バイエルンドキドキ観戦旅行

バイエルンミュンヘンとドイツが好きな小心者の現地観戦チキン旅行記 +α 2010年8月開幕戦旅行記の更新を始めました。

転勤しました

2011年02月22日 20時36分25秒 | カーン、ドイツ +α
長らく更新が滞っていましたがまだ見てくださる方はいらっしゃるのでしょうか?
決してサッカー熱が冷めたわけではなかったのですが何となく物を書く事に燃え尽きておりました。原因はあれ…。

それが今回更新する気になったのは 『元バイエルンのトーマス・リンケさんがドイツに帰ってきましたー』 というニュースを見たからです。
Leipzig: Sportdirektor bei RB  Linke übernimmt Verantwortung (Kicker)
Abschied von Salzburg: Thomas Linke geht nach Deutschland (Goal.com)

リンケさんはバイエルンを退団後レッドブル・ザルツブルクに移籍してプレーしてました。恒サマや三都主とチームメイトだったこともありましたね。2007/2008シーズンのバイエルンアマでのプレーを最後に引退し、ザルツブルクでアシスタントスポーツディレクターを務めていました。それが今回レッドブル・ライプツィヒのスポーツディレクターに就任したそうです。

レッドブル・ザルツブルクの公式サイトにも記事が出ていました。

ステーフェンス監督と満面の笑みのリンケさん。

そして、さっそくライプツィヒでお仕事してます。 (レッドブル・ライプツィヒ公式


リンケさんにとってはアシスタントからスポーツディレクターとしての独り立ちになるし、出身地からも近くなって嬉しいんじゃないでしょうか。(リンケさんは旧東ドイツ出身です)次にドイツへ行く事があったらライプツィヒを候補に入れてみようかと考えています。ライプツィヒの街自体にも興味があるし。ただ、ミュンヘンから遠くなっちゃったのがちょっと寂しい。ザルツブルクはミュンヘンから日帰りできたけど、ライプツィヒは無理っぽいです。

ちなみに、レッドブル・ライプツィヒは今シーズン4部リーグに所属し現在4位につけています。上手くいけば来シーズンは3部リーグでバイエルンアマと古巣対決!? とワクワクしたのですが、バイエルンアマが現在3部リーグ最下位なため、まさかのすれちがい危機でしたよ(焦)


あと、とっても気になるニュースが
Lehmann: Trainer-Schein mit Kahn  (Sport1)

レーマンがこの夏にコーチライセンスを取るんですってよー。カーン、ショル、エッフェンベルクも一緒ですってー。マジでっ!?
以前そんな話がありましたねー。4人がザマーさんとミュンヘンのホテルて密会したって Bild さんがスクープしたんでした。いよいよ実行の時が来たんでしょうか。ドキドキ。


ぶらりミュンヘン・2010年8月20日/旅の3日目

2010年12月10日 23時41分38秒 | 観戦旅行2010年8月
8月20日金曜日、ブンデスリーガ2010/2011シーズンが開幕する日です。試合は夜なので昼のうちは市内をぶらぶらしました。ミュンヘン滞在3日目にしてようやく市内観光です。


※クリックすると写真が大きくなります。

まず訪れたのはフラウエン教会

なんと工事中。二本の塔の片方がすっぽり覆われてしまっていました。展望台のある南塔は営業中でしたが上に登ったら工事の足場が丸見えです。フラウエン教会、お前もか!!

入口はこんな

こちらもすっかり工事現場の装いに。工事関係者のプレハブ小屋を見せられてはせっかくの教会の趣も台無しです。

工事中のフラウエン教会を見て、2008年に工事をしていたミヒャエル教会がどうなってるのか気になりました。2年経ってればさすがに工事も終わってるだろうと思ったら、
まだやってた。

なんといまだに工事中。2年前からずっと工事をしているのか一度終わって新しく工事を始めたのかはわかりませんが、あの時とまったく変わらないシートに覆われた姿でそこにありました。中に入りましたけれども内部で作業をしている様子は見当たりません。教会の外側だけで何年もかかっているのだろうかと驚きました。

ミュンヘン市立博物館

2010年はオクトーバーフェスト200周年の記念の年です。それにちなんで、市立博物館ではオクトーバーフェスト200年の特別展をやっていました。出発前に情報を仕入れていたので、さっそくの見学です。1810年の開催1回目からそれぞれの為政者の時代ごとに区切って、ビール祭りの移り変わりを展示していました。最初は王子様の結婚のお祝いだったものが年々規模が大きくなっていって、遊具や見世物小屋などの施設も早くからできてたんだなーと。昔のビールジョッキとか樽とかパレードで使った衣装なんでかも展示してあって、歴史好きな視点からでも面白かったです。いろいろ貴重な史料があったせいか館内が撮影禁止だったのが残念だったなあ。
特別展とは別に通常展も見学してきまして、そちらはミュンヘンの街の歴史を展示していました。中世のミュンヘンができたころの時代から始まって、最後はアリアンツアレーナの模型が新しいミュンヘンを象徴しています。見学するのが大変なくらい広くて充実した博物館でした。初めて市立博物館に行きましたが、マリエン広場からとても近いところにあったんですね。いつも同じ道しか通らなかったので気がついていませんでした。これまでにも魅力的な展示をしてたかもしれなかったのに、もったいないことをしてたなあと思います。


TYPISCH MUNCHEN

博物館の外壁に貼ってあったポスターです。ミュンヘンから連想される典型的な物の羅列のようです。白ソーセージにプレツッェルにフラウエン教会に英国庭園はわかりました。テントウムシや犬や靴は何をあらわしてるのでしょう?どこかに解説が欲しかったです。


お昼はニュルンバーガー

ウリ・へーネスがイメージキャラクターをしているしているフードです。当時はマスコミでも大きく取り上げられていたと思います。バイエルンはバーガーキングとスポンサー契約してるのに、へーネス個人はマクドナルドと契約したので、そんなのありなんだと意外に思ったのが印象に残っていました。包み紙には「Ich liebe es.」って書いてありました。日本のマクドナルドでは「I'm lovin' it.」って言っているフレーズのドイツ語直訳ですね。中央駅地下のマクドナルドで買いました。本当はお店で食べたかったのですが、注文にもたついたらバーガーをオーダーしたところで切られてしまい、バーガーだけぽんと渡されてしまいました。ホテルから近かったので仕方なく部屋に帰って食べることにしました。心置きなく写真を撮れたし、まあいいか。


中身はこんな

ケチャップとマスタードを塗ったパンにニュルンベルクソーセージが3本挟まっているだけのシンプルな構成です。サイズは小さめで女性でも手のひらに納まるくらいの大きさでした。購入した時点で熱々じゃなかったのは仕方がないですかねー。味はまあ美味しいと言えるんじゃないでしょうか。小ぶりだし、普通のドイツ料理だとボリュームに負けちゃう人にはいいかもしれません。本場ニュルンベルクで食べ比べてみようと思ったのに、実現できなかったのが心残りでもあります。


ニュルンバーガーを食べながらしばらくのんびりとホテルで休んで、試合に向けて英気を養っておきました。観戦中は何もしなくても体力を消耗するし、ホテルに帰ってきたら12時を回ってるかもしれませんから。

直前の予約はできません・2010年8月19日/旅の2日目

2010年11月28日 23時09分56秒 | 観戦旅行2010年8月
※クリックすると写真が大きくなります。

聖ウルリヒ・アフラ教会からマキシミリアン通りを少し戻って、次に訪れたのはシェッツラー宮殿です。宮殿といっても王様が住んでたわけではなく、18世紀にアウグスブルクにいたリーベルト・フォン・リーベンホーフェンという商人が建てたものだそうです。第二次大戦後にアウグスブルク市へ寄贈され、今はドイツバロックギャラリーと州立古ドイツ巨匠ギャラリーの二つの美術館になっています。ただし、一番の見どころは「祝祭の間」と呼ばれる大広間。完成時には、あのマリー・アントワネットが訪れたという場所です。

祝祭の間

個人の邸宅とは思えないほどの豪華さです。この部屋は宮殿の奥のほうにあって場所がわかりにくかったです。入口からバロックギャラリー→祝祭の間→巨匠ギャラリーと続いていて、最初に訪れた時はバロックギャラリーと祝祭の間をつなぐ扉が閉まっていて、バロックギャラリーの奥にさらに続きがあることに気がつきませんでした。ひととおり見学して帰ろうとしてしまい、あやうく祝祭の間を見逃すところだったのです。途中で係員に呼び止められ、その人が祝祭の間の入口まで案内してくれたおかげで宮殿内を残さず見学できました。アウグスブルクは観光客に親切な人が多かったです。

さて、シェッツラー宮殿の見学を終えた時には午後4時を過ぎていました。最後の目的地・聖アンナ教会へ急ぎます。聖アンナ教会はマルティン・ルターがローマ教皇の使節を会うためにアウグスブルクを訪れた時に身を寄せた場所として有名で、当時彼が滞在した部屋がルター記念館として残っているのだそうです。これは面白そうと見に行ったものの…。

聖アンナ教会の内部

ここも修復中。足場だらけのうえ暗くで良く見えません。実はフッガー家とも縁が深い教会で、美術品も多かったらしいのですが全くわかりませんでした。

ルター記念館

入口のレリーフです。中にはルター時代の家具や著書が展示されていて興味深かったのですが、係員のお姉さんが閉館作業に来てしまたので足早に一周しただけで終わってしまいました。

ルター記念館の入口の扉

見学は午後5時までと書いてあったのに、その15分前には扉が閉まってしまいました。この後にもルター目当ての見学者がやって来ていたけれども、彼らは閉ざされた扉を前にがっかりするだけです。

ルターをアピール

教会の外壁にもルターをアピールするレリーフがありました。ここまでルターで押しているのに、肝心の記念館が閉館時間より前に閉まるとはどういうこっちゃ。と、がっかりしてしまいました。

教会を後にして市庁舎前広場に戻ってきたところで午後5時になりました。ペルラッハ塔の鐘があたりに鳴り響く中で、昼間に登った展望台を思い出します。美術館や教会などの観光スポットは5時でほとんどが閉館になります。アウグスブルクに到着してから7時間ほど、フッゲライのカフェで休んだ以外は歩きどおしでした。翌日にブンデス開幕戦の観戦を控えているし明日の分の体力も残しておこうと考え、ミュンヘンに帰ることにしました。


アウグスブルク中央駅の案内板

自動券売機で帰りの切符を指定席を購入しました。17時42分発のECです。切符を買ってから乗車するまで20分くらいしかないのに予約できるなんてすごいなあと思いました。ところが、電車に乗り込んでみると予約したはずの席は『予約中』になっておらず、すでに別の人が座っていました。電車を間違えたかなあと思って一度電車を降り、列車番号を確認しようとしたら目の前でドアが閉まってしまいました。ドイツの鉄道には発車のベルがない事をこの瞬間まで忘れていたのです。慌ててホームにいた駅員さんに確認すると、確かにこの電車に間違いないとのことでした。切符を買うのが直前すぎて反映されなかったようです。なんかがっかり。

アウグスブルクの車窓から

けっきょく予約したECの次に来たICEでミュンヘンに戻りました。車内はガラガラで席の予約するまでもなかったです。最初からこっちに乗ればよかった。

ミュンヘン中央駅に着いたら夕食の買出しです。ついでにバイエルンファンショップに立ち寄って今シーズンのカタログを貰いました。ここ2・3年はいくら請求しても送られて来なくてもっぱら現地調達になっています。なのでドイツに来られなかった昨シーズンのカタログは持っていないのです。

夜はホテルの部屋で夕食を食べながらテレビを見ました。この日はヨーロッパリーグ(EL)の予選が行われる日で、レバークーゼン・シュツットガルト・ドルトムントの3チームがそれぞれ試合をしています。レバークーゼンとシュツットガルトの試合が先にあり同時中継されていたのでザッピングしながら観戦しました。シュツットガルトの試合では観客席で乱闘気味になったりしてドキドキする展開でしたが、両チームとも無事に勝ちました。続いて始まったドルトムントの試合はZDFの中継でした。実況アナウンサーが香川くんのことを『カカヴァ』って呼んでいたのが妙に耳に残りました。「Kagawa」をドイツ語的に読むと「wa」が「ヴァ」になるんですね。後半になったら呼び方が『カガワ』になっていてアナウンサーも勉強したのかと思っていたら、内田くんが『ウヒダ』って言われてましたっけ。試合の方は2ゴールをあげた香川くんの大活躍もあって、ドルトムントが勝利しました。

香川くんのインタビュー

2日ぶりに聞いた日本語は香川くんのヒーローインタビューでした。この試合でドルトムントサポの気持ちをガッチリ掴んだもようです。ついでにドイツメディアからの注目度も大幅にアップした様子でした。








教会でがっかり・2010年8月19日/旅の2日目

2010年11月19日 23時00分29秒 | 観戦旅行2010年8月
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ゲルト・ミュラー様

フッゲライの近くにあったお店で発見。ドイツ版ロトくじの広告でしょうか。ドイツはロトくじ好きですね。当選番号がニュースで流れるのを見たときは驚きました。

フッゲライの見学を終えたら再び市庁舎前広場に戻り、今度はマクシミリアン通りを歩きます。目指すは聖ウルリヒ・アフラ教会です。マクシミリアン通りはアウグスブルクのメインストリートにあたり、道幅もかなり広いです。道の両側にはいかにもヨーロッパな雰囲気の建物が連なっていてテナントも高級そうな店ばかりです。フッゲライに長く時間を取られてしまい予定の観光スポットを全部まわれるかどうかあやしくなってきたため、急ぎ足で通りすぎました。途中で写真を撮らなかったことを後悔しています。

フッガー銀行入口

フッゲライを造ったフッガー家は中世ヨーロッパで栄えた大富豪です。時代が下るにつれ力を失っていきましたが、フッガー家そのものは現在でも存続しています。フッゲライだって今でもフッガー家が運営してるんだそうですしなんだかすごい家ですね。マクシミリアン通りにはフッガー家の経営する銀行がありまして、大きな木の扉にフッガー家の紋章が描かれていました。かっこいい♪ と思って撮影したものの、銀行が営業中のため扉が開いていて紋章が真っ二つになってしましました。ちょっぴりがっかりです。

聖ウルリヒ・アフラ教会(Basilika St. Ulrich und Afra

マクシミリアン通りのつきあたりにあるのがこの教会です。ドイツでプロテスタントを容認することになったアウグスブルクの和議を記念して建てられた教会で、カトリックとプロテスタント両方の教会だ同じ敷地内に建っているそうです。これは面白そうとやって来ましたが、どう見ても工事中。嫌な予感がします。

カトリックの教会内部

なかなか荘厳なつくり…ですが、この時は工事の音が響き渡っていました。ガッコンガッコンうるさくて教会の雰囲気がだいなしです。レリーフなど興味深そうなものもあったのに、あまりのやかましさに見る気を失います。

左右の祭壇

足場で覆われて見えません(泣)

中央の祭壇

祭壇の上部はかろうじて見えました。が、もれなく上半身裸のおっさんも視界に入ります。さいあくー。

というわけで、見学どころではなく早々に教会を立ち去りました。かなり楽しみにしていたのにまさかの修復工事でかなりがっかりです。いつ終わるかわからないけれど、いつの日かまた来ようと心に誓って、マクシミリアン通りを戻ります。

プロテスタントの教会

鍵がかかってて入れませんでした。


フッゲライをまわる(後編)・2010年8月19日/旅の2日目

2010年11月15日 00時45分17秒 | 観戦旅行2010年8月
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カフェ

敷地内にはカフェとミュージアムショップもあります。すでに午後2時をすぎておなかはペコペコのうえ朝から歩き続けてかなり疲れてきていたので、昼食をかねて休憩をすることにしました。

お昼ごはん

ソーセージのパン添えとホットコーヒー。味はまあまあかな。写真が赤っぽいのは赤いパラソルの下だったからですよ。オープンテラスが風が気持ちよくて生き返った気分でした。

オクセンガッセの51番は現代のフッゲライの住宅の様子を展示した博物館になっていました。

現代の住宅・1

リビングルーム。ソファーにテーブルにタンスにテレビがあります。テレビではフッガー家に関するビデオがながれていました。

現代の住宅・2

バスルーム。バスタブはないけれども、洗面台にシャワーに洗濯機があってさらにこれだけの余裕があります。この2部屋の他に寝室と台所の2部屋で一つの住宅が構成されています。老夫婦2人で住んでも十分な広さです。さらに1階には小さい庭もついていて日本じゃ考えられないくらい広々としていました。これだけの場所に1ライン・グルデン(0.88ユーロ)の家賃で住めるのです。はっきり言ってうらやましい。

アウグスブルクは第二次大戦の時に大きな被害を受けた街でした。フッゲライも被害を免れなかったようです。戦争が始まってまもなく作られた防空壕が現在は資料室になり、ナチス時代のフッゲライや戦後の再建の様子を展示していました。

防空壕入口

敷地内にある公園に面した場所に入口があります。内部は天井が低くて暗かったです。フッゲライに住むようなお年寄りは防空壕に避難するのも大変だったんじゃないかと思いました。

展示物

ナチスのマークの入ったヘルメット。これ以外にも戦争時の史料や当時の写真などが展示されていました。

メインストリート

奥のほうには教会が見えます。かつては病院や学校もあり、フッゲライだけでひとつの町のようになっていました。見学中も住人が道端で談笑する姿を何度か見かけました。

教会内部

外観は長屋と同じですが内部は豪華です。聖遺物らしきものがあるあたりにフッガー家の財力を感じます。フッゲライに住む条件のひとつに、寄進者とフッガー家のために毎日三通りの祈りをささげることというのがあります。自分が見学した時は誰もいませんでしたが、この教会は今でも住人の祈りの場となっているようでした。座席には白いバラが飾られていますよ。なお、建物は第二次大戦後に再建されたものだそうです。