もう黙ってられない! 原発なくせ! ちばアクション

原発再稼働阻止!原発輸出絶対反対!福島の子ども達を守ろう! chiba20110507@mail.goo.ne.jp

3年目の3・11郡山にぜひおいでください  佐藤幸子さん(いのちのせんたくひろば代表)

2014-02-19 16:54:51 | 主張


 私は福島県の川俣町出身、震災直後は山形に避難したんですが、今は福島を拠点にしています。


 私が住んでいた「やまなみ農場」は自給自足の暮らしを約30年間していました。山桜が咲く頃、新芽が芽吹いて遠くの山は本当に綺麗です。化学肥料も農薬も使わない、耕さない、虫や草を敵としない農法で作物を育て、平飼いの鶏の卵を販売して。住む家は手づくりで、エネルギーは薪と炭、バイオガスといってトイレのし尿を発酵させて。
 5人の子どもたちは、大体小学校に入る前まで手伝ってくれるんですね。遊びの一貫で。入った瞬間から手伝わなくなる(笑)。

 自然農自給生活学校として全国から15年間研究生を受け入れていました。7年前に「NPO法人青いそら」を立ち上げました。障害者も雇用者も一緒に暮らせる場。畑でつくった野菜でご飯を作って晋段は楽しく過ごして。ヘルパーの派遣事業、外出のお手伝いをする移動支援も行っていました。地域の人たちを呼んで、感謝祭をやったり、年末に餅つきをしたり。 今これら外での行事が全部できなくなっている。

子どもを守るために

 3・11当日はこの事務所にいまして、建物が壊れたりはありませんでした。
その日の夜中に子どもたちを避難させたんですけども、
その直後に「国は何をしてるんだ」って気付いて、20mSv基準問題があった時に文科省に行った。

 役人の顔を見た瞬間に怒り爆発で、「あんた達みたいな大学出た人に数字で決めて欲しくない」って。

 

3回目、5月23日文科省に皆でおしかけたんです。福島から来た人は中、県外の方は文科省の周りを「人間の鎖」で2時間以上いてくださった。

もうあれから3年近くになるんだなって。

 情報を発信しよう、安全なものを食べてもらおうと全国から支援してもらって配ったりしました。
 国外から来られた方に話を聴くたびに「福島大変だ」って思いました。「触るとツバメが卵を産んだことがあるか分かる」という方が「飯舘のツバメ、すでに不妊です」って。「これ福島のお母さんたちに言えないよな」って思いましたね。

 

 甲状腺がんは原発のせいだ

 子どもたちはスクリーニングでA1、A2、B、Cと分かれるんですけど、Bの人たちが再検査をした結果、11月12日に疑いも含めて59人の子どもたちが甲状腺がんと発表になりました(※2月7日の発表で75人に)。
 この数字を高いと見るか低いと見るか。

最初1人出たときに「19歳で大人。大人は10万人に1人出る、だから放射能の影響ではない」って説明したんです。

 次の発表では子どもさんでした。4~5年後に増えるので、震災後1~2年で出るのは関係がない」と。
 59人になってもそれを言うのかと。(*2月7日の発表で75人に)

 チェルノブイリの時は触診で診て明らかに腫れてる人をカウントしたわけです。医大で言ってますよね、「機械の性能が良くなったから人数が増えたんだ」って。
 手術した後はずっとホルモン剤を飲まなきゃいけなくなるわけです。甲状腺に関しては因果関係証明なんて言ってる場合じゃない。

『除染・復興・帰村』のウソ

 国が1番最初にお金を出すと決めてくれたのが除染。お金儲けになるからだなって思いました。

 震災直後に競馬場はすぐに閉鎖、馬は全部避難させたそうです。福島の子どもたちよりも馬、お金稼ぐからですよね。


 学校の除染が始まったのは2011年の夏休み以降、自分たちでやった学校ももちろんありました。まずは校庭。最初に測った学校の∪字溝の下が108μSv。除染した士は穴掘って埋めただけ。全部の校庭、園庭はこういうかたちでやりました。


 本当は、子どもたちが歩く通学路を測らなくてはいけない。測る機械が実はあるわけですよ。ホットスポットファインダー。自転車で付けて歩くとその場で数字と色で出してくれる。


 阿武隈川沿いは真っ赤つかです。屋根の除染で流れる水は士のう袋の中にゼオライトを入れて付着させ、セシウム取り除いた水だけ∪字構に流しましたって説明ですが、検査してないから分かんないですよね。阿武隈川に全部いきます。阿武隈川は福島県を通り宮城県の仙台にいって太平洋に。現場では机の上で計算したとおりなんかいかないってことです。

 チェルノブイリの方たちは「除染は諦めたんだよ」と。現場の作業員に聞いても、「効果ないですね。世界中に知れ渡ったら大騒ぎになりますよね」っておっしゃいます。


 飯舘以外は畑、田んぼはやらないんです。宅地だけ。町はある程度下がります。それでも4割ですね。農村は、畑、田んぼやんなかったら意味ないんです。山もある。空間線量ほとんど変わってないですね。
 飯舘村は「帰宅困難区域」とされたところですけども、わざわざ田んぼ作って実験やってるんです。「この田んぼで作ったお米でさえ大丈夫ですよ」と言いたいらしいんですけど、「100ベクレル以下」だったらしいんです。皆さん買ってくださいますか。ゼロのお米があるのにわざわざ買いますか? 一生懸命そういうことをやってるんです。

 『福島民友』が1月3日から10回連続で「原発災害復興の影」、影に光をあてて、避難者の声を載せてくれました。「自主避難正しかった」と出たんですね。「兵糧攻め苦境の訴え」。避難してる人たちが、消費税が上がると生活できませんと。
 隣の記事が「東京五輪事業誘致」の佐藤雄平知事。「本県復興の姿を発信」「県推進本部新設営」。「合宿所や文化交流」、パラリンピックも持ってこようと。

希望の診療所

 免疫力が下がることでいろんな病気が出てくるということを前提に考えなきゃいけない。
「ふくしま共同診療所」、皆さんに協力いただいて2012年12月から始まっています。
 エコー検査のデータも残していくし、がんにならないように注意を呼びかける。

保養に出ること、出来れば避難してくださいと呼びかける診療所としてやってます。
 「それを言ったら経営難になりますよ」と言われたって当たり前のことですよね。

県民の中では、福島で生活をしなきゃいけないけど考えていくのはもうつらいと言う人もたくさんいます。3年目となればますますそうなります。 避難した人たちが4月かなり帰ってきますね。子どもを地元の小学校にあげたいとか、もうお父さん1人では限界とか、おじいちゃんおばあちゃんが一緒に住まないとだめとか。

 精神的にも経済的にも持ち堪えられなくなっている。そういう人たちもきちんと診ていく診療所として、県内のお医者さんと連携していきたい。

 お医者さんが本気になって考えてきちっとしたデータを出してほしい。福島県立医大や国立大病院はやらないでしょ。国の政策に反するわけだから。データがあっても秘密です。秘密保護法なくても今まで秘密にされてたんですから。

できること1つ始めよう

 福島には命をはぐくむたくさんの「福」がありました。
 美味しい水、人間が生きていくのに必要なものは自然界の中にあります。それを原発事故は全て奪いました。
 その「福」と引き換えに、これから人類が生きていくために今何をすればいいのかを考えるきっかけをもらいました。その人に起こるすべてのことは必要だから起こること。乗り越えられないことは起こらない。あまりにもつらくてくじけそうになった時、そう自分に言い聞かせ、信じて2年間生きてきました。

福島からのメッセージ。命が一番大切なのだということを1人1人、自分のこととして受け止めてください。
 そしてあなたの出来る事を1つ始めてください。未来はそこから変わっていくのです。

(本稿は1月16日の「阿佐ヶ谷市民講座」でのお話をまとめたものです) NAZEN通信10号より転載

3・11反原発福島行動 '14」

【集会要項】

と き:2014年3月11日(火) 14時~
ところ:郡山市総合体育館
※集会後、デモ行進


 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。