徒然なるままに~地球クン

私の永遠のグルであるラマナ・マハルシの対話本について自分なりの解釈で語っています。

第1巻 対話245

2017-07-27 18:24:56 | 日記
真我を知識や理論上では理解できるが、それは体験ではない。どうすれば実際に実現できるのか、という質問に対して。

マハルシ「想念の不在が空白状態を意味するわけではありません。そこには空白状態を知る者がいるはずです。知識も無知も心に属します。それらは二元性から生まれ出たものです。しかし真我は知識と無知を超えています。それは光そのものなのです。真我を見るために、他の真我を必要とすることはありません。二つの真我がそこに存在しているのではありません。真我ではないもの、それが非真我です。非真我に真我を見ることはできないのです。真我にとっては見ることも聞くこともありません。真我はそれらすべてを超えたところに、純粋意識として「唯一」存在するのです。」

マハルシ「空白状態は心を探究する上で起こる悪い結果です。心はその根と枝を断ち切らなければなりません。考えているのは誰か、探究しているのは誰かを見いだしなさい。考える者、探究する者としてとどまりなさい。そうすれば、すべての想念は消え去るでしょう。」

真我を実現することは探究者にとって本当に渇望することではないでしょうか。
どうすれば実現できるのか?

マハルシが何度も繰り返し話している「実現は新たに獲得されるようなものではない、それはすでにそこに在る」ということが、真我を知ってわかりました。

マハルシが例え話をしています。首にかけていたネックレスを失ったと思い込み探し回っていたが友人から首にかかっていると教えられた話があります。ネックレスを失ったという感覚、探している間の不安、発見したときの喜びはすべてその人がつくり出しています。
真我についても同様だと話ています。

まさにその通りなのです。
とても本当に近くに在りすぎて私たちは忘れてしまっているのです。
近くに在ると知識として知っていましたが、実現して初めてここまで近くに在ったのか!と驚愕したものです。

私が真我実現できたのは、マハルシからネックレスが首にかかっていると教えられたからです。