ケミストの日常

大学化学系教員の日々考えること。
HNはchem@uと省略してます。

裁判傍聴4

2006-11-05 15:13:46 | 環境ホルモン訴訟
松井さんが名誉毀損訴訟を起こすほどのエネルギーを持ち続ける理由は何だろうというのが、この訴訟に関心をもってからずっと不可解でした。
中西さんの記事で「腹が立った」にしても、訴訟起こす程の問題かという点がどうしても理解できなかったのですが、前記事で言及したように、その怒りの理由は本人尋問と陳述書(2)によって、ようやく見えてきた気がしました。

しかし、客観的に見て、松井さんの発表は批判されても仕方がない内容であったと思いますし、それを批判されて腹を立てて、名誉毀損をこじつけようとしても、結果としてその訴訟の過程で松井さんの人物像が自らの手で毀損されていく。
当初の予想通りの展開になっています。

私は「京都大学地球環境学大学院教授松井三郎氏(文部科学省特定領域研究班(平成13〜15年度)「内分泌攪乱化学物質の環境リスク」代表)」が、インターネット上の記事によってではなく、自らが起こした名誉既存訴訟によって自らの名誉を自らの行為によって毀損したと受け取っている。

その毀損している事実を、そうと知りつつブログ記事に書くということは、ある意味松井さんの名誉毀損を行っていることにもなるわけですが、「ネットで批評記事を書いたら名誉毀損で訴えられた」という誰の身にも起こりうる出来事の経過を報告し論評するのは、「公共の利害に関する」もので「公益を図る目的に出た」との判断に立てるわけで、真実であることが担保される範囲においては、問題とならないでしょう。
真実性については、公開されている訴訟資料が充分担保していますし。

刑法
(名誉毀損)
第二百三十条  公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
 2  死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
(公共の利害に関する場合の特例)
第二百三十条の二  前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
 2  前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
 3  前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。



この訴訟における、注目ポイントで最も重要な点は、原告側証拠・主張と実際との齟齬といってもいいでしょう。
私は、訴状と関係する原告側の証拠が公開された時点で、原告側の名誉毀損という主張のおかしな点を指摘しましたが、その後、発表当日のテープとそれを文字に起こしたものが被告側から証拠として提出され(乙5−2)、原告側の主張内容が崩れ去ったように見えました。




 それでも原告側は一生懸命被告の悪口を書き連ねていたようでしたが、本人尋問の段階で、提出した証拠類とテープが示す当日の発表内容の乖離については、当然被告側代理人から質問がありましたし、私が傍聴に出たのも、これらについて原告がどのように言及するのかに関心があったからです。

ここらへんの実際のやり取りはapjさんが傍聴記録を中西応援団の掲示板に挙げていますのでそちらも参照いただきたいのですが、注目点は。


原告側最初の主張
中西の批判は事実と違う。事実に基づかない批判は誹謗でしかない、事実はこうこうだった。
乙5−2を見ると
原告側が主張する「事実はこうこうだった。」について、テープではそのようには言っていなかった。

その後の原告側主張
甲8の13頁の「口頭説明の要点」の記載については、原告としてはこのような趣旨で発言したつもりであったが、乙5の2のテープ録音を聞くと、必ずしも明確な言語で説明をしていなかったようである。しかし、プレゼンテーションの流れや全体を通じての原告の考え方に留意していれば、このような原告の発言の趣旨を理解することは決して難しいことではないはずである。少なくとも、原告が、環境ホルモンは終わった、次はナノ粒子であるという趣旨で発言した訳でなかったことは、研究者であり、環境ホルモンのリスクについての文科省の特定領域研究の審査委員も務め、おそらくは原告の研究成果を示す論文要旨に目を通していたに違いない被告には、容易に理解できたはずである。

ここら辺から、原告側の主張は禅問答のような様相を呈してきて、以前の主張とは違うことを言い出したり矛盾が積み重なってきて、とても野次馬には追いきれていません。
被告側弁護士の弘中さんも原告側主張の整理に、相当の時間を費やしたのではないでしょうか。



こういった点について、今回松井さんがどのように言及するのか。

甲8号証通りの説明を行ったので、修正する必要は無い

甲8号証は、発表当日のスライドと、それに口頭発表の要点が併記されたもので、この要点は訴訟を行うにあたって、事後に松井さんが追加して記入したものです。
この要点どおりの発表を行っていないことは乙5−2からも明らかで、それは原告側も認めているわけですが、今回の松井さんは
「発表はしゃぺった内容が全てではない、スライドを使って説明しており、スライドと口頭の発表内容を合わせると、要点のような発表を行った事はわかるはずだ」
とのことでした。
甲9号証(最初の松井さんの陳述書)にも当日言わなかったことを言ったとしている点があり、弘中弁護士が訂正の意志を確認していましたが、こちらも訂正の意図は無いと明言していました。



発表は、口頭+スライドというのはある意味事実ですから、こういった「開き直り」もありか、とは驚きましたが、訂正を拒否したために松井さんはその後「トンデモ研究者」の道へまっしぐらとなってしまったように見えました。

「専門家なら理解できる」
「これが科学だ」
「科学とはこういうものだ」

「リスクコミュニケーション」というパネル討論会で、参加するパネラーが専門家ではないことを事前に知っていて、それでも、
「『専門化向けプログラム』であり会場には専門家もいるから、専門化向けに話した」
「理解できる人は理解できる」
「話してもわからない人もいる」
「中西は理解できないだろう(スライド見てないからというニュアンスだったように思われ)」・・・

パネル討論会は、パネラーがまず「お題」についての意見を述べ、その後パネラー同士の意見交換・議論がなされ、会場からの質疑応答にも応じるという形で進行しますから、パネル討論会の基本形すら確信的に無視して発表した、わけです。
そして、プレゼンテーションとは何か、にまでさかのぼる必要があるかのような発言のオンパレード。
それでも、逆に言えば、ここまで絞った聴衆にしか通用しない内容の発表だったということは、ご本人も自覚されているようです。

総括すれば、「俺はこういう意図で発表したのだ、この言葉はこういう意図で使ったのだ、この図はこういう目的で使ったのだ、俺の意図を理解せずに批判するな」ということのようでした。
さらには「次のチャレンジはナノ」とは言ったが「次はナノ」とは言ってないとか、子供のけんかの様相を呈してきました。



実際のところ、松井さんが「主張したい内容」で発表を組むならナノ粒子の話題を出すにしてもいかようにもプレゼン資料の作り方はあるでしょう。

しかし最新の陳述書では、
本件記事で被告が批判しているのは、「発表の仕方」に関する事項で、学問的な研究の中身にかかわることではありません。発表の仕方というのは、個人によってスタイルがあることですから、それをいきなり批判する前に、発表者が何を主張するためにそのような発表スタイルを採用しているのかについて十分確認した上で批判するのが、建設的な批判のあり方ではないでしょうか。

「発表の仕方」は研究の中身ではないスタイルだ、批判する前に云々、
リスクコミュニケーションとは研究者の発表の仕方も科学的検証対象の一つではないのかい?という突っ込みはおいといても、
ここまで主張されてしまうと、常々、プレゼンテーションの良し悪しによって、研究内容の評価がいかようにも変わるということを学生に教えている立場としては、同じ教員にこういった開き直りをやって欲しくはない、と駄目だしするしかないかな、と。

松井さんの当日の発表は、発表者が主張したいことを主張できていなかった。
(主張したいこと自体が後からの作文という可能性はあるわけですが、さすがにそこまでは言及しきれない)

プレゼン試料の作り方

まずい発表の理由に、15分という短い発表時間を挙げていましたが、15分でわかる内容に発表をまとめるという思考にはならなかったようです。
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リスクコミュニケーション 環境ホルモン 科学的検証 内分泌攪乱化学物質 文部科学省
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2 コメント

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Unknown (qur)
2006-11-05 23:50:23
 こんばんは。
>発表者が何を主張するためにそのような発表スタイルを採用しているのかについて十分確認した上で批判するのが、建設的な批判のあり方ではないでしょうか。
 抽象的な言い方ですが、これってつまり「自分は環境ホルモン研究の重要性や成果を強調したくてああいうプレゼンをしたのに、『環境ホルモンは終わった』なんて要約をするのは正反対ではないか」ってことですよね(これが「スタイル」か?ってのは置いといて)。で、それを知ったとしても、やっぱり批判としては同じになると思うのです。「新聞記事だけ出して、いたずらに危機感をあおるようなことはすべきでない」と。
 まあ、松井教授自身は「たとえ間違いであっても、とりあえず警鐘を鳴らすこと」=「リスコミ」だと言っていますから、この対立はもうどうしようもないですね。避けられない。そういう意味では、やはりchem@uさんのおっしゃるように「環境ホルモンは終わった」という字句がなければどうなったのか、裁判まで起こしたのかどうか、が気になってきます。
Unknown (chem@u)
2006-11-06 19:21:09
なるほど、そこで
> 『環境ホルモンは終わった』なんて要約をするのは正反対ではないか
につながるのは、思いつきませんでした。
アイデア頂き、とばかり、次の口頭弁論で原告代理人が中西さんの証人尋問で同じような指摘してたら笑ってしまうかも。

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