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奈良高畑町 式内 赤穂神社 訪問記 on 2017-6-6

2017年06月15日 06時45分48秒 | 奈良情報
2017年6月6日、頭塔から薬師寺に向かう途中、表題の「赤穂神社」を見つけました
扉があったが「ご自由に、御参拝下さい。」という表札があったので境内に入り写真を撮りました。

式内 赤穂神社の基本情報

住所:奈良市高畑町1320  TEL:0742-22-3900(南都鏡神社)
御祭神:天児屋命(あめのこやねのみこと)
    天満宮(自在辻子天満宮)
    弁財天社
格式:延喜式 式内社(「赤穂神社(大和国・添上郡)」に比定) 近代社格は村社
創設:不詳だが平城遷都(710年)に際してこの地に遷座なので710年以前


赤穂神社の名前の由来
熟稲を神籬に懸け「赤丹穂に聞食し給へ」と申したことより赤穂の社と呼ばれるようになったという
(鏡神社小誌に記載)


上の写真は拝殿を臨む遠景


上の写真は右が赤穂神社本殿 左が天満宮(自在辻子天満宮)と弁財天社を祀った祠

拝殿には木彫りがありここから祠の写真を撮りました(下の2枚の写真)





上の写真は境内にあった説明板

式内 赤穂神社の由来
 古来、高畑町の春日社神官邸町の西端の地に鎮座して 久しく里人の尊崇を受け給ふ。
 平安時代「延喜式」所載の古社にしてかの二月堂お水取りに読み上ぐる神名帳にも赤穂明神とあり、
 連綿今日に 至るまで読誦せらるゝ古例なり。
 上古、天武天皇紀六年に十市皇女を同十年に氷上ノ夫人を 「赤穂ニ葬ル」とあるは蓋しこの地辺ならむ。
 もと社 広大にして数百余坪 桜樹多く幕末頃まで 桜田の 地名ありき。近世の記録には天児屋根命
 を祀るとせるも加ふるに「高貴の姫君を葬る」と口碑伝承あるはいと久しく女人守護の霊験久しかりし証なり。
 明治御一新の後、この里荒廃し二百戸近き社家・祢宜の 大半は離散して築地塀のみ虚しく残り、
 秋艸道人、堀辰雄 らの文人哀惜の詩文あり。されど、より深く嘆きまさりし里人有志、滅びゆく
 天満宮址・弁才天を合祀して赤穂社の左に配し、今に二社併存す。昭和五年以来、この地の産土神鏡神社の
 別社となり、地元有志再興の至誠を注ぎ つ、今日に至る。神徳の長久を仰ぎ先人の篤信を継承して
  復興の機運を待望する所以なり。
       昭和五十二年九月十八日 例祭の佳日
          赤穂神社 地元奉賛有志
          鏡神社・赤穂神社 宮司 梅木春和


上述の説明書きに記載の「天武天皇6年(678年)4月14日に十市皇女を、天武天皇10年(682年)に
氷上娘を「赤穂」の地に葬った」ことは『日本書紀』に記載されています。

同じく境内にあった明治5年に神職を免じられた大宮守慶さんが書かれた地図には
大正15年8月上旬 鏡神社の辻本弥彦氏によって再写

ヒメ墓が描かれておりこの頃には氷上娘の墓が赤穂神社境内にあったことが判る

Wikipediaによると
氷上娘(ひかみのいらつめ)=氷上ノ夫人 (生年? - 天武天皇11年1月18日(682年3月2日))は、
飛鳥時代の女性。藤原鎌足の娘。藤原不比等・五百重娘の姉。天武天皇の夫人で、但馬皇女の母。
氷上大刀自、氷上夫人。
天武天皇11年1月18日、宮中で薨去し、赤穂に葬られた。『万葉集』に「藤原夫人歌一首」があり、
「浄御原宮御宇天皇之夫人也 字曰氷上大刀自也」と注がある。

また新薬師寺の拝観受付近くにある鏡神社の摂社の比売神社(ひめかみしゃ)はかって比賣塚が
あった地で荒れていた塚を高校教師をされていた高畑町の寺島富郷さん夫妻の尽力で十市皇女を
御祭神として昭和56年(1981)、比売神社(ひめかみしゃ)が建立された。
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