
皆様には旧年中、大変お世話になりましたm(__)m
2011年も、よろしくお願い致します
・・・はい
もうすでに1週間が経ってますね。
今年は、年末年始をまたいで7日連勤しましたね。はい。
もう〜、私のつぶやきをご覧になって下さった方はもうご存知かと思いますがw
元旦から、まさか
「まさか」しか出てきませんからねwww
元旦、ホテルに預かってた犬が。
夕方の散歩のために犬舎に入ったら・・・
仔犬を産んでたんですorz
しかも5匹。
まぁ、全部無事にちゃんと産まれてたから良かったんですけどね・・・
しかも、30日に電話があって、31日から預かってくれ、という、
「年末年始なめてんのか」
みたいな予約入れてた人だったんで、捨てたのかと思いましたよ、マジで。
でも、飼い主も妊娠してる事にすら気付いていなかったという・・・
・・・バカか?
まぁ、ちゃんと迎えに来てくれたから良かったんですけどね。
私と1人の後輩が第一発見者だったんですが、
(ロッキーを引き取った時、ランちゃん失踪の時など
常に何かのトラブルに遭遇するのはこの2人・爆)
あの時の後輩の顔は一生忘れませんwww
後輩は、あの時の光景がよほど衝撃だったらしく、
ふとした瞬間、ボーっとしてる時、目を瞑った時、
自分がまたあの時の犬舎に入って見つける、という場面が延々とリプレイされるらしいwww
もうトラウマじゃん
私にしても、お陰さまで、今年の
夢でした。。。orz
ちなみに、↑の後輩も同じように仕事してる夢だったそうですw
しかも、仔犬の世話をしてる夢(爆)
どんだけw
でも、初夢はほかにいくつか見てるんですよねー
起きた途端に、ほとんど忘れたけど。
そのうちの1つで、覚えてるのが、
何か巨大な人たちが4〜5人いて、
私は彼らに比べると一寸法師くらいの大きさ。
彼らの雰囲気は、何か「閻魔大王さま」とか「達磨大師」みたいな感じで、
着物で、堂々としてて、豪快で、髭面wみたいな・・・
(「達磨大師」は画像参照)
全般通して、イメージカラーは「赤」。
で、その巨大なおっさん達に、
これまた巨大な「彼らサイズ」の「朱塗りの杯(さかずき)」を1つ1つ渡していく役・・・
みたいな夢
意味が分からん。
でも、縁起は良さそう???
まぁ、元旦から、目出度いっちゃめでたいよねwいろいろwww
初詣は、うちの敷地内に伏見稲荷の分社の神社があるので、
そこにとりあえず三が日中にご挨拶しといて、
10日くらい過ぎて落ち着いてから家から山を下って30分の所にある
結構有名な神社にお参りするのが、ここ2、3年のパターンなんですが。
今年も元旦に、犬の散歩ついでに軽くお辞儀だけで、
「今年も、ここに来る犬やネコたちをお守りください」
って拝んだその日の出来事だったもんでw
拝んどいて良かったな、と
まぁ、「お稲荷さん(狐)」と「犬」って昔から仲悪くて有名なんですけれども(苦笑)
まぁ、うちのひなも、いつお稲荷さんから嫁に欲しいと言われてもおかしくないほどの
超美犬(狐顔の白くてふわふわ美形)なんで
お稲荷さんが犬たちを見守っててくれる事もあるか
そう言えば、大晦日に、
「白い着物着て、今までお世話になった人全員に、
(その中には今までずっと許せなかった人や、軽蔑してた人も含む)
土下座して、ありがとうございました、て言って周るイメージ」
を持った。
・・・てmixiに呟いてたんですね。
その「白装束でお礼参り」(←化けて出たみたい?)の気持ちが、
もの凄くスキッと閃光のように自分を貫いたので、
あれは不思議だった。
今まで、私は結構プライドが高いので、
自分が「被害者」「可哀相」だと思った事は一度もないんだけど、
だからなのか、何かあった時に、
「怒り」→「許す」というパターンは結構『楽』なんだよね。
常に「上から目線」で居られるから。
でも、そういった許せない人や、軽蔑してる人、つまり
「自分が相手を見下す事、“許さない”という自分主体である事」で
プライドを保っている自分としては、
『土下座して(頭を下げて)お礼を言う』
というのは、本当に、今までの私からしてみればあり得なかったこと。
もちろん、本当に尊敬する方、お世話になった方、
後は自分が迷惑かけちゃった方とか、そういう方々に対しては、
全然土下座もするし、心から頭を下げる事は苦痛でも何でもない。
むしろ、そういう事が出来ない時、
迷惑かけたのに謝るタイミングがなかったり、お礼を言えなかったりした時の方が苦痛。
「人として恥ずべき行為をすること」が、私の一番嫌なことだから。
↑そういう所が“プライド人格”ではなく、“完璧主義人格”なんだよねw
基準は、常に「自分で自分を認められるかどうか」だからwww
妙にストイックなんだよねwww
でも、あの時は、突然、それが出来るようになった。
もちろん、物理的には不可能だけれども、
人間は何より自分の心に嘘はつけない生き物なので、
本気で思っていなければ、格好や見掛けの行動では出来ても、
自分の心のイメージでは出来てない事の方がほとんどでしょ。
だから、それが「心の中のイメージで出来てた」ってことは、
物理的にやるよりも大きな意味を持ってると思ってる。
自分の心が納得して、望んでやった。
て事だと思うから。
よく言われるような「手放し」とか「許し」とか、どこか「上から目線」ではなく、
本当に、裸足で、地面に頭をこすり付けて、手をついて
「ありがとうございました」って言ってたんだよ。
「この人たちが、私を育ててくれた」
って本気でそう思った。
泣けてきた。
別にその時だけでもいい。
明日にはまた、誰かに対してイライラしても人を軽蔑してもいい。
ただ、この時だけは、本当に「ありがとうございました」って気分だったんだよ。
あんなに、「知性のかけらも無いバカな目」に見えてた人たちの瞳が、
あんなに、慈悲深く私を見ていてくれてた事に、自分に恥ずかしささえ感じた。
あんなに、いろんな事を私に教えようとしてくれてた。
それに今まで気付かなかった自分が恥ずかしくて、
嬉しいような、申し訳ないような。
んで、泣きながらのお礼と、
「私は、もう行きます」という挨拶と。
よく時代劇にあるような、
「どうぞ、貴方様もお達者で」「貴方様の行く先にも幸多からん事を」
みたいな気持ちもあり。
今まで「手放す」とか「許す」とかって、
本気で実感できた事がなくて、正直どんな心情か良く分からなかったけど、
「あ、こういう事なんだ」て思った。
私は、
「魂の向上に、上も下も、先も後もない。
レースじゃないんだから1本の道を競争してるわけでもない。
本当に自分が進んでるのかさえ、死んでみなけりゃ何も分からない。」
というのが持論なんだけど、
↑あの時は、本当に、
自分が今まで軽蔑してきた人ほど真理に近いのかもしれない、
とさえ思った。
そうやって、上でもなく下でもなく、
お互いに手を引っ張り合いながら、支え合いながら、
魂は旅をしていくんだなぁ、と。
そんな事を考えた、幸先の良い年末年始でした
お粗末様でしたm(__)m










