ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

神の国――キリストの教えの中心をやさしく語る(抜粋)6

2017年03月15日 | 聖書




 3月3日からは、本や・野の草が、目下、出版を進めているキリスト教のテキスト
「神の国」――キリストの教えの中心をやさしく語る――の、内容を抜粋して公開しています

 これは、キリストの教えに関心をお持ちのノンクリスチャンの方から、聖書を学んでおられる学習者の方、すでに、ベテランのクリスチャンまでを対象に書かれたキリスト紹介の本です。

 著者は、アッセンブリ・オブ・ゴッド教団の佐々木正明師です。
 師は、牧師、宣教師、あるいは神学校の教師として50年にわたり、キリストを宣べ伝えるために献身してきた方です。現在も、九州の小さな町で働いておられます。
    

     

  

Ⅴ. キリストがお教えになった神の国

  キリストは、王になろうとはしませんでした。むしろ、王であることを主張なさいました。(ルカ23:1-3、ヨハネ18:23-19:22) すでに王である者は、王になろうとする必要がないからです。しかし、何百年も続いた神の国の誤解は、キリストの意をつくした教えさえも曲解(きょっかい)させ、ますます混乱を生み出しました。   


Ⅴ.A. 霊的神の国
  キリストは、神の国が、いわゆるこの世の国とは、まったく次元の異なる国であり、自分はその国の王であることを言明しています。(ヨハネ18:36-37) キリストがお教えになった神の国は、人間の政治や武力によって作られる「国」ではなく、この世界を支配する悪魔の力を打ち破る、神の主権の現れ、神の支配なのです。

  キリストが病気を治し汚れた霊を追い出すことは、神の国がそこに存在している証拠であり、弟子たちが町々村々を巡(めぐ)り歩いて、病気を治し、悪霊を追い出したことは、悪魔がその支配者としての位から、墜落(ついらく)したことなのです。 (マタイ12:22-28、ルカ10:17-20)

  そういうわけで、神の国は、どこか、はるか遠いところにあるのでも、ずっと未来にあるのでもなく、私たちのただ中にあるのです。(ルカ17:20-21) これは、「信じれば心の中に神の国ができる」というような、観念論とはまったく関係がありません。

  神の力によって、病気を治され、悪霊を追い出してもらい、罪から解放されて、秩序ある平安な生活を楽しんでいる者は、まさに神の国を体験しているのであり、また、そのような人たちが作り出す、愛に溢れた豊かな人間関係は、そして、祈りと賛美を通しての神との交わりは、神の国そのものなのです。


Ⅴ.B. 未来の神の国

  このように、神の国は、現在体験できるものであると教える一方で、キリストは、神の国とはやがて来るものであり、未来に属するものであるともお教えなりました。(マタイ16:28、25:31-46、ルカ18:30、19:1-27、21:31、22:18)  
  この未来に属する神の国も、本質的には現在体験できる神の国と同じで、神の支配、神の統治です。ただ、未来の神の国は現在の神の国とは違って、神の完全な支配、完全な統治です。
  そこでは、悪魔と悪霊たちが完全に滅ぼされ、自然の世界も造り変えられて、人間に不幸をもたらす天変地異も無くなり、完全な調和を保ちます。

  神の国に入った者には、完全な新しい肉体が与えられ、一切の病気や苦痛、死の恐怖も無くなります。
  人間の道徳的性質も新たに造り変えられ、キリストに似る者になるのです。人間同士のあらゆる差別が取り払われた交わり、神と人との豊かな交わりが限りなく続き、人間は人間としての、本当の幸せを満喫することができるのです。(イザヤ11:6-10、黙示録21:1-7、Iコリント15:50-58)

  さらに、王としてのキリストも、2000年前においでになった時の、人間の姿を取り、人として生き、人と共に苦しんでくださった、限られた力と権威の王ではなく、神としてのすべての栄光と力と権威を持った王として、しかも、人としての苦しみと悲しみを、みずから体験してくださった王として、ふたたび、人の世界に来てくださるのです。(ルカ19:12、15、使徒3::20-21)


Ⅴ.C. 霊的神の国と未来の神の国の関係
  霊的神の国、すなわち現在私たちが体験できる神の国と、未来の神の国は、決してふたつの異なった神の国ではなく、ひとつのものです。ですから有名な主の祈りの中で、キリストが「御国(みくに)を来たらせたまえ」と祈るようにお教えになったとき、まず、現在の生活の中で、神の支配を体験することができるように、すなわち、悪魔の力を打ち破って、罪を克服し、平和と愛の人間関係を築き、病気を治してもらい、悪霊、死霊のたぐいも追い出してもらい、幸福な生活ができるように祈りなさい。
  またそのために、みずからも積極的に、進んで神に従い、神の国、すなわち神の支配を自分の中で体験しなさいとおっしゃったのです。(マタイ6:10)

  この世界で体験できる神の国は、まだ完成された神の国ではありません。いわば、悪魔の世界に戦いを挑み、勝利を目指して力強く進入し、侵略し続けている神の国です。(マタイ11:12) 勝利は目の前にあります。ただ、まだ戦っているのです。というより、勝利はすでに決定しています。

  キリストご自身が勝利宣言をされたのです。(ヨハネ16:33)いわば戦後(せんご)処理(しょり)的な戦いが続いているのです。完全な勝利はもう少し先になります。(Iコリント15:24)
  そのために、まだまだ、この世界で味わう神の国には限度があり、苦しみと悲しみ、そしてさまざまな矛盾が伴います。
  神の国に入ったために、かえって、悪魔の激しい攻撃を受けることさえあります。
  これらの苦しみの中でも、神の守りによって、毎日、勝利を勝ち取って生きて行けるのです。

  神を信頼(しんらい)して耐えしのぶものには、やがて現される完全な神の国が保証されているのです。(マタイ10:22、24:13) 今のこの世界で神の国を体験している者は、完全な神の国の出現という輝く希望を持って、喜びに満ちて生きて生けるのです。(ローマ8:18、35-39)

「み国を来たらせたまえ」という祈りは、この、やがて打ち立てられる完全な神の国の出現に対する期待と、来たらせて下さる神に対する信仰の告白でもあるのです。










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