が採れるか、漢中の漢方薬が採れるかの
 違いくらいです。 

 シナリオ1で孝宗がこの都市を建設して、北方異民族の攻撃を凌ぐ金城湯池にすれば
 歴史の再現性は高いといえますね」
 
 <おまけ>
 
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【新都市】西安@華北

2007-06-24 16:30:58 | 新都市
<概要>
・名称:西安
・位置:華北‥漢方薬の右上4,左上3
・歴史:
 シーアン、Xi an。古名は「長安」。
 中国西北区の陝西省の省都。人口約800万人。
 古くは新石器時代、紀元前16世紀くらいから人の住んでいた形跡はみとめられるが、
 都として成立したのは紀元前202年、劉邦が漢の都として城を建ててよりである。
 
 都と定められたのは下記理由が考えられる。

 ・土壌が肥沃で気候温暖、雨量も丁度よく農業に適しており、人口が多かったこと。
 ・軍事的に要害であったこと
 ・シルクロードと四川につながる、交通および商業の要地であったこと

 そして秦・漢時代を通じて水利灌漑施設が整備され「金城千里 天府之国」と
 称された。 
 
 なお現在の西安の場所に移ったのは隋の文帝が582年に城を移転してからである。
 その隋・唐の時代に長安は最も栄えた。街には胡人商人が溢れ、酒場では青い目
 の美姫が給仕をしていたという。

 しかしその胡人による叛乱後(安史の乱)は、長安の命脈ともいえる運河の利用
 が難しくなり衰微。
 唐末に朱全忠によって建築物のほとんどを破壊され、遷都させられてより、
 単なる「中国本土北西部の重要都市」の地位に落ち、ふたたび王都になることは
 なかった。

 名が変わったのは、1369年、明の太祖が西安府を設置してよりである。
 
 特産は発達した灌漑設備を生かした、小麦と綿花である。
 

 
・総合:(4.5pt)
・面積:
・特産:(絹織物,漢方薬,銅,馬)
・兵科:
・安全:
・文化:
・農業:



「さすがは長安というべきでしょうか、とりたてて欠点が見当たりません。
 広いし、特産品は豊富だし、馬も採れるのがいいですね。
 
 モンゴル軍の中国征服の前線都市として、あるいは金軍の西方遠征の拠点として、
 シルクロード交易の中継都市として、使いでがありそうです。

 新国王としてスタートする場合、元王朝が成立しているシナリオなどにおいては、
 場所的に獅子身中の虫として集中攻撃をされそうですが、猛者ユーザーには
 それすらも楽しみに思えるかもしれません。

 新国王のシチュエーションとしては、元や金、明への叛乱者というのが適当でしょうか。
 がんばってください!」
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【新都市】チューリヒ@ドイツ

2006-09-18 21:21:51 | 新都市
<概要>
・名称:チューリヒ
・位置:ドイツ‥西側銀から右下1、右上1
・歴史: Zurich。
 スイス最大の経済都市というより、世界金融の中心街。

 このあたりはもともとはケルト人の土地であった。
 紀元前1世紀、ローマ帝国が支配下に組み入れた際、ゲルマンへの防壁として
 スイスに建設した砦(河川関税徴収所)「ツークリム」がチューリヒの起源で
 ある。

 ※その後5世紀、ローマの軍備縮小を受けてスイスに侵入したゲルマン人は
  主に下記三部族。

 ・東部:アラマン族     →ドイツ語を保持
 ・西部:ブルグント族    →フランス語
 ・南部:ランゴバルド族   →イタリア語
 ・山中:先住ヘルヴェティア族→レト・ロマン語を保持

  これが現在、スイス連邦で四つの言葉が使われるゆえんである。


 閑話休題。
 その後フランク王国カロリング朝の時代、ベルダン条約によって
 カロリング朝が分裂すると、スイスも東西に分断されてしまった。
 チューリヒは東フランク王国の領土となった。

 853年、東フランク王国のルートヴィヒ2世はチューリヒを要衝とみて、
 ここに修道院および王城を建設した。
 その後、929年に初めてチューリヒの存在を示すキウィタス(都市)の
 表現が史料上にあらわれることになる。

 そして11世紀初頭になりスイス全域が、神聖ローマ帝国の支配下に入るや、
 イタリア政策を重視した皇帝のもと、イタリアへの入り口・チューリヒにおいて 帝国議会がしばしば開催され、商人の往来も繁くなり、経済も発展した。
 12世紀末、南北ヨーロッパをつなぐサン・ゴタール峠が開通したことにより
 その傾向に拍車がかかった。
 1218年よりキーブルグ家が継ぎ、チューリヒは帝国都市となり、市参
 事会も発足、市の自治体制が急速に発展していく。

 自治は当初大商人らによって担われていたが、経済の発展とともに他の都市同様、
 小商人や手工業者らが自治権を求めて1336年にはツンフト闘争を展開。
 その拡大した自治権を守るべく、チューリヒは1351年にスイス誓約同盟に参加
 し、強力な力(広大な農村地域支配)を背景に、スイスの指導的地位を担うことに
 なる。

 その後、16世紀にツヴィングリによる宗教改革でチューリヒはプロテスタント
 の宗教的中心地に。

 このおかげで、チューリヒはフランスから大量のプロテスタント亡命者を
 迎えいれることができた。
 プロテスタントは勤勉さを奨励し、金儲けを否定しなかったので優れた商人が
 多く、ゆえにフランスは人材と産業が枯渇し、チューリヒは今に至るまで、
 世界の金融社会の中心地となっているのである。


・総合:(2.33pt)
・面積:
・特産:(銀2)
・兵科:
・安全:
・文化:
・農業:



「上記画像では、ケルン・ベネチア・パリを廃都していますので
 広く見えるかもしれませんが、実際はそれらに挟まれ
 支配範囲はもっとずっと狭いでしょう。
 “銀が二つ採れる”のと、“銀しか採れない”のが最大の特徴でしょうか。
 
 東から攻め込んできて、西欧各国の文化があまりに低い時とか。
 チューリヒに高度な文化都市から移住させて、そこに西欧の
 交易を集中させれば‥チューリヒの「特産品の無さ」がかえって
 交易金額を上げてくれるでしょう。

 史実に沿うならば神聖ローマ帝国の殖民都市でしょうか。
 アルプス越えは残念ながらできませんが‥。

 もしくは自治都市としてドイツと雄を決するのも面白いかもしれません。
 スイス独立戦争「モルガルテンの戦い」の再現ができるかもですよ。」
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【新都市】コペンハーゲン@シェラン島

2006-09-18 16:17:35 | 新都市
<概要>
・名称:コペンハーゲン
・位置:シェラン島‥港の右上1
・歴史:デンマーク語で「ケベンハウン(Kobenhavn)」。
 「商人の港」の意。英語では「コペンハーゲン(Copenhagen)」で日本ではこっちが有名。
 
 デンマーク王国の首都であり、商・工業の中心都市。
 エアスン(エーレスンド)海峡に臨むシェラン島とアマア島にまたがる。
 コペンハーゲン自治市自体の人口は52万人程度だが、
 首都圏一帯の人数は280万人にも達し、北欧最大の都市圏である。
 またその美しい町並みから「北欧のパリ」とも呼ばれる。

 コペンハーゲンはそもそも1000年ころ、スヴェン1世とその息子クヌート大王によって
 発見されたのが起源である。
 当初は単純に「港(havn)」と呼ばれていた良漁港であったが、
 1167年、デンマークの重臣アブサロン司教がバルト海の制圧と
 国土防衛の拠点として要塞化するやその重要性は高まり、交易が盛んになった。

 (ちなみにアブサロン司教は「ヴァルデマール(チン4に登場)」の父、
 「ヴァルデマール1世」の乳兄弟。つまり国王のおじさん的存在。
 アブサロンは1201年死亡だからチン4に出てもいいのになぜか未登場‥)

 1254年にはヤーコプ・エルランドセン司教から「都市権」
 (市民に対する特権と自由。支配者による商業振興策)を取得した。

 こうして発展を続けたコペンハーゲンだったが、ドイツ人の目に付いたのか
 ハンザ同盟の度重なる攻撃を受けた。
 
 1416年デンマーク王エリクが居城とし、1443年王国首都となり、
 以来それは現在まで続いている。
 


・総合:(3.5pt)
・面積:
・特産:(琥珀,馬,木材,塩2)
・兵科:
・安全:
・文化:
・農業:



 「画像はケルンとベルゲンの支配範囲を狭めています。
  両国がMAXの支配範囲になると、南方の港(リューベック;メクレンブルク湾)、
  そして北方の塩は取られてしまいますので、ご注意ください。
  ただこの都市のおヘソともいうべき西の馬は、
  ケルンの支配範囲に入らないので安心です。
  
  史実を再現するには、シナリオ1で新国王「ヴァルデマール1世(長いか?)」
  と配下の「アブサロン」でデンマーク王国プレーしかないですね。
  馬の採れないノルウェーの前線都市にしてもいいですけど‥」
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【新都市】ブルネイ@カリマンタン島

2006-09-15 11:03:10 | 新都市
<概要>
・名称:ブルネイ
・位置:カリマンタン島‥北部港の,右下2、左下1
・歴史:Brunei。カリマンタン島(ボルネオ島)のイスラム教国。
 人口35万人程度と非常に過小ながら、石油が採れるため国庫は非常に豊かである。

 人口分布はマレー系が最も多く、次いで華人、ボルネオ土着民族と続く。
 ブルネイ王国の歴史は古く、その存在は10世紀ころから確認できるが、
 詳しいことはわかっていない。
 中国からアラブへの海上交易路の中継都市となっていたのは確かなようだ。
 15世紀末から16世紀初頭のころ、イスラム化したらしい。


・総合:(3.33pt)
・面積:
・特産:(塩,木材,象)
・兵科:
・安全:
・文化:
・農業:



 「カリマンタン島の中では一番オススメです。
  象兵を徴することができるのと、他に比べれば支配範囲が広いので。」
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