藪遊び

藪歩きの後、体の表面に付いた見えない
砂鉄のようなもの
小瓶に集めて、眺めてみます。

偏食・考

2017-03-15 20:13:22 | 雑感
現在 私の仕事場である施設に居る 70代の男性は
極端な偏食で しばしば体調不良となります。

まず ほとんど野菜が食べられず 肉や魚も限定された
調理法でしか受け付けず(焼肉とか握りずしとか・・)

好物は 玉子焼きと甘い甘いコーヒー(カップの三分の一
は砂糖で埋まります)チキンラーメンなどでラーメンにも
醤油をジャブジャブかけて食べます。

この方を見ていて 私が思い当たったのは 小さい頃の
食生活の希薄さ・・でした。彼の両親は不在で(?)
おじいさん おばあさんに育てられたと言っていました。
しかも 男三人兄弟でです・・。

良くとれば甘やかされ 悪くとればほったらかされて
育ってしまったのではないか?

そこで 自分の事を顧みると 鮮やかな事柄が思い出されてきました。

私が小学校低学年の頃 ある日曜日の昼ご飯のおかずとして
とろろ汁(長芋をおろしたものです)が出ました。

私は「こんなもの 咽に支えそうで食べられない。」と言いました。
本心は『こんな青洟汁みたいなもの 気持ち悪くて口に入れられない』
だったのですが・・・

母は「おかーちゃんが作ったおかずを 食べられないような子は
出ていきんさい!」と言い 私はその後 暗くなるまで家出をして
探されました。

私の小学生時代 給食にはアメリカからの配給だったらしい
脱脂粉乳が必ず付き 私達は本物の牛乳の味を知らずに
中学生になりました。

母は 久々に手に入った長芋を食べさせて 子供達に
栄養を付けたかったのだ・・と 今になれば解ります。

もう一つ やはり同じ頃 家で卵を取る為に飼っていた
雌鳥の(餌やりは 私達子供の仕事でした)一羽が
老化して 卵を産まなくなったらしく 祖父と父とで絞め殺して
その晩に 鶏肉のおかずが出たことがありました。

私はその一切を感じ取ってしまっていたので・・・
以後 鶏肉を口にしなくなっていました。

中学生になってからの事です ある日 夕食の準備で
揚げ物をしていた母が 「ほら 熱々を食べてごらん お魚だから」
と言って 揚げたてのフライをくれました。
まだ夕食じゃないのに 珍しいなぁ・・と思いながら食べた
その美味しいフライは 後で鳥のササミと解りましたが

それ以来 私は鶏肉を食べるようになりました。

母は 私が何故鶏肉を拒否しているのかの訳を
充分に理解していたのだと思います。
だから 時間をかけて 私の記憶が薄らぎ
若い活力が満ちるのを 待っていたのだ・・と 今 思います。

私は 確かに愛情に包まれて育ち
偏食の無い 普通の大人になっています。

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