今日も人生の一日なり

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久恒啓一BLOGより「名言との対話」 奥村土牛

2016年10月03日 | 啓一を追いかける
•「芸術に完成はありえない。夢はどこまで大きく、未完成で終わるかである。」
◦1889年生まれ。16歳、梶田半古に入門。23歳、逓信省為替貯金局統計課に勤務。5年間。28歳、父より土牛の号をもらう。31歳、2年間小林古径の画室に住みこむ。34歳、関東大震災で自宅消失。38歳、院展に初入選。40歳、古径の媒酌により結婚。43歳、日本美術員同人。55歳、東京美術学校講師。59歳、武蔵野美大講師。60歳、女子美術大学教授。62歳、武蔵野美大教授。64歳、多摩美大教授。70歳、日本美術院理事。73歳文化勲章。89歳、日本美術院理事長。101歳、日本美術院名誉理事長、長野県に奥村土牛記念美術館。101歳で永眠。
◦父が土牛という名前をつけた。奥深い村で、牛が土を耕す風景。1889年生まれ、1990年没。101才の長寿。「石ころの多い荒地を根気よく耕し、やがては美田に変えるように、お前もたゆまず画業に精進しなさいとの意味がこめられていたのだと思う」
◦「今日私の座右の銘としている--絵のことは一時間でも忘れては駄目だ--という言葉は、その頃先生(小林古径)からいただいたものです。」
◦日本美術院の院展への初入選が38才。代表作の多くは還暦後という遅さである。85才で書いた自伝のタイトルは「牛の歩み」というから徹底して、名前そのものの人生を歩んだ人だ。大器晩成とはこの人のためにあるような言葉だ。永遠の未完成のまま生涯を終わる。大いなる未完成、それが理想ではないか。

S48年出光興産入社同期会の名が「牛歩会」
名付け親は時の人事部人事課長渡辺茂太郎さん。
初勤務地が東京であった事、テーブルの上で青い山脈を踊る等目立ちやと思われ初代同期会会長を押し付けられたが、名付け親をお願いに行ったかは覚えていない!

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