チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

続6年1組クラス会~魚屋と宿題~

2016年12月07日 | チエの玉手箱
タケシは魚屋の息子だった。
(「だった」と過去形なのは、働き盛りの父親がくも膜下出血で倒れ、そのまま亡くなると、魚屋は廃業せざるをえなくなったからだ)
チエちゃんたちが小学生の頃はまだ、魚屋は繁盛していた。
仕出しもやっており、奥の座敷では宴会(PTAの宴会や謝恩会などやっていたと思う)ができたし、2階はそろばん塾へ開放していた。
魚屋は小学校の真ん前にあり、その2階からは校庭や校舎がすっかり見渡せた。
それから下宿屋もやっていて、小学校や中学校の先生が下宿していた。
(小木先生の下宿屋は別な所。ここには、チエちゃんが1年生の時の担任佐久間先生が下宿していた)
すごい多角経営だった。

きぬ:ね、ね、ね、タケシさんちの2階のそろばん塾で、待ってる間、みんなで宿題やったよねえ~

タケシ:そうだっけ? 忘れたー

きぬ:忘れちゃった? 結構、みんなそろばん塾行ってたのに・・・
   そっか、タケシさん、自分家だから、塾には居なかったかも!?

シンイチ:宿題って言えばさ、みんなで宿題忘れて、小木先生に家に帰って取って来いって言われたことあったじゃん?
     そんでさ、家帰るの面倒くさいからノート買って1枚1枚破いて、郵便局あたりでみんなで宿題やってさ。
     学校へもどったよな。

きぬ:うんうん。いっしょに帰るとバレルから。
   ほら、家までの距離が全然ちがうっしょ。
   一人ひとり時間差つけてもどったよね。
   タケシさんは、一番先。

(チエ:へえ~、そんなことやってたんだ。私は方向が全然違うから、知らなかった。
    それに、宿題忘れて、家に帰ったことなんてあったかしら?
    それにしても、子どもながらに悪知恵がはたらくもんだねぇ~)

タケシ:俺、そんなこと、忘れちまったー ぜんぜんっ、覚えてない!

タケシの両親は魚屋らしく太っていて恰幅がよかったが、その息子はひ弱で痩せていて、まったく似ていなかった。
でも、今の彼はサービスエリアのレストランでコック長をやっていると聞く。
やっぱり親のDNAを受け継いでいるんだなと思った。

つづく
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4 コメント

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ご質問 (りくすけ)
2016-12-08 08:07:05
チエちゃん様へ。
いつも楽しく拝読しております。
一つ、素朴な疑問がありお聞きしたく、
コメントしました。
「魚屋は小学校の真ん前にあり、その2階からは校庭や校舎がすっかり見渡せた。」
これは、校庭や前庭など、小学校の敷地内に建っていたんでしょうか?もしそうだとしたらなかなか珍しいと感じます。福島では他にも同じ例があるんでしょうか?興味がありお聞きしたく考えております。
>りくすけさん (チエちゃん)
2016-12-08 23:22:31
コメントありがとうございます。
はい、小学校の敷地内といえば、そう言えるかもしれません。
道路の両側に、商店街や住宅が並び、その後ろに小学校がありました。
校舎から見ると、前に校庭、その前に魚屋さんや牛乳屋さんなどの商店街があり、細い路地を通って、登校していました。
うまく説明できたかしら?
これって、珍しいですか?
なるほど (りくすけ)
2016-12-09 07:29:28
チエちゃん様へ。
早速の回答、ありがとうございます。
なるほど、魚屋さんを含む商店街と小学校(小学校の所有する土地)は、互いが触れ合わんばかりに隣接していたという事ですね。勘違いしておりました。ならば、取り分け珍しいケースではないかと思います。(笑)

ところで、以前の投稿記事を読み興味がわいて、只今「ゾウの時間 ネズミの時間」を読んでいます。面白い読み物を教えてもらい、ありがとうございました。
>りくすけさん (チエちゃん)
2016-12-10 21:05:08
「隣接していた」そう、それです!

「ゾウの時間 ネズミの時間」ーはい、なかなか興味深い研究です。私は、大人向けはちゃんと読んでいないので、エラそうなことは言えないのですが・・・

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