印象派前夜のスロヴェニアの光

 
 
 EUなんたら協会が出版しているパンフレットの付録に、「EUの著名50人」とかいうリストがあって、近代の画家として、リトアニアのミカロユス・チュルリョーニスと、スロヴェニアのイヴァナ・コビルカが挙げられていた。
 ……チュルリョーニスは知ってたけど、コビルカって画家は知らなかったな。

 イヴァナ・コビルカ(Ivana Kobilca)は、スロヴェニアの文化的アイデンティティに重要な位置を占め、国際的にも高く評価されている、同国で最も重要な女流画家、とされる。その絵は印象派前夜に見られる、明るく伸びやかな写実のスタイルで、人物や風俗を描いたものが多い。
 リュブリャナの国立美術館には、角部屋の位置に、あまり大きくないコビルカの一室があった。その部屋だけは暗く、絵の一つ一つに照明が当てられていて、CDデッキが置いてある。で、どういう教育の意図なのかはよく分からないが、その部屋で、授業で訪れた子供たちが輪になって、コビルカの絵に囲まれながら、音楽に合わせて踊るのだ。

 私の語学力では、あまり参考になるものに出会えなかったのだが、備忘録として記しておくと……
 リュブリャナの裕福な家に生まれ、ドローイングを含め、恵まれた教育を受けて育つ。16歳のときに父に連れられてウィーンに赴き、そこで古典的巨匠たちの作品から大いに刺激される。ウィーンさらにミュンヘンで絵を学び、この間に公展にて脚光を浴びる。
 コビルカは、合間々々に故郷リュブリャナに舞い戻り、最期にはリュブリャナで没しはしたが、ウィーンやミュンヘンの他、ザグレブ、パリ、サラエヴォ、ベルリンなどを転々と移ってはそこに住み着いた。こんな生活をしていたら、畢竟、重要な作品はことごとく、国外において制作された、ということになるのも当然だ。

 解説では、コビルカの最も重要な作品群は、1880年代に制作された、とある。1880年代というと、コビルカがパリ以前、ウィーン・ミュンヘンで制作していた時期、一方パリでは、印象派が起こった時期に当たる。
 その後、彼女もパリに移る。パリ時代以降、彼女の色彩は、褐色系の暗いものから、青色のニュアンスを含む明るいものへと変わった、という。が、彼女の絵が印象派、さらにそれを越えるポスト印象派のものへと進化することはなく、後半生、その作品は輝きを失い、色褪せ、衰え、鈍り、没個性化し、……云々。

 つまり、こういうことなのらしい。
 印象派前夜、パリとは別な場所で、コビルカは瑞々しい絵を描いていた。それらは大いにスロヴェニア絵画に貢献した。が、パリで印象派が起こっても、コビルカのスタイルは変わらなかった。その才能を鑑みれば、もっと何某かの発展があってもよさそうなものだったのに、そうなればますますスロヴェニア絵画に貢献し得ただろうに。彼女の停滞はすなわち損失である。

 ……こんな悪態つかれるだけのタッチングな魅力が、若い頃のコビルカの絵には確かにあるよね。
 
 画像は、コビルカ「オランダ娘」。
  イヴァナ・コビルカ(Ivana Kobilca, 1861-1926, Slovene)
 他、左から、
  「コーヒー女」
  「手紙を手にするパリジェンヌ」
  「黒っぽいチョッキを着た少女」
  「夏」
  「アイロンがけする女」

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