小さな音楽家のブログ

考えたことをぼんやり書いていくだけのブログ。音楽のことが多いかも。

作曲家の言葉って 1

2016年07月08日 05時30分16秒 | 音楽
今日は、僕の知っている御伽噺を皆さんにお話しようと思う。

……


あるヨーロッパの片田舎に、Yという名のしがない作曲家がいた。彼は有名な音楽学校を卒業し、若い頃はどうにか名をあげようと、音楽の盛んな都会で懸命に曲を書いた。けれどちっとも売れなかった。苦しい生活が何年も続いた。朝と夜が目まぐるしく移り代わり、季節はものすごい早さで回転し、手は真っ黒になり爪は割れ、額にはピアノ線をきつく押し付けたような深い皺が何本も刻まれた。人が見れば、彼は年齢より10歳も年をとって見えた。
彼は、狭狭しく建物が立ち並んだ街の中心部の、その中でも一番古いアパルトマンに住んでいた。どの建物の壁も、その間をぐねぐねと這う煉瓦畳の細い道も、どこもかしこも煤けきって汚れ、おまけに一日じゅう日の光は当たらず、いつも薄暗かった。
彼の狭い部屋の中は、半分まで音符が書かれた五線紙の山で埋め尽くされ、その上にはそれと同じくらいの埃がかぶっていた。

ある暖かな春の朝、ベッドの中で目覚めて唐突に、彼は田舎へ行くことを決心した。
彼はその日のうちに荷物をまとめ、次の日には少ない友人を訪ねて別れの言葉を交わし、その次の日には行き先を決めて電車の切符を買った。都会での最後の夜、彼の部屋には満月の光が煌々と差し込み、古びた家具や、食器や、紙くずがまるで宝石のように輝いた。壁際の茶色い傷だらけのピアノは、月の光にその弦を震わして優しく響き出した。作曲家は恍惚としてその響きに聴き入り、埃の積もった部屋に佇んだ。
そして夜が明けたその朝、彼は電車に乗って、その十年と少し住んだ地をゆっくりと離れて行ったのだった。


行き先は、数年前の同じ春に、あるピアノ弾きの友人と訪ねた南の方の田舎であった。草木の緑が美しく、小川がせせらぎ、ひなげしの花が明るく咲く丘のある地だった。
彼はそこからほど近い村の一角の、誰も住まなくなった小屋を借りた。ここにはそういう小屋がいくつかあった。
彼はその新しい小さな住処に着くなりベッドに身を投げた。ベッドは急な久々の来客に軋んだ音を立てた。でも彼がその音を聞くことはなかった。
彼はそのままそこで、三日三晩眠り続けた。



※※※

今回はここまで。

昨年、Tマエストロのタクトで、彼の自作自演のオーケストラに参加した。
曲はずいぶん昔に書かれた曲で、詩人D氏の反戦の詩に取材した、合唱とオーケストラのための交響組曲であった。
演奏が始まる前、司会者がマエストロに尋ねた。「どうですか、この曲というのは、どういった曲なんですか。あの大戦のことを、原爆のことを曲にされたのですよね。」
司会者が、感動的で雄大な芸術家の祈りや怒り、信念、そういうものを聞き出して、バラエティ番組見たく大いに盛り上げようとしているのが伝わった。
しかしTマエストロ淡々と、以下のようなことを語っただけだった。
「まあ、こんな曲は演奏しなくてよくて、皆が、ああ昔そんなこともあったねと、そう思ってるようなら良いんだけど、どうも最近の世の中、そうも言ってられなくなってきたという感じがするので」

自分の曲について、なんの感動もないかのように語っていた。
その後の演奏、素晴らしい演奏だった。マエストロのタクトは全霊の力をこめて振られ、その体からはものすごい気迫が生まれていた。

僕はこの時のことを、作曲家が自分の作品について語るときの例としてよく思い出す。
往々にして、作曲家は自分の作品についてアレコレ語らないのだ。
あくまで音楽は聴き手のものなのだから、聴き手や、演奏家の自由なる精神に委ねたいという思いも大きいだろう。
また、音楽は音楽であって、言葉では表現し得ない。もし言葉で表現できるのなら、最初からそうしていればいいのだから。
言葉は必要ない、楽譜や演奏が、全てを言っているもの。そういうこともあるだろう。
また、ちょっとした羞恥心やプライドみたいなものもあるだろう。
自作について熱弁するというのはちょっと恥ずかしい。というか誰だってそうだろうけど、本当のことを言うってのは、恥ずかしいし勇気のいることなのだ。音楽含めて芸術てのは全裸になった自分であって心の底の一番見せたくないものまでさらけ出しているものなのだから、それをおいそれと説明できるわけないのだ。
ときには本心を隠して嘘だってつく。ポケットスコアの解説文に「作曲者はこの曲について~~~と言っている」等の文言を目にすることはよくあるが、半分くらいは「嘘つけ(笑)」と思う。
上のTマエストロにしても、本当に「戦争のことなんかみんな忘れてればいいよ」なんて思っているわけないのだ。もちろん、そういう時代が来ることは、ある意味理想ではあるのだけれど。だってそうだったらこんな曲書かないよ。絶対に、絶対に忘れちゃいけない、私が、我々が。そんな強烈な炎たる意志が芽生えたから、この曲を書いたのだ。
曲を聞けば分かる、この曲の作曲者がどれだけの思いを持ってこの曲を書いたか。このスコアの上に何百粒の涙が落ちているか。
つまり、作曲者の言葉って、ホントあてにならんよ、て話。
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