「名作の新たな楽しみ方を伝えていく」というお気に入りのラジオ番組(3/2付エントリ参照)で、
藤原てい『流れる星は生きている』が取り上げられました。
南面堂の興味は「(旦那の)新田次郎さんがどういう紹介のされ方をするだろう」でした。
次週予告の段階で「おや?」と思っていたのだが、案の定・・・。
パナソニック メロディアス ライブラリー
5月11日放送分~藤原てい 『流れる星は生きている』
http://www.tfm.co.jp/ml/today/index_20080511.html
番組サイトの記載内容は、当日放送の内容を過不足なく伝えていると思います。
ご主人の仕事で満州へ
ご主人は現地に残ることになったので
ご主人は必ず帰って来ると・・・
といった調子で、その「ご主人」も後年作家になったことには全く触れない進行でしたね。
最後まで「ご主人」のまま走ってしまうのか?と不安に思っていたら、最後にようやく、長女(末っ子)の藤原咲子さんにも著書がありますという形で
『母への詫び状 新田次郎、藤原ていの娘に生まれて』
を紹介し、初めて新田次郎という名前が放送に乗りました。
ただし、「新田」氏が何者であったかという解説は皆無。
「母への・・」は2005年刊行で、実はそれよりも前の2001年に
『父への恋文―新田次郎の娘に生まれて』
が「母への・・」と同じく山と溪谷社から出ています。
でも、放送日が「母の日」でしたし、「母の強さ」「母の愛」「母の執念」で一世を風靡した本の紹介なので、まあいいでしょう。
小川先生は正彦氏に特別の恩義?があるはずなので、「藤原ていさんは…藤原正彦さんのお母様で」という紹介自体は不思議ではないでしょう。
また、満州国観象台(中央気象台に相当)の高層気象課長だった藤原寛人氏は、てい夫人ら家族が満州から必死の思いで引揚げている時点では現地に抑留されていて、将来「ベストセラー作家新田次郎」になる片鱗もなかったでしょう。
放送のテーマとは無関係なのだといえばその通りでしょう。
ゆえに、「あとから帰国したご主人も、仕事の傍ら(ていさんに続いて)小説を書き始め、やがて気象庁を退職して作家専業になり数々の…」と紹介しなければならないものでもないのでしょう。
でもねえ・・・
ファン(誰の?)としてはちょっと残念に思ったことでした。
新田次郎の山岳小説に感動したのがきっかけで山に登り始めた、という女流登山家もおられるようですよ。
「新聞記者時代の司馬遼太郎、気象庁勤務時代の新田次郎に原稿依頼に行き、理路整然と断られる」の顛末について:
http://bonfa.hp.infoseek.co.jp/literature/shiba_nitta.htm
藤原てい『流れる星は生きている』が取り上げられました。
南面堂の興味は「(旦那の)新田次郎さんがどういう紹介のされ方をするだろう」でした。
次週予告の段階で「おや?」と思っていたのだが、案の定・・・。
パナソニック メロディアス ライブラリー
5月11日放送分~藤原てい 『流れる星は生きている』
http://www.tfm.co.jp/ml/today/index_20080511.html
番組サイトの記載内容は、当日放送の内容を過不足なく伝えていると思います。
ご主人の仕事で満州へ
ご主人は現地に残ることになったので
ご主人は必ず帰って来ると・・・
といった調子で、その「ご主人」も後年作家になったことには全く触れない進行でしたね。
最後まで「ご主人」のまま走ってしまうのか?と不安に思っていたら、最後にようやく、長女(末っ子)の藤原咲子さんにも著書がありますという形で
『母への詫び状 新田次郎、藤原ていの娘に生まれて』
を紹介し、初めて新田次郎という名前が放送に乗りました。
ただし、「新田」氏が何者であったかという解説は皆無。
「母への・・」は2005年刊行で、実はそれよりも前の2001年に
『父への恋文―新田次郎の娘に生まれて』
が「母への・・」と同じく山と溪谷社から出ています。
でも、放送日が「母の日」でしたし、「母の強さ」「母の愛」「母の執念」で一世を風靡した本の紹介なので、まあいいでしょう。
小川先生は正彦氏に特別の恩義?があるはずなので、「藤原ていさんは…藤原正彦さんのお母様で」という紹介自体は不思議ではないでしょう。
また、満州国観象台(中央気象台に相当)の高層気象課長だった藤原寛人氏は、てい夫人ら家族が満州から必死の思いで引揚げている時点では現地に抑留されていて、将来「ベストセラー作家新田次郎」になる片鱗もなかったでしょう。
放送のテーマとは無関係なのだといえばその通りでしょう。
ゆえに、「あとから帰国したご主人も、仕事の傍ら(ていさんに続いて)小説を書き始め、やがて気象庁を退職して作家専業になり数々の…」と紹介しなければならないものでもないのでしょう。
でもねえ・・・
ファン(誰の?)としてはちょっと残念に思ったことでした。
新田次郎の山岳小説に感動したのがきっかけで山に登り始めた、という女流登山家もおられるようですよ。
「新聞記者時代の司馬遼太郎、気象庁勤務時代の新田次郎に原稿依頼に行き、理路整然と断られる」の顛末について:
http://bonfa.hp.infoseek.co.jp/literature/shiba_nitta.htm