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法楽山 専称寺と網干 善教先生

2017年09月11日 04時11分38秒 | 奈良情報
故網干 善教先生(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 2006年7月29日)は、
日本の考古学者、関西大学名誉教授。専門は考古学、古代史、仏教史。
文学博士(関西大学、1979年)。昭和47年(1972)、関西大学助教授で
奈良県立橿原研究所所員だった時に高松塚古墳で彩色壁画を発掘されたことで
知られています。

古代文化研究会 月刊発掘情報 第3号(1997.11.1)に網干先生が1997年の
10月4日に関西大学で行われた考古学入門講座で高松塚古墳の発掘調査について
講演された内容の要旨が掲載(Page53-56)されていました。

高松塚古墳と網干善教先生について調べていたら法楽山 専称寺が先生の生家である
ことが判りましたので備忘録として残しておきます。


上の写真は法楽山 専称寺 撮影:2017-1-9






上の3枚の写真は都塚古墳の現地説明会があった時(2014-8-16)に撮影の専称寺

法楽山 専称寺の基本情報

住所:奈良県高市郡明日香村祝戸101
宗派:浄土宗 山号:法楽山  御本尊:阿弥陀如来


Goo地図を添付
 

網干善教先生についてWikipediaより引用紹介させていただきます。

網干善教先生の父の網干順三は梶井基次郎の異母弟。順三は1924年(大正13年)9月、
奈良県磯城郡桜井町(現・桜井市)の浄土宗大願寺の徒弟となり、その後宇陀に住む
マサヱと結婚し、1927年(昭和2年)9月29日に長男の善教が生まれた。
善教の生家は石舞台古墳のすぐ下にある専称寺という浄土宗の寺で、1933年(昭和8年)
から始まった第一次石舞台発掘調査に接して考古学に関心を持つようになる。
旧制畝傍中学校(現、奈良県立畝傍高等学校)時代より、京都帝国大学考古学研究員で
あった末永雅雄(橿原考古学研究所初代所長、関西大学名誉教授、文化功労者、
文化勲章受章者)が陣頭指揮を執る石舞台古墳の発掘調査に参加するなど、考古学に傾倒し、
橿原考古学研究所に通いつめ、末永の薫陶を受ける。中学校を卒業後、佛教専門学校
(現、佛教大学)に学び、末永博士が教えていた龍谷大学文学部史学科へ進学。
以降、末永博士の講義を学部、大学院、その後と17年間聴き続けた。
龍谷大学大学院文学研究科修了。文学博士。関西大学助教授で奈良県立橿原研究所所員だった
1972年、高松塚古墳で彩色壁画を発掘、日本中に考古学ブームをもたらした。
その後、末永雅雄の後任として関西大学文学部教授、同博物館長を経て名誉教授。
その後、佛教大学講師などを歴任。末永門下で三羽烏の一人(他に森浩一、伊達宗秦)。


網干善教先生について紹介したサイトへのリンク
 http://www.ryukoku.ac.jp/about/pr/publications/70/21_greatman/index.htm

 http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200705070108.html

高松塚古墳と被葬者について紹介したサイトへのリンク
 http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_03_24.htm

2017年5月12日(金)放送の歴史秘話ヒストリア「飛鳥美人 謎の暗号を解け~高松塚壁画のヒミツ~」を視聴して
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