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比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その9 琵琶湖第一疎水のトンネルと大津閘門

2017年11月11日 05時18分03秒 | 滋賀県情報
2017年10月10日から10月12日まで比叡山延暦寺と坂本を訪問しました。

本日はその第9回として2017年10月10日に訪問した琵琶湖第一疎水の琵琶湖側の
トンネルと大津閘門を写真紹介します。

三井寺への訪問の帰りに京阪電車の三井寺駅に歩いて帰る途中で偶然見つけました。


本シリーズの過去8回の記事一覧
 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その1 日吉東照宮

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その2 ケーブル坂本駅

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その3 求法寺走井元三大師堂

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その4 日吉大社

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その5 穴太衆積み石垣

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その6 慈眼堂(恵日院) 

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その7 滋賀院門跡

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その8 三井寺(園城寺)




上の2枚の写真は琵琶湖第一疎水の第一トンネル入り口
トンネルの長さは2,436mだそうです。出口は山科になります。




上の2枚の写真は現地説明板

琵琶湖第一疎水第一トンネル入り口には「気象萬千」と書かれた扁額が設置されています。
意味は「様々に変わる風光はすばらしい」で伊藤博文による揮毫。

琵琶湖疎水事業は、明治維新による東京遷都のため沈みきった京都に活力を呼び戻すため
琵琶湖疏水の建設を第3代京都府知事北垣国道が発意した。建設は田辺朔郎工学博士を
工事担当者として、明治18年(1885)起工され、同23年(1990)に竣工した。
疎水の水は水力発電、舟運、飲用、灌漑、防火などに使用された。水力発電で得られた
電力により工業が発展し日本発の電気鉄道が走るなど京都に活気をもたらしました。
多くの恵をもたらした琵琶湖疎水は今も水道事業や発電などで利用されており京都市民
の生活を支える源になっています。

上述の扁額の上部には「SAKURO TANABE DR ENG ENG-NEER-CHIEF WORK
COMMENCED AUGUST 1885 COMPLETED APRIL 1890」と書かれているようです。


上の写真は琵琶湖疎水記念館の展示パネルにあった扁額の写真(撮影:2017-4-13)







上の3枚の写真は琵琶湖第一疎水 大津閘門(こうもん)

湖水の増減にかかわらず一定の水量を送ることができるように、疏水の水面を明治16年(1883)
に起きた琵琶湖大渇水の湖面水位よりも低く設定した設計となっています。
しかし、そのままでは必要以上の水が疏水に流れ込むため、水量調整を行う堰が必要となります。
ところが今度は堰を設置すると船が航行できなくなるため、これを解消するために
閘門(こうもん)が建設されました。
大津閘門は、明治20年(1887)に起工して明治22年(1889)に完成しました。

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