徒然なるままに~地球クン

私の永遠のグルであるラマナ・マハルシの対話本について自分なりの解釈で語っています。

第1巻 対話180

2017-04-06 07:49:23 | 日記
眠りについて。
眠りは無意識の状態だが、そこには「私は眠りと目覚めの両方の状態に存在している」と言う心と無意識の状態の両方を観照している人がいるはずだ、という質問に対して。

マハルシ「誰がその観照者なのでしょうか?あなたは「観照者」について語ります。そこには観照する主体と観照される対象があるはずです。これらは心の創造物です。観照者という観念は、心の中にあるのです。もしそこに無意識状態を観照する人がいたなら、彼は「無意識を観照した」と言ったでしょうか?あなたは今、心を用いて、「そこには観照者がいるはずだ」と言いました。誰がその観照者だったのでしょうか?あなたは「私」と答えるはずです。その「私」とはいったい誰でしょうか?あなたは自分自身を自我と同一視して「私」と言います。この「私」という自我が観照者なのでしょうか?
そう語るのは心なのです。心がそれ自身の観照者になることはできません。自らに限定を押し付けておいてから、あなたはそこに心や無意識を観照する人がいると考えるのです。あなたは「私は観照者だ」とも言います。無意識を観照する人が「私は無意識を観照する」と言うべきであって、現在の心が不当にそう主張することはできないはずです。
こうしてみると、その説全体が支持できないものとなります。意識は無限です。限定された存在となったうえで、心は我がもの顔で自分自身が観照者の地位にあると不当に主張するのです。本当はそこに観照すべきものなど何もありません。「それ」は在るのです。シンプルな「存在」として。」

私が夢を見る時は映画のカメラの立ち位置のような形で見ます。当然、自分の姿も映し出されます。
他の人が自分目線で夢を見ると知った日の驚きは今でも覚えています。
これが質問者が言っている「観照者」ということでしょうか。
(守護霊さんの目線とはこんな感じなのでしょうか?守護霊さんというのが存在すれば、の話ですが。)
日常でもこういう状態になることが多々ありました。
今でも時々あります。
「それ」をこのような状態だと思っていた時期もありました。
探究していくうちに、多分違うんだろうなと気がづきました。
そして真我実現して全く違うと知りました。
「それ」は観照者という限定されたものではなく普遍に存在するのです。
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