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ひろしとのぶことミー子の日々。

鳴門渦潮観潮クルージング

2007年10月31日 22時37分10秒 | Weblog
脳血管障害による障害者の交流会の 「暖流会」から一泊の旅行へ。

いつもは 片男波や加太海岸から紀淡海峡をへだてて眺めている淡路島へとバスにゆられてやってきた。
大阪湾をまわり 明石海峡大橋をわたり 鳴門渦潮を観るために南あわじ市の伊毘港へ。
着いたところは小さな港。
え!もしかしてこんな小さな船に乗るの?

帆船の観光船を想像していた私はびっくり。
観潮船「ヘリオス号」は私達20名が乗るともう満員という感じの小型船。

船長さんやバスの運転手さんやみんなに車椅子のまま持ち上げてもらってひろしも ようやく乗船  しりごみしていた歩行困難な方たちもみんな助けてもらって乗船

クルージング船が海上へ走り出すと
爽快な 心地よい風を受け 海面の真近 水位に近いところに座っているから波のしぶきがかかるくらいの臨場感でみんなは歓声をあげる。

あっという間に 目の前に鳴門海峡に架かる 大鳴門橋が見えてきた。


船長さんが 鳴門海峡に渦潮が生まれる理由を説明してくださるが 科学オンチの私はわかったようなわからないような・・・・・?

瀬戸内海と紀伊水道の干潮の水位の差がこの鳴門海峡独特の海底の地形と合わさって 渦潮が発生するということ。

海面が白く波立ち渦巻くのが右手 左手と見えはじめる。
真近に音をたてて飛沫をあげて巻く渦潮にまたまた歓声 
大鳴門橋の真下がこんなに渦巻いていたとは。

「このあたりが本流で 水深百メートルあります」 うわー!

干潮差は一日4回毎日繰り返されるという。

目の前の渦潮を観ながらの説明に 自然のおりなす不思議さに驚くとともになんともいえない感動を味わった。

それは  なにかしら不自由な体のみんなが こういう機会でなければ 渦潮観潮のクルージングなんか体験できないゆえの大きな 感動 大きなよろこび にとつながっているように思った。

伊毘港に戻り 乗船の時の緊張もとけみんな笑顔 笑顔。
バスは一路 今宵の宿泊地 神戸へとふたたび明石海峡大橋をわたった。



隼人瓜

2007年10月30日 00時18分32秒 | Weblog
葉っぱばかりが茂ってぐんぐん広がり伸びて 百日紅の木をはいのぼり お隣の垣根を伝ってついにお隣の庭に進入 そして植木にまで伸びていった 隼人瓜{はやとうり}

時々見上げて 花がさいてるのは気がついていたけれど 今日はよくよくながめるとまあまあ 知らぬ間にたくさん実がなっていること。

隼人瓜 熱帯アメリカ原産で 鹿児島県で栽培されはじめたことから 薩摩隼人の隼人瓜となったとのこと。
これも 亡き父がおもしろがって栽培しはじめたもので うまく育てると一株から百個以上というくらいに実がなるので 食べていただくのにあちこちと配っていたのを思い出す。

そして 種ではなくて この隼人瓜の実のままを春に土に埋めるとだんだんに成長してくるというほんとうにおもしろい植物。
だから 今実っているこの隼人瓜は父が生前に育てていたものからずーとつながって 妹やいとこや知人のところで今年も実りつづけている。

私も父がなくなった後から 毎年 春には昨年からとって置いた実を埋める。
何年かは なかなかうまくたくさんの実がつかなかったけれど 今年はなんだかたくさん実りそう。

でもどうしよう たくさん実ったら・・・・隼人瓜で毎日のメニューを考えないと! おいしい料理のレシピをつけてみんなに配らないと!

糠づけ や サラダ おでんの具 大根のように煮物・・・きゅうりもみのようにしたり・・浅づけもおいしいとか・・・
でもきっと食べきれないし なんかおいしい食べ方があったら教えてくださーい。

洋ナシのような形をしてぶらさがっている隼人瓜をながめながら きょうは一日父のことを思い出して過ごしました。



秋祭り

2007年10月28日 22時24分50秒 | Weblog
朝から雲ひとつない青空 あかるい秋の光が満ちている。

冬支度もまだなんにもできていない我が家 しなくてはならないことがいっぱいなのに 「さあ 今日はどこへ行こうかな」とだれかさんがつぶやいている。

このごろ紀ノ川沿いがお気に入りなので 「じゃあ 慈尊院へ」
この前もはしった高野山の麓だから少しは地理感覚もあってすいすいと目指す九度山町。

高野山の表玄関である 慈尊院は「女人高野」といわれ 高野山への参詣が禁止されていた女人はこの慈尊院までお参りしたという。
弘法大師の御母公もわが子の開いている山を見たいと参られこの慈尊院に滞在 大師は 月に九度はかならず高野山 山上から20数キロの道を下って母を尋ねられたそうでそのことから 地名を九度山町と称すようになったという。
母亡きあとはここにご自作の弥勒菩薩とともに母のみ霊をまつられたという。

紀伊山地の北と南の二大聖地 高野山と熊野 世界遺産の「紀伊山地の霊場と参詣道」に慈尊院はふくまれている。

参詣の方の手を借りて車椅子のままで境内にはいることができた。
ここから高野山奥の院まで表参道の高野山町石道がはじまるので杖を持って歩くすがたの一行もお参りしていた。

境内から庭つづきに急な見上げるような石段があり 丹生官省府神社と石碑にかかれていた。
「せっかくだからお参りしてくるね」
108段登りつめるとそこには 下からは見えなかった風景が。
法被を着た人達 大勢の子供や村人らしき人びと 「きょうはお祭り?」
 
「秋の官省府祭り  もうすぐもちまきが始まるよ」と教えてくれた。
「何にも知らずきたんだけど お祭りだったんね」
「せっかくだから おもちをひらって行ったら」とビニール袋をくださった。
えー?もちまき? 「じゃあ 記念にひとつでも拾おうかな」
まんなかに高台が組まれ法被姿の男性達が5・6人

しばらくすると  わーという声とともにもちまきがはじまり 人垣がくづれ歓声があがる。
目の前に紅白のおもちがばらばらと降ってくる。

いつのまにか私は一生懸命手をあげたり 足元にころがってきたのをひらったりして その袋のなかへおもちをほうりこんでいた。
たくさんの手が重なり合っても 遠慮しないでぱっぱとすばやくおもちをつかんでいた。
おもしろいように頭にあたったり 足元にころがってきたり・・・
気がついたら 袋がなんだか重たーい。

半分恥ずかしい気持ちと半分うれしい気持ち
あわてて石段を下りて ひろしの車椅子をさがした。
「すごーい おみやげだよ」

ながい階段を下りてくる神輿を見学 思わぬ秋祭りへの参加ができた秋の一日でした。

   秋光やここより高野へ祈り道   








秋明菊

2007年10月26日 23時39分11秒 | Weblog
庭のひと隅 秋明菊が咲き継いでいる。
まだ明けやらぬ早朝や日の落ちた夕暮れ時 はっとするような白さで咲いている。
すっと伸びた茎 丸いつぼみ ほんとうは花びらではなくてガクだというけれど私にとっては真白い花びら 白い一重の秋明菊は秋の庭で一番好きな花。

私は秋明菊というとほんとうに純粋に日本の花で白色だけだとばかり思っていた。
昨年 京都府立植物園で はじめて淡紅紫色の貴船菊{キブネギク}を秋明菊ということを知った。
古い時代に中国からわたってきた帰化植物で 白色などは後に交配してうまれたということなども知ってびっくりしたものだ。

先日 天野の里に行った時 里の民家の門辺に 白い秋明菊が思わぬ背丈に咲いていた。
澄み切った青空のもと秋明菊の 秋日にひかるような白さが稲穂の黄金色と映えてなんともいえないさわやかな風情だった。
写真に撮らなかったことが残念だけど 今も私のなかに 忘れられない風景として残っている。


十三夜

2007年10月23日 21時22分31秒 | Weblog
いつものように夕暮れ時 ひろしは 近所を少し散歩する。
7月にころんでからは私もつきそうようになったので ひろしの速度にあわせてふたりで歩く。

南の空の東方にうっすらと夕月が。
「ああ そうだ 今日は十三夜  あれが十三夜のお月さんさんよ。」
杖の先ばっかり見ながら歩くから 目に入らないひろしを支えて しばし 十三夜のお月見。

ひきかえすころになると 日も落ちて空も濃い色になり月もくっきりとさわやかに昇っている。

十三夜 仲秋の名月から一ヶ月近くおくれた秋も深まった頃にしかも満月ではなく少しかけた月を愛でるとは ・・・・
いにしえの人はなんと優雅な心で自然を賞したのだなあと思う。
後の月 とよんだり 栗や大豆が熟れる時季にあたるので これらをお供えして栗名月 豆名月ともいうとのこと。

夕食後 庭からもう一度十三夜の月を見上げた。
なんにもお供えしてないけれど 少し肌寒い雲ひとつない中天に月は昇っていた

ほんとうに静かな澄み切った十三夜。かすかに残った虫の音がきこえてきた。

すずめうり

2007年10月21日 23時45分26秒 | Weblog
澄み切った青空 さわやかな空気 明るくあたたかい日差し
秋は日 一日と深まってゆくようです。

野山 庭木 街路樹 などの草木にいろいろ実がなりたのしい季節

何年か前に はじめて このすずめうりを教えてもらった時 なんてかわいいもの神様はつくられたのだろうと 思ったものだ。
マスカットグリーンというのだろうか さみどりのⅠセンチくらいのちいさな珠がぶうらぶら   からすうりより小さいからすずめうりって名がついたそうな。
もう少し熟してくるとこのみどりの色から白っぽい色の実になってゆく。
 
  すずめうり今にも音の鳴るような   
 
一日ゆっくりと野山を歩きたいような秋晴の一日でした。


秋雨

2007年10月19日 21時36分40秒 | Weblog
昨日までのあの秋晴がうそのように夜来の雨
朝の目覚めも秋雨の音 雨の音をしみじみ聴くのも久しぶりの感じがする。

窓をあけてしとしとと降る雨をしばらくながめていた。

ふっと気がつくとさっきまでの細い雨がやんでいる。
まだ雨音がしているような庭にでてみると しっとりと濡れた庭の草木 雑草までがどこか風情がある。

今年のわが庭 水引草が繁茂してどこかしことと細かい紅色をみせている。
今朝は雨露をつけた 水引草 が杜鵑草{ほととぎす}とまじりあってなんともいえない秋らしい庭となっている。

さあ あたたかいカフェ・オーレをつくって朝食としよう。 

紅葉狩り

2007年10月17日 23時25分48秒 | Weblog
パソコンのメールの添付写真をひらいた。
そこにはぱーと見事な紅葉の景色がひろがった。

ひろしの友人が御嶽山にのぼりそのあまりに美しい紅葉の風景に「夢のような紅葉の一端をおすそわけ」とおくってくださった。

今年は例年より10日ぐらい紅葉がおくれたとかで 予期せぬ紅葉の最盛期にであえたとのこと。

やっと涼しくなったこの地ではまだまだ紅葉なんか想像もつかないけれど おかげさまでひとあし早くパソコンの画面で紅葉狩り。
ありがとう!


秋の夕日

2007年10月14日 23時47分30秒 | Weblog
   
    西のお空は
    あかね色
    あかいお日さま
    海のなか

    東のお空
    真珠いろ
    まるい、黄色い
    お月さま

    日ぐれに落ちた
    お日さまと
    夜あけに沈む
    お月さま、
    逢うたは深い
    海の底。

夕暮れ時の海辺へよくでかける。
いつもだんだんと沈んでゆく夕日をなーんにも言わずに ふたりでながめている。

かなたの水平線をながめていると 金子みすずのこんな詩をふっとおもいだしてきた。

砂浜を高校生らしい制服の男女がそっと手をつないで歩きながら夕日を見ていた。
「あのふたり きょうの夕日の美しさをきっと忘れないだろうね」




丹生都比売神社

2007年10月12日 23時52分24秒 | Weblog
秋の一日 紀ノ川にそって走った日 ぜひたずねてみたいと思っていた高野山の麓 天野{あまの}の里の丹生都比売{にうつひめ}神社までいった。

世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の丹生都比売神社境内として世界遺産に登録された神社である。
天野の里にはいるとなにかなつかしいふるさとのたたずまい のんびりとしたほんのりとした里  こんもりとした杉木立のなかに朱色の太鼓橋が見え 丹生都比売神社についた。
 
車椅子で境内におりたつと目の前に堂々たる楼門
息子が厄年にはいるので厄除けのご祈祷をお願いする。

「お父さんもどうぞお上がりください」といってくださり 階段は無理なので横のでこぼこ道を車椅子を押して楼門まであがる。
拝殿に通していただき 正装に着替えられた 宮司さんが わたしたちふたりのためにご祈祷の儀式をしてくださった。
 
ご祈祷の終わった後 ていねいにこの神社の歴史をかたってくださった。

丹生都比売大神 は天照大御神の妹神で1700年前の神代にこの天野の地に当社を創建 されたという。
弘法大師はこの神から神領である高野山を借り受けて1200年前に開山 ゆえに丹生都比売大神は 真言密教の守り神として高野山にも祀られているとのこと 

このようにこの地に神仏が融合した古代からの日本人の信仰が今に残るということから 世界遺産に登録されたということ。
異宗教が融合しているということが 他の民族からは考えられないほど不思議なことらしい。

私たちは普段は無宗教的な生活をしているのに いざというときは
「ああ 神様 仏様」と つい思って手をあわせてしまう。
典型的な日本人だなあと顔をみあわせた。
神様 仏様に息子の厄除けの祈願ができて ほっとひと安心の平凡な両親でした。