小さな音楽家のブログ

考えたあらゆることのうち、誰かにきいてほしいなと思ったことを書きます。音楽のことが多いです。

秋の夕暮れに散歩をしたときのこと

2016年10月13日 17時24分47秒 | 日記
疲れたので、近所の池と柳のある公園にきてベンチに座った。風はやわらかで空気はすっかり秋めいて、小学校を終えた子供達が走り回って遊んでいる。豆腐屋のラッパの音が遠くから聞こえる。ブランコの軋む音が聞こえる。

僕はこんな時にもいつも、ついiPhone の画面を見つめていて空を見上げることを忘れている。ところがこの日は幸運なことにそれを思い出した。
そこには、筋雲、あるいらまだら雲、あるいはうろこ雲が青空と半々くらいの比率で浮かんでいた。その下に柳のシルエットが浮かぶ。僕は西向きに、つまり太陽に正対して座っていた。陽は沈みかけて、公園ををうっすらと金色に染めていた。

暫しの間見上げていると、雲が動いていることに気づいた。ゆっくりと、左から右へ。空全体が動いている。風だろうか?地球の自転だろうか?どちらにせよ、僕は地球が丸いということ、回っているということ、そして空が僕の頭上を覆っているということをそのとき知った。

下から照らされた雲は金色に浮かんでいる。でもそのうちに陽は沈んで行き、薄暗い夜の世界が、僕の背中の方角からひんやりと訪れようとしていた。母親の、子を呼ぶ声がする。
とうとうすっかり灰色の煙のようになった雲は、なおも左から右へ動いていた。空の金色は、うっすらとしたオレンジになって消えようとしていた。ああ、地球がまるで乗り物のように感ぜられる。あるいは、天球…空の描かれた巨大な屋根が、ゆっくりと回転している。
僕は腰を上げて家路を辿った。狭い団地を抜ける。空を見上げれば、世界は小さいようにも感じる。それでいて、見下ろせば人はあまりに多い。家の数も。

あと数十分もすれば、青かった空の外にある、暗闇と星々の世界が訪れる。そう、むしろ夜こそが真理の扉を開くのだ。明るい時には見えなかったもの。太陽という偉大なる母の眩しさに見えなかったものが、冷たい絶対的な孤独の中でこそ見える。

秋の夕暮れは、母の温もりと冷たい真理のはざまで揺れる、ヒトの心だった。

家のドアノブに手をかけながらもう一度空を見上げると、アパートとアパートの隙間から、満月が見えていた。
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