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原爆死没者慰霊式 平和祈念式(平和記念式典)in 広島 on 2014-8-6

2014年08月07日 06時36分10秒 | Weblog
2014年8月6日、69回目の原爆死没者慰霊式 平和祈念式(平和記念式典)が挙行され
NHKテレビで8時から8時38分までLIVE中継がありました。

この中から式典の様子を写真紹介します。
式典のスケジュール(下記)

 1開式           (8:00)
 2原爆死没者名簿奉納    (8:00)
 3式辞           (8:02)
 4献花           (8:07)
 5黙とう・平和の鐘     (8:15)
 6平和宣言         (8:16) 広島市長
 7放鳩          
 8平和への誓い       (8:22) 子供代表
 9あいさつ        (8:26) 内閣総理大臣
 10ひろしま平和の歌(合唱)(8:40)
 11閉式          (8:45)

雨の中での平和祈念式典の挙行は43年ぶりだそうです。
1945年8月6日 8時15分 人類史上初めての原子爆弾が広島に落とされました。

その年に亡くなった被爆者は約14万人。

上の写真は平和祈念式典が挙行された広島平和記念公園

松井市長と遺族代表により、この1年間に死亡が確認された被爆者5,507人の原爆死没者名簿が
慰霊碑に奉納されました。
これで通算29万2,325人の原爆死没者名簿が慰霊碑に奉納されたことになります。


上の写真は「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれた慰霊碑。

NHKの番組では被爆体験者の3人の紹介と子供たちの活動を紹介


爆心地から700m離れた旧日本軍司令部で連絡係をしていた岡ヨシエさん(当時14歳)は
庶民の声は届かず政治家の判断で戦争に巻き込まれていく危険性を訴えておられました。


藤森俊希さんは1945年当時1歳で爆心地から2.3Km離れたところで被ばく、今年の2月13日-14日に
メキシコで開催されたSecond Conference on the Humanitarian Impact of Nuclear Weapons で
被爆者の一人として原爆の悲惨さについてプレゼンテーションされたことについて報道されていました。

会議の内容については下記サイトで詳細に紹介されています。
http://www.sre.gob.mx/en/index.php/humanimpact-nayarit-2014


上の写真は広島県被団協の坪井直理事長、式典のあと被爆者の声を安倍総理に伝えるとの
紹介解説がありました。
坪井氏は1945年8月6日、広島工専(現在の広島大学工学部)への通学途中、爆心地から1.5kmの地点で被爆した
そうです。


上の写真は小学校の講堂で式典の様子を観覧している児童の紹介画面。


上の写真は平和宣言を読み上げる松井一実広島市長。

平和宣言の全文は下記のとおりです。

「被爆69年の夏。灼(や)けつく日差しは「あの日」に記憶の時間(とき)を引き戻します。1945年8月6日。一発の原爆により焦土と化した広島では、幼子(おさなご)からお年寄りまで一日で何万という罪なき市民の命が絶たれ、その年のうちに14万人が亡くなりました。尊い犠牲を忘れず、惨禍を繰り返さないために被爆者の声を聞いてください。

建物疎開作業で被爆し亡くなった少年少女は約6,000人。当時12歳の中学生は、「今も戦争、原爆の傷跡は私の心と体に残っています。同級生のほとんどが即死。生きたくても生きられなかった同級生を思い、自分だけが生き残った申し訳なさで張り裂けそうになります。」と語ります。辛うじて生き延びた被爆者も、今なお深刻な心身の傷に苦しんでいます。

「水を下さい。」瀕死の声が脳裏から消えないという当時15歳の中学生。建物疎開作業で被爆し、顔は焼けただれ、大きく腫れ上がり、眉毛(まゆげ)や睫毛(まつげ)は焼け、制服は熱線でぼろぼろとなった下級生の懇願に、「重傷者に水をやると死ぬぞ。」と止められ、「耳をふさぐ思いで水を飲ませなかったのです。死ぬと分かっていれば存分に飲ませてあげられたのに。」と悔やみ続けています。

あまりにも凄絶(せいぜつ)な体験ゆえに過去を多く語らなかった人々が、年老いた今、少しずつ話し始めています。「本当の戦争の残酷な姿を知ってほしい。」と訴える原爆孤児は、廃墟の街で、橋の下、ビルの焼け跡の隅、防空壕などで着の身着のままで暮らし、食べるために盗みと喧嘩を繰り返し、教育も受けられずヤクザな人々のもとで辛うじて食いつなぐ日々を過ごした子どもたちの暮らしを語ります。

また、被爆直後、生死の境をさまよい、その後も放射線による健康不安で苦悩した当時6歳の国民学校1年生は「若い人に将来二度と同じ体験をしてほしくない。」との思いから訴えます。海外の戦争犠牲者との交流を通じて感じた「若い人たちが世界に友人を作ること」「戦争文化ではなく、平和文化を作っていく努力を怠らないこと」の大切さを。

子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪い、人生を大きく歪めた「絶対悪」をこの世からなくすためには、脅し脅され、殺し殺され、憎しみの連鎖を生み出す武力ではなく、国籍や人種、宗教などの違いを超え、人と人との繋がりを大切に、未来志向の対話ができる世界を築かなければなりません。

ヒロシマは、世界中の誰もがこのような被爆者の思いを受け止めて、核兵器廃絶と世界平和実現への道を共に歩むことを願っています。

人類の未来を決めるのは皆さん一人一人です。「あの日」の凄惨(せいさん)を極めた地獄や被爆者の人生を、もしも自分や家族の身に起きたらと、皆さん自身のこととして考えてみてください。ヒロシマ・ナガサキの悲劇を三度繰り返さないために、そして、核兵器もない、戦争もない平和な世界を築くために被爆者と共に伝え、考え、行動しましょう。

私たちも力を尽くします。加盟都市が6,200を超えた平和首長会議では世界各地に設けるリーダー都市を中心に国連やNGOなどと連携し、被爆の実相とヒロシマの願いを世界に拡げます。そして、現在の核兵器の非人道性に焦点を当て非合法化を求める動きを着実に進め、2020年までの核兵器廃絶を目指し核兵器禁止条約の交渉開始を求める国際世論を拡大します。

今年4月、NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合は「広島宣言」で世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛けました。その声に応え、オバマ大統領をはじめ核保有国の為政者の皆さんは、早期に被爆地を訪れ、自ら被爆の実相を確かめてください。そうすれば、必ず、核兵器は決して存在してはならない「絶対悪」であると確信できます。その「絶対悪」による非人道的な脅しで国を守ることを止め、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに全力で取り組んでください。

唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります。そして、今後も名実ともに平和国家の道を歩み続け、各国政府と共に新たな安全保障体制の構築に貢献するとともに、来年のNPT再検討会議に向け、核保有国と非核保有国の橋渡し役としてNPT体制を強化する役割を果たしてください。また、被爆者をはじめ放射線の影響に苦しみ続けている全ての人々に、これまで以上に寄り添い、温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう求めます。

今日ここに、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。



平成26年(2014年)8月6日

広島市長 松井 一實」


英語版はこちら


過去の平和宣言の文章は下記サイトで確認できます。

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/genre/0000000000000/1111135185460/index.html


上の写真は平和への誓いの画面


上の写真は安倍首相の挨拶

 
関連サイト

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1406368047750/index.html
英語での広島平和宣言読み上げ

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核廃絶の願いは世界に届くか? 2010年広島の平和記念式典を視聴して

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