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千葉県民、とりわけ市原市民!必読 市原在住の元フジTVアナ山川建夫氏のツイート

2013-03-25 11:01:49 | 放射能汚染

子ども達を放射能から守るネットワーク@ちば

より転載

元フジTVアナ山川建夫氏が放射能汚染で市原での田畑作業断念


「3・11以降、自分の体を観察してきましたが、呼吸器、消化器、循環器系に違和感を覚える事が継続的、断続的にありました。その原因の或る「部分」が自給米や野菜にあった事は間違い無いと思います。ぼくは自家用ですが、プロの農家の方たちにとっては死活問題です。放射能汚染の残酷さが身に沁みます」


元フジテレビのアナウンサーであり、現在は千葉県市原市で生活されてる山川建夫氏がツイッター上でこう発言し、放射能の汚染実態や内部被ばくを懸念するコメントを発信されてます。







少し前、ぼくが体調を崩した事でご心配をお掛けし申し訳ありませんでした。その件で、「自分でつくった農産物を食べているからだ」との指摘を頂きました。その通りだと思います。原発事故の後、房総も汚染から免れないと覚悟したにも拘らず、米作りを続けました。予想通り放射性物質が検出されました。

最も恐れていた原発事故が起こり、茫然自失状態の時、何事も無かったように周りの農家の人達が田の荒起こしをするトラクターのエンジン音が風に乗って聞こえて来たのです。その音で我に返りました。居ても立ってもいられず、放射能の怖れを抱えながらも、手押しの耕運機で田の荒起こしを始めていました

当然、収穫した米は汚染されていました。だから、家族には食べさせられませんでした。でも、折角のお米です。有難く頂きました。そして昨年収穫のお米も食べて来ました。一年半の間です。いわば自分の身体を通した「人体実験」でした。倒れた時、遂に来た!と思いました。ここでの田畑作業はお終いです

3・11以降、自分の体を観察してきましたが、呼吸器、消化器、循環器系に違和感を覚える事が継続的、断続的にありました。その原因の或る「部分」が自給米や野菜にあった事は間違い無いと思います。ぼくは自家用ですが、プロの農家の方たちにとっては死活問題です。放射能汚染の残酷さが身に沁みます

千葉県市原市です。千葉県北西部から東京湾岸を舐めながら木更津方面へ流れた放射能雲が市原市も通過しましたが、計測すると斑条に濃淡があります。我が家の入り口の土は千ベクレル位です。昨年米を精米した糠で33ベクレルでした。

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千葉市でも場所によっては数千ベクレルの土壌汚染が発見されてますので
市原でも場所によっては汚染されているのは事実だと思います。
何度も書いてきたとおり本来は細かく土壌汚染を検査すべきです。汚染を明らかにしたうえで作物をつくるか賠償をするかを判断すべきです。ベラルーシやウクライナでも細かく土壌汚染を調べ、その汚染度によって食用を作っていいかの判断をしてるわけです。日本は健康被害が大々的に顕在化する前に本来はこうした取り組みを先んじてやるべきです。

山川氏のツイートにおいては放射能問題とは別にマスコミの真実を伝える内容も発信されてます。タブーな発言をして干された状況を詳しく書かれてましたのでこれも紹介します。フジは日テレと並び、外国人の株主比率が高く、僕なんかが見ても明らかな米国寄りで支配されたメディアなので、自民や維新応援が露骨で、TPP応援、原発応援、新自由主義応援の報道があまりに露骨です。NHKの堀潤アナの退職問題にしかり日本のTVメディアは言論統制が厳しいです。北朝鮮や中国を馬鹿にしてる場合ではないと思います。

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照美さんの番組終了は年初めから公表されていたが、43年前、出演していた朝のワイドショーでのぼくの降番については視聴者に最後の日まで知らされなかった。そのまま行けば、ぼくは突然、番組から消える事になっていた。レギュラー出演者が或る日急に消えるという「異常事態」が何故起きようとしたか

70年当時、ベトナム戦争は末期的な状況だった。メディアはベトナムでの米国の戦争を支持していた。だから番組内での反戦的発言は許されなかった。その一方、ゲスト出演者の中で米国を支持する者は沢山いた。その一人の発言に堪りかねて思わずぼくは言葉を挟んでしまった。

ベトナムでの取材を終えて出演したゲストは、それが命がけだったと言い、日本に帰って来てこの国が平和で素晴らしいと言った。ぼくは反射的に「あなたが平和だと言う日本の基地からベトナム人を殺しに米軍が出撃している事をどう思っているのか?」と強い口調で問いただした。

更に、「数日の取材でベトナム戦争が分ったような口は利かないでくれ」といった為、ゲストを怒らせた。この「事件」後、ぼくは上層部からゲストに謝罪するように言われたが突っぱねた為、問題が尾を引き、その後の「反戦発言」も重なって、とうとう番組から降ろされる事になった。その日が近付いて来た

ぼくにとっての番組最後の日、その枠内のどこかで視聴者に別れを告げたかったが、とうとう最後まで来てしまった。メイン司会者が「突然ですが今日で山川さんが番組を降りる事になりました」と告げた。そのままCМに入る筈だったのに、何故かまだ1分近く時間が余っていた。彼がぼくに発言を振った。

ぼくに発言のチャンスが回って来た!ぼくは、これまでの感謝と、この降番が自分の意志では無い事を辛うじて告げた。それでもまだ30秒程時間があったと思うが、言いたい事は山ほど有ったのに何も言えなかった。無言の、石と化したスタジオに永遠と思える30秒が経過しCМに入った。

CМに入った途端、突然スタジオが動いた。ぼくは10数人の管理職に手足を抱えられ、そのまま役員室に連れ込まれ、つばが飛んで来るほどの罵声を浴びせられた。一方、TVを見ていた視聴者は一体何が起きたのか分らず、一斉に局に電話を掛けた為、回線のヒューズが焼き切れ不通となった。

ぼくが引き起こした「事件」は、メディアからスタジオジャックとか言われたが、それまでのバーチャルな繋がりだった「視聴者」と直接会える事になり、ただ受け身の状態での視聴から、TVに主体的に係わり、視聴者の意見を反映させ、TVを変えて行こうという機運が生まれかけたのだが・・。


TV局の後ろに国が、そのバックに米国が、という構図の中で、一人で立ち向かったとしても所詮は線香花火。あっという間につまみ出されたというところ。局アナ生命の終わり。たったのワンチャンスでした。だから、ぼくは、吉田照美さんの果たして来た「役割」に本当に頭が下がります。

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