小さな音楽家のブログ

考えたことをぼんやり書いていくだけのブログ。音楽のことが多いかも。

「君の名は。」観てきたよ

2016年09月18日 11時39分50秒 | 映画・テレビ・アニメ
あまりこういうオタク的な解釈はしたくないが、結末部分は、「秒速」のアンチテーゼをやったというわけだ。まあ、同じことを2回もやるわけにはいかんから、当然とも言える。ラストは秒速〜と全く同じ風景を繰り返しながら、真逆のオチに到着した。
当たり前ですが、あの後二人は結婚します(笑)
監督曰く。今までオレの感傷のために散々不幸にしてきたキャラたち、ゴメンなあ、なんとか幸せにしてやりたい。
タカキ、お前もそのままじゃ弱ってやせ細って死んじゃうよ。
「今度はちゃんと幸せになりなよ」(by指輪をした、アカリ…じゃなくて奥寺先輩…の姿を借りた監督)

そして監督は思いついた、そーだ、こうこうこうして出会わせてあげれば、幸せにしてやれるじゃん!
そしてタカキは、アカリではないけど、自分やアカリと同じような過去を持っていて、ずっと誰かに会いたいと願い続けていた人と…とうとう、出会うのだ。
ハッピーエンディンッ!

しかしこれは他作品の存在を持ち出した、オタク的な少々ズルい回答である。
秒速〜の存在を度外視して考えるなら、今回の結末は個人的には釈然としない。


でもさでもさ、タキくん…タカキくん……ん?似てない??笑

※※※

「お前は誰だ!」

自分から自分への問いかけとして使われるこのセリフ。
直接的な問いかけだ。
僕らにとって、また特に主人公と同世代の人たちにとって、それは一番大きな問題でもある。
「僕って誰なんだろう。私って何者なんだろう」
三葉やてっしーはそれぞれに、自分の見えない将来を見つめる。
これを大きなテーマにして、入れ替りの物語がスタートする。

自分の中にいる他人。それは自分の一部でもあり自分自身でもある。これは「転校生」以来の変わらぬモチーフだ。
また誰しも、自分の中にはもうひとりの別な自分がいるように思ったりするものである。特に思春期の頃などは…ね。これをファンタジーでやると、「入れ替り」が生まれるわけだ。

三葉は死ぬ。…とは??
三葉が瀧自身でもあるなら、つまり瀧くんの中の何が死んだのだろう。
フム。
瀧くんのパーソナリティは、だいぶ謎だ。なぜ瀧くんは三葉と入れ替わった?
三葉の方にはそれなりの理由がある…糸森という星の墜ちる地、それを予言する宮水の血筋。そして物語序盤、三葉はその両方に対して辟易しており、都会へ憧れているこが語られる。
一方瀧くんは何やら普通の高校生で、別に都会を嫌ってもいないし、憧れの女性もいたりして、特に不自由もなさそう。
たった一つヒントがある。それは瀧くんは父子家庭ということだ。母がいない。欠損したものを補うように、三葉が入り込んだ。まあ僕が思いつくのはこのくらいのところさな。
(しかし瀧くんママはもう少し物語に絡んでくると思ったが、全く出てこんかったね。しかし、そのことによって存在感があるのも確かだな。)

あと一歩下がって見るならば。瀧くんは主人公であり、観客の僕らの分身でもある。だから、普通なのだ。僕ら皆、普通ながらにも分裂した精神を抱えて生きている。特別じゃなくても悩む。だから瀧くんは普通で良いのである。

というわけで話を戻すと、瀧くんの中の三葉の死。これは亡き母からの独りだちであったり、思春期の終りであると言える。

……………ここで、終わってれば、ネ。

※※※

そうなんですよ。ここで終わらないんだな、これが。「秒速」的なお話ならばここで終わりだ。三葉の死を知る瀧くん。どうにかして生き返らせたいといろいろ調べる。でもムリ。過去を変えるなんて、できるわけないんだ…。忘れてしまう、でも忘れてはいけない。でも諦めるしかないんだ…。
しかし忘れるということは、同時にポジティブなことであるのかもしれない………。終。

これね。これだとわかりやすいのよな。ちなみにこのパターンで終わった映画を僕は知っていて、それは大林宣彦監督が自らリメイクした「転校生」だ。「さよならあなた」という副題がついているやつ。

今回の「君の名は」も中盤くらいまでは、まあこのパターンで終わるだろうな、と思いながら見ていた。
だいたい、震災のオマージュをあれだけやっておいて、それをきれいさっぱり無かったことにしていいんかいな?!

主人公の自分なりの「お前は誰だ!」への回答と、あの大勢が死んだ震災、決して戻ってこない人々を忘れるなよ、3年経っても5年経っても。そういうメッセージで終わるんだろと思った。

がしかし。
今回の新海誠はそうしなかった。
ここから、なんと「バックトゥザフューチャー」が始まってしまうのだ(笑)
過去に戻って色々やって、未来を良い方向に変える!!
…こんなのってもう何千回見たことか。手垢のついた作劇だ。つうかルール違反の裏ワザだよ、タイムスリップなんて。禁じ手だ。

ここが釈然としないポイント。
震災を僕らは無かったことにはできないもの。
(ちなみに今回僕が唯一、ボロボロと泣けたのは、防災無線のシーンだった。高校生が学校の放送室から発信するにしては、お役所言葉のリアルな防災無線。南三陸の…。「防災無線」の言葉自体、震災で皆が知った言葉だ。そういう点で強いオマージュ)


ところで、釈然としないポイントを、鬼の首を取ったようにあげつらうのは簡単だが、そういうところに物語のキモがあるはずなのだ。
このことを踏まえて次へ。

※※※

解釈を続けよう。核心に迫ってみようと思う。

東京が固有名詞(新宿バスタとか)まで出してリアルに描かれる分、糸森のファタジー性は浮きたつ。2つのクレーターがある幻の地。ここは「雪国」であり「ホグワーツ」だ。
だから二人の出会いは、現実と非現実の邂逅でもある。
糸森は瀧くんの幻想世界だ。そう、母のいない精神的な欠損を埋めるための。あるいは誰もが持つ、自分というものの不確実感や、灰色な未来への不安を埋めるための。
瀧くんは糸森に、そして三葉に心を奪われてゆく。
しかし三葉は死ぬ。
ここを乗り越えられるかが瀧くんにとって生死の分かれ目だ。
どうやって乗り越えるかだ。


瀧くんは三葉を生かしたいと願った。
禁じ手を発動しまくって、悲しいことぜーんぶチャラにして。
それは、ある意味、自己肯定なのだ。
生きていていいんだよ!!!!!という心の叫び。
自分の半分と邂逅して、そして、すきだ、と言えること。僕らは自分に好きだと言えるだろうか。

糸森は彗星で消し飛ぶ。入れ替りも終わって、三葉のことは忘れてしまう。でも、あのとき三葉を死なせなかったことは、5年後の瀧くんに確かなものを与えている。

5年といえば、タカキが東京を離れて、再び戻ってくるまでの時間だ。
タカキと比べてみなよ!笑
瀧くん、高校時代からの友達がいる。大学も卒業間近で、自分のやりたいことがある。就活の面接のシーンでは確かに、糸森の記憶が彼のパーソナリティを形成してることがわかる。
ああ、それに対してタカキ、お前は…(笑)
5年…それは初恋が彼方へ消えて、少年が青年になる時間だ。

※※※

ラストシーンについて。

そういうわけなので、結論から言っちゃうと、最後に会ったのは、あれは三葉じゃありません!!(笑)
というか、三葉でも良いけど別にそうじゃなくても良いよね、ということだ。
瀧くんと同じように、わたしにも昔誰か大切な人がいたような気がする、ていうどこかの1人の女性。
夢は夢だったのだから。物語しては夢オチじゃないよ。解釈として、ね。

瀧くんは5年経ってもわからないことばっかり。これからの自分についてのことも、まだハッキリはしない。
でもさ、そんなもん分かる人おらんわさ。大人でも。
自分とは何者か、分かる人おる?
それは一生の問いかけだ。それに、1日1日、僕らは答えを見つけていかなければならない。間違ったりもする。勘違いもするけれど。でもそうしないと、僕は本当に消えてしまうから。

では、その答えを見つける方法は??
タカキにさせてやれなかったこと。
それは…。

※※※

…それは、出会うこと。新しい誰かに出会って、その人の名を呼ぶこと。そして、自分の名前を呼んでもらうこと。

「名前」は誰かに呼んでもらうことによって初めて成り立つ。他人の認識によって自己はようやく存在できる。また他人を認識することによって、僕らは自らを確認する。人は一人じゃ生きていけない。
夢の世界はいつか消えてしまう。「ちゃんと幸せになる」ってのは、現実世界で、ちゃんと、名前を呼んでもらう。そういうことだ。

冒頭の「秒速〜裏返し論」に集約されてきちゃったな。しかし僕には同じ作品の裏表に見えるよ。

※※※

以上で僕の君の名は、論は終了。
もしもまた観る機会があれば、そのときには違って見えるだろう。それも、楽しみだ。
以下、書き洩らしたことなどつらつらと。



○彗星をぼけーっと眺める14歳の瀧くん。3年後に強い悲しみとともにその出来事を見つめることになる。所詮は遠くの出来事。震災にせよ、戦争にせよ、親しい人がいたら急に悲しくなって、親しくない人の死には何も感じない。そういう、僕らの姿だ。

○やっぱりすごくキレイ!くちかみ酒を飲んでタイムスリップするシーンや彗星は、本当に新海節といいますか、美しかった。
それに山の端で二人の出会うシーンも最高にきれい。

○テンポが良くて、楽しい!これって作品の良不良の分かれ目よなあ。入れ替わってみたい!と思ってワクワクするのはこの手の作品の常だ。

○オープニング、いらなくね?長い映画なんだから、あの歌に合わせた只のオープニングはいらなかった気がする。謎。

○シンゴジラにしても思ったが、震災が語られてゆく時代になったのだな。

○飛騨の茶屋の主人に軽い違和感を感じたのは、ファンタジー世界糸森に生れて現実に生きているからだ。まあこんな穿った解釈してるからなんだけど(笑)

○彗星が落ちる。二つに分かれて。彗星の核…それは瀧くんの核。自分の半分は糸森に落ちて、自分の半分である三葉を殺す。これも象徴的だ。

○表面上のストーリーで、細かいツッコミ所、岡田斗司夫に言わせればアタマの悪い所、はいくつかあった。3年のズレには一瞬で気付くでしょ、とか。
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