グルジアの魂

 

 ニコ・ピロスマニ(Niko Pirosmani)は、ローカルでエスニックな素朴派の画家。今ではグルジアの国民画家とされている。

 私も知ってはいたのだが、その不遇の半生を描いた映画が上映されるということで、観に行った。
 「放浪の画家ピロスマニ」、映像の一つ一つが絵画のような映画だった。
 平面的な構図と色彩美、陰影美。退屈なまでに、ぶっきらぼうに淡々と展開する、抑揚のない静謐な映像が、清貧で孤独な画家の心象、グルジアの風土と民族とを描き出す。そして、彼の描く絵の数々が、彼が立ち寄る酒場や商店に飾られている。

 「私の絵はグルジアには必要ない、なぜならピロスマニがいるからだ」というピカソの絶讃。「優れた芸術家は真似し、偉大な芸術家は盗む」とは同じくピカソの言葉だが、ピロスマニは真似も盗みもしなかった。独学だけれど、下手巧だけれど、本物だった。

 直接に黒い油布に描くという独特の手法。色彩は明るくなく、白黒のモノトーンが目立つ。テーマは田舎の日常生活と自然。商人や店主ら働く人々や、食卓を囲む人々、そして動物たちを描いた。

 本名ニコロズ・ピロスマナシヴィリ。グルジアには、ジュガシヴィリだの何とかシヴィリだのが多い。
 映画に即してまとめると……

 幼くして両親や兄姉を亡くし、裕福な親戚に引き取られる。が、世話になった一家の、十歳年上の寡婦に恋文を書いて、拒まれて家を出る。
 鉄道員として稼いだ金を元手に、友人と一緒に乳製品の商売を始める。姉夫婦が縁談を持ちかけるが、その姉夫婦が結婚式のどさくさに紛れて、ピロスマニの小麦粉を勝手に叩き売っているのを見つけ、歌と踊りの祝宴のなか、花嫁を残して立ち去る。激怒する彼をなだめる友人にまで激怒し、商売を投げ出す。以降、居酒屋を渡り歩いて看板や壁に飾る絵を描きながら、その日の食事と酒に替える放浪生活を送るようになる。

 ピロスマニというと、巡業で町にやって来たパリの踊り子マルガリータへの恋が有名らしい。酒場で彼女を見初めたピロスマニは、彼女のために広場を花で埋め尽くしたという。このロマンチックなエピソードが、加藤登紀子が歌ったロシアの歌謡曲「百万本のバラ」のモデルなのだとか。
 でも、映画では、さらりと流すようにしか取り上げられていない。

 町の店々にあふれるピロスマニの絵。あるとき、それらが若い前衛画家たちの眼にとまる。
「この絵は(この素晴らしい絵は誰が描いたんだ)?」
「キリンです」……
 
 彼らは町じゅうを探しまわり、とうとう、看板を描いているピロスマニを見つける。にわかに称讃され、画壇の認知と世間の注目を得、町の人々もそれを誇らしく思うようになる。
「俺たちのピロスマニの絵だぞ!」

 自分が手に入れそこなった家庭の幸福。その空白を埋めようと、酒をあおって酔っぱらう。
「俺は有名なんだ」
 家族はなくても、絵の才能と名声がある。と思っていたところが、新聞に酷評記事が載る。
「絵のイロハを知らない素人、云々」

 途端に、町の人々の態度も一変する。ピロスマニの絵は店々から消え去り、人々は彼を無視する。自分の絵が無造作に捨てられているのを見て悲嘆するピロスマニ。
「俺は笑い者にされた」

 絵の仕事もなくなり、すっかり痩せこけて、いつしか空き家の物置で暮らすように。が、思いがけず感謝祭のための絵を依頼され、一念発起、部屋で缶詰になって制作する。
 だが、感謝祭の当日、歌と踊りと笑い声のなかで一日が終わり、酒も料理もなくなった頃に、誰かが思い出したように呟く。
「あ、ピロスマニを忘れてた」
 部屋には、描き上げた絵の前で呆然と立っているピロスマニ。いずこかへと立ち去り、失意と貧困と孤独のなか、冬のある日、路傍でひっそりと息絶えた。

 画像は、ピロスマニ「タンバリンを持ったグルジア女」。
  ニコ・ピロスマニ(Niko Pirosmani, 1862-1918, Georgian)
 他、左から、
  「五人の王子の饗宴」
  「冷たいビール」
  「女優マルガリータ」
  「キリン」
  「ロバに乗った医者」

     Bear's Paw -絵画うんぬん-
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