直近のマイブームです。
けれど私の場合、好きな服を着ていい仕事場と、そうでない仕事場を明確に分けることは必須課題。
教育の場にモードを持ち込むことが、しかも私ひとりだけの選択を持ち込むことが、
必ずしも音楽を志す子供たちの美的感覚や感性の構成に一役買うとも思えないからいいけれど、
いっそ、教育者専門のモードブランドとか作ったら、素敵なんじゃないでしょーか。
アン・ドゥムルメステールなんていいけど、ご父兄の視線には少しハードすぎる。
それにしても子供たちの目に触れるファッションって、実際はどのくらい影響があるのかちょっと興味があります。
毎日冴えない服を着た大人の中で育った子供と、毎日シックなモードの追及を叩き込まれて育った子供だと、どっちが美的感覚が伸びやすいんだろう。
前者の環境でも、偉大な画家で自分の身なりには無頓着な人だった、とか、
偉大な作曲家で世にも美しい交響曲を書くが、ひとたび自分の服となると乞食のよう、
なんて実在する話だし、本当は大して関係ないのかしら。
脳の形成には、ストイックな感性より、むしろ色彩の拡がりを擦り込んだほうが、活性化しそうだし。
実際のところは、どうなんでしょう。
まぁ、本人たちの自由か。なんて、思ったりもします。
独り言でした
けれど私の場合、好きな服を着ていい仕事場と、そうでない仕事場を明確に分けることは必須課題。
教育の場にモードを持ち込むことが、しかも私ひとりだけの選択を持ち込むことが、
必ずしも音楽を志す子供たちの美的感覚や感性の構成に一役買うとも思えないからいいけれど、
いっそ、教育者専門のモードブランドとか作ったら、素敵なんじゃないでしょーか。
アン・ドゥムルメステールなんていいけど、ご父兄の視線には少しハードすぎる。
それにしても子供たちの目に触れるファッションって、実際はどのくらい影響があるのかちょっと興味があります。
毎日冴えない服を着た大人の中で育った子供と、毎日シックなモードの追及を叩き込まれて育った子供だと、どっちが美的感覚が伸びやすいんだろう。
前者の環境でも、偉大な画家で自分の身なりには無頓着な人だった、とか、
偉大な作曲家で世にも美しい交響曲を書くが、ひとたび自分の服となると乞食のよう、
なんて実在する話だし、本当は大して関係ないのかしら。
脳の形成には、ストイックな感性より、むしろ色彩の拡がりを擦り込んだほうが、活性化しそうだし。
実際のところは、どうなんでしょう。
まぁ、本人たちの自由か。なんて、思ったりもします。
独り言でした












