真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

続「背の高い寝ない男」シリル・ワイルド

2010-03-21 | 読書-歴史
シンガポールにおける英軍の降伏が2月15日。
英本国のワイルドの妻に夫が捕虜になった旨正式に通知されたのは、同年のクリスマスイブだという。

じつはその前に家族が知っていたが、その経緯がすごい。
降伏交渉団の写真が世界中に発信され、ドイツの新聞にも当然掲載。

ワイルド(4兄弟)の弟がポーランドで捕虜になっており、ドイツの新聞でその写真をみて兄を見つけたので、家族に手紙で知らせていた由。
あ、お兄ちゃんだ!てな感じ?白戸家じゃなくてワイルド家。

日本は、日露戦争やWWⅠでの捕虜の好待遇は有名だが、昭和になると断絶があったようだな。
自分たちだって満足に食えないんだから…というわけかな。そもそも、始めてはいけない戦争だったわけね。

捕虜になってはいけないと自軍の兵士に命じておいて、もし捕虜になった場合に言ってよいことといけないことの区別も教えていなかったようだしな。

敵軍の捕虜も当然生じるわけで、彼らに対してやって良いことといけないことの区別を自軍に徹底させていなかったわけね。とほほ。
戦争始める資格、というのも変かもしれないが、その資格がなかったのに始めてしまったのかよ。

日本:「もう謝ったじゃないか」
英元捕虜:「(ろくに)謝ってもらってないぞ」
という不毛なやり取りは、情けない。

wiki/シンガポールの戦い

Imperial War Museum North :General Arthur Percival at surrender of Singapore

National Archives of Singapore :British Surrender 
The British sent a delegation to discuss terms of the surrender with the Japanese, who by then had established their headquarters at the Ford Factory at Bukit Timah.
The first delegation was turned back by Lieutenant-Colonel Ichii Sugita, this was because Lieutenant-General Percival, General Officer Commanding Malaya, was not among the delegates.
A second delegation, led by Lieutenant-General Percival, comprising of Brigadier Newbigging, Brigadier Torrance, and Major Wild, made their way to the Ford Factory at 5.00pm that day.
~有名な写真は、2回目の「皆さんお揃いで」おいでになった際のものだろうな。

Lieutenant-General Sugita, who spoke reasonably good English, assisted Lieutenant-General Tomoyuki Yamashita.
⇒Sugitaは当時Lieutenant-Colonelでしょう。
Lieutenant-Generalにも後年なるんだけど、それは戦後の陸上自衛隊でのこと。

The story of the Changi Murals

不思議な動画の謎:
このサイトの記載自体は、ちょっと(おおいに?)疑問、というか、トンデモ説⇒COLONAL CYRIL WILD - ACCIDENT OR ASSASSINATION
ワイルド大佐の乗ったダコタ機(DC3=C47)の香港での墜落は、事故でなくて消された云々?

ま、それは措いといて、1942年のシンガポール陥落の際の話に興味深い記載あり。
"When General Percival had reached the decision to capitulate, major Wild along with others was included in the surrender and being the lowest in rank was instructed to carry the white flag. The newsreels show Percival carrying the Union flag and Wild carrying the white flag.
What the news reels did not show or record however, was major Wild throwing the white flag down and saying to Percival “This is stupid, let’s go back” with Percival’s reply, “I want none of this”, meaning Wild’s remarks, major Wild then threw the white flag down and hesitated. A Japanese Colonel who was acting as escort, picked up the white flag and marched on at the side of Wild and the others."

ワイルドの隣で英国旗を持っていたのがパーシヴァル将軍云々とあるのは誤り。
最高司令官に旗など持たせる訳ないだろ。中将は右端の手ぶらの人物。

それにしても、白旗を放り投げたなどということがあったのか?
じ・つ・は!

パーシバル将軍やワイルド少佐らが降伏交渉に赴く場面が含まれるカラー動画:WW II SINGAPORE FALLS 3 of 3 1942 RARE COLOR
3:12過ぎ/7:37に、向かって左端のワイルド少佐が、担いでいた白旗を「やってられるかよ」とでもいった雰囲気で放り投げる場面がある。
隣で英国旗を持った人物(ニュービギン准将またはトランス准将…資料によって両様の記載あり)が、「お、おい」といった感じでそれを見るところでカット。

一体これは何?
たとえば、勝ち誇った日本側が、「歩いてくる場面を(さきほど間に合わなかった)映画に撮りたいから、もう一度やってくれ」などとリクエストしたとか?
(これは全くの妄想で、何の根拠もないばかりか、そのような記録は見たことがない)

米海兵隊が硫黄島の擂鉢山に星条旗を立てるシーンは、兵士たちに改めて演じさせたという話は有名だが、あれは自軍兵士だしな。
まさか、降伏した敵の将軍たちにそこまでやらせるほど不遜ではなかっただろうからな。

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