ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手きままに書きます。時々素人作詞家もやっています!

私と言う女遠い記憶part7

2018年01月15日 | 日記
文化放送で今倉千代子さんのサインがもらえるとわかると、私は一目散に表に出て近所の文房具屋を探して色紙とマジックインキを買う。買った色紙を持って文化放送に行き、今倉千代子さんに生まれて初めてのサインをもらうのであった。
どんな気持ちだったか覚えていないが、公開放送を見てから表で今倉千代子さんに頼んで2ショットの写真を撮ってもらう。その写真、シャッターを押したのは誰だかわからないが、私は従姉妹のお下がりのハンドバッグを持っていた。その頃私は幼かったことは覚えているが、果たしていくつだったのかは覚えていない。すべては遠い記憶の中にある。
私は小学校でも見事に6年間同級生にいじめにあい、中学校でも見事に同級生から3年間いじめにあうのである。
相変わらず友達の作り方もわからず、これといった友達も親友も出来ずに過ごしていた。後に進学した高校でも見事に同級生から3年間いじめにあうのである。
高校に入っても相変わらず勉強は出来なかった。授業が始まって15分くらいで寝てしまう癖は治らなかった。時としていじめは陰湿であったが、今にして思えばそれは私に課せられた運命なのかも知れない?
いつしか私は物書きになる夢もあきらめていた。幸いなことに高校は真面目に通えば少々勉強が出来なくても卒業は出来るので、同級生にいじめられながらも無事卒業した。
高校3年の時に進路の話になった。私としては和裁の学校に行きたかった。理由はただ一つ、その学校を卒業してお張り子になって稼いだお金で反物を買って今倉千代子さんに着物を作ってプレゼントがしたいと言うだけだった。
たった一枚、自分で稼いだお金で反物を買って自分で今倉千代子さんのために着物を縫ってプレゼントするという夢だった。
しかし、その夢も父の反対にあい、和裁の専門学校に通えず、泣く泣く就職をするのである。
私は子供の頃からすべてが思い通りになったことは皆無に等しかった。就職はしてみたが、始めに勤めた会社は半年もしないうちに会社が傾きかけていることに気がつくのであった。
半年後、私は会社を辞めた。ぶらぶらしていたら働いていた職場の隣の会社のおばさんが「遊んでいるならうちの会社で働かないか?」と、言ってきた。私は隣の会社のおばさんが言ってくれたのでその後隣の会社を面接し、隣の会社に就職するのである。
隣の会社に就職したが、隣の会社でもいじめにあった。それは陰湿ないしめだった。私は某食品会社の正社員です。その会社の製品を売るためにデパートに派遣されるのです。もちろん売るのはその会社の製品です。しかし、そこでも陰湿ないじめにあうのである。会社の上司に話して、職場の配置転換をお願いし、一時は良くなったが、再び配置転換にあい、いじめにあうのである。
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