教科書に書かれなかった戦争〈PART55〉
『それでもぼくは生きぬいた―日本軍の捕虜になったイギリス兵の物語』
シャーウィン 裕子【著】
梨の木舎
(2009/12/20 出版)
まえがき
一話 戦争を恨んで人を憎まず――チャールズ・ビーデマン
バンドンからバタビアへ、そして門司へ
二話 秘密の大学――フランク・ベル
バタビア、サンダカン、そしてクチンへ
三話 トンネルの先に光――鉄道マン、エリック・ローマックス
シンガポールから泰緬鉄道へ、そしてシンガポールへ
四話 工藤艦長に救われた――サム・フォール
マカッサルからバンドンへ
五話 命を賭けた脱出、死刑寸前の救命――ジム・ブラッドリーとシリル・ワイルド
シンガポールから泰緬鉄道へ、そしてシンガポールへ
付記
1 ジュネーブ条約と日本
2 和解の努力――国家としての謝罪と民間の努力
3 他の国による捕虜の扱い
4 イギリス人の日本人観――「極東捕虜の歴史研究会」に出席して
参考資料 太平洋戦争関係資料
あとがき
元捕虜のイギリス将兵はアメリカよりも心が癒されていないという印象がある。
戦後の日米の関係の深さに比べ、距離的な遠さなども影響したようだし、日本政府の対応に心がこもっていないと評価されている場面もあったようだ。
さらに、元捕虜が解放されて帰国した後の処遇など、不遇なケースが少なくなかったことによるものらしい。
イギリスの一般社会では、戦争が終わったのは1945年5月であって(対独戦)、秋になって「南方で日本に捕虜になってまして」と帰ってきた元捕虜は、「あーそうですか」という感じでもあったり?
(乱暴に簡略化しすぎ?)
四話 工藤艦長に救われた――サム・フォール
そんな中、乗艦を撃沈されて漂流中に、自艦の2倍以上の漂流者を救助してくれた日本の駆逐艦があったということで、救助された英海軍の元中尉は「武士道の表れだ」(日本にも素晴らしい人は居た)と果敢にアピールし続けた。
貴重な存在。
民間ベースで交流・和解を助ける活動をされている方々がおられる由で、頭が下がる。
POW研究会の活動もその一環。
1月23日(土曜日)出版記念会を開催しました。シャーウイン裕子さんからこの本を書かれるに至った経過、思いを語っていただいた。
シャーウィン裕子 -Hiroko Sherwin- 公式サイト
『それでもぼくは生きぬいた―日本軍の捕虜になったイギリス兵の物語』
シャーウィン 裕子【著】
梨の木舎
(2009/12/20 出版)
まえがき
一話 戦争を恨んで人を憎まず――チャールズ・ビーデマン
バンドンからバタビアへ、そして門司へ
二話 秘密の大学――フランク・ベル
バタビア、サンダカン、そしてクチンへ
三話 トンネルの先に光――鉄道マン、エリック・ローマックス
シンガポールから泰緬鉄道へ、そしてシンガポールへ
四話 工藤艦長に救われた――サム・フォール
マカッサルからバンドンへ
五話 命を賭けた脱出、死刑寸前の救命――ジム・ブラッドリーとシリル・ワイルド
シンガポールから泰緬鉄道へ、そしてシンガポールへ
付記
1 ジュネーブ条約と日本
2 和解の努力――国家としての謝罪と民間の努力
3 他の国による捕虜の扱い
4 イギリス人の日本人観――「極東捕虜の歴史研究会」に出席して
参考資料 太平洋戦争関係資料
あとがき
元捕虜のイギリス将兵はアメリカよりも心が癒されていないという印象がある。
戦後の日米の関係の深さに比べ、距離的な遠さなども影響したようだし、日本政府の対応に心がこもっていないと評価されている場面もあったようだ。
さらに、元捕虜が解放されて帰国した後の処遇など、不遇なケースが少なくなかったことによるものらしい。
イギリスの一般社会では、戦争が終わったのは1945年5月であって(対独戦)、秋になって「南方で日本に捕虜になってまして」と帰ってきた元捕虜は、「あーそうですか」という感じでもあったり?
(乱暴に簡略化しすぎ?)
四話 工藤艦長に救われた――サム・フォール
そんな中、乗艦を撃沈されて漂流中に、自艦の2倍以上の漂流者を救助してくれた日本の駆逐艦があったということで、救助された英海軍の元中尉は「武士道の表れだ」(日本にも素晴らしい人は居た)と果敢にアピールし続けた。
貴重な存在。
民間ベースで交流・和解を助ける活動をされている方々がおられる由で、頭が下がる。
POW研究会の活動もその一環。
1月23日(土曜日)出版記念会を開催しました。シャーウイン裕子さんからこの本を書かれるに至った経過、思いを語っていただいた。
シャーウィン裕子 -Hiroko Sherwin- 公式サイト