らくらく化学実験「管理者」の思うがままのツボ

「研修と修養」(スキルアップ?)のつもりで始めてみました。ご意見・同意・反論・忠告・苦言等々、歓迎いたします。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

それにしても難しや「カルメ焼き」

2013年09月28日 | 日記

「カルメ焼き」というと、学校でのお楽しみ実験の定番ですが、いつもついついどうかと思う実験です。というのは、この種の化学実験が、授業がつまらないから息抜きのためのに実験をやるみたいな、レク的な手段として使われる傾向があるからです。そりゃ授業は楽しければ良いに超したことはありませんが、単なるお遊びのために学習活動があるわけでもなく、化学現象はそっちのけで、お菓子作りに陥ってしまいかねません。逆に、他の実験でも授業でも、つまらなくなると化学現象そのものに関心を示さなくなる傾向もあるのです。化学教員の中には、授業の進度が速くて時間が余ったから気まぐれで実験をする態度で実施しているケースも少なくないように思えます。

当然のことですが、化学実験は教育課程にしっかりと位置づけられるべきで、きちんとした学習の狙いが設定されていなければならないものです。食べ物がからんだ実験や爆発などのインパクトのある「ウケ狙い」の実験にややそういった傾向が出やすいわけです。わーって、騒いだ結果、何を学習したのか意味不明なんてことになるわけです。

「カルメ焼き」ですが、そもそもこの実験、操作も、学習内容も決して簡単とはいえない要素をたくさん含んでいます。砂糖を加熱して粘性が高まってきたところに、炭酸水素ナトリウム(重曹)を入れると、熱分解を起こして二酸化炭素が泡となって発生してくるんです。化学反応や熱化学的な側面、砂糖のような天然高分子化合物の物性など、複雑な要素があります。ぷくっーと膨らむための操作のタイミングもなかなか難しく、比較的キャリアのある理科教員でも成功率は決して高くはないのです。

かく言う自分も、失敗作の山を皿に盛ってしまい、普段は入れないコーヒーシュガーの代用品にすることも。ま、ともあれ、お楽しみ実験に終わることがないような完成された実験教材を目指すようにしたいものです。

◎最近の実験動画youtube → カルメ焼き

◎少し詳しい解説 → らくらく化学実験:昔懐かしやカルメ焼き


コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

液晶、でしょ?自然がつくる美しい光で、これらは構造色とよばれます。

2013年09月23日 | 日記

これは孔雀の羽、実に美しい!

 ◎youtube動画はこちら → 液晶がつくるオーロラ

 ◎めんどくさい説明が好きな方はこちらの管理サイトへどうぞ!→「らくらく化学実験:液晶でしょ?」

<液晶がつくる美しい光>

宝石のオパール、孔雀の羽、アワビ・真珠のような貝、タマムシのように輝く体色を持つ甲虫や南国の蝶々などをじっくり眺めてみたことがありますか。これらから放たれる虹のような美しい光は、単に組織に含まれる色素自身が特有の色を発しているのとは根本的に違い、光の当て方や観察方向の角度を変えることで色合いが違って見えるのが特徴的です。これらは「構造色」と呼ばれるもので、構成する組織が液晶という状態をとることで起こる光学的な現象です。少し前に、ヒドロキシプロピルセルロース(以下HPC)という物質で液晶を作ってみたので参考まで。

※コメント

ブログ始めましたなんて、夏のさかりに宣言してすでに2ヶ月近く経過。久しぶりにアップしましたが、どんな形にまとめるかまだまだ模索中!いろんな形を試してみようと思いますがいかがですか?ご意見、お気軽に下さるとありがたいです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ナンバーワンよりオンリーワンになれたのか?世界に一つの花じゃ絶滅じゃー!

2013年08月01日 | 日記

ナンバーワンよりオンリーワンになれたのか?世界に一つの花じゃ絶滅じゃー!

(画像はすっかり草原から姿を消してしまい絶滅が危惧される「カワラナデシコ」で、万葉の昔から大和撫子として大切にされてきました)

 部活動や勉強への取組はどうかと聞くと、なんともやる気が出ないという言葉が出てはくるものです。でも「自分はこの程度で良い」とも言う生徒が間違いなく増えている感じがしてなりません。

 数年前のどこかの国の政治屋が「何で1位を目指さなければならないのですか、2位じゃダメなんですか?」と放言して科学音痴、国情音痴ぶりを発揮しましたが、その後のご当人はすさまじい得票で再選されているから、実にこの国の将来は「わからない」と思ったものです。「わからない」のは、不明というよりも、「不透明・不安定で心配だ」という意味ですがね。しかし、これを本当に、しのぎを削る最先端の科学技術に当てはめてしまったら暗黒の未来を感受しなければならないことは明白です。

 約20年ほど前、トップを目指して汗をかくのはダサイしとにかく臭い、個性がもっと大切でしょうというような個性至上主義なるものが台頭していました。競争をあおるから学力を客観測定する偏差値は無用、指導は強制のイメージがあるから支援に徹しなさい、ナンバーワンになれなくともオンリーワン、世界に一つの花になろうぜよ。ついでに競争がなければ争うこともない、みんな平等になって、世界中の対立・紛争もなくなるはずだから、ハッピーになるはずでしょうと。科学教育ですかあ?科学なんて不要でしょ、汚ならしい泥臭い製造下請けは発展途上国にやらせておけば良いのだからん。これからはお金の計算ができて株式投資とー、えーと英会話!それからパソコンができればということで、伝統的な理科実験道具や優れた指導書は破棄しましょー。その技術を伝えていく指導者はもちろん粗大ゴミ。

 実に恐ろしい時代があったものです。基礎基本よりも、流行が大切、知識を教え込むよりも児童生徒が自分から考えつくのを待って、補助支援するのが学校の役割だとも。教師は教え込む側ではいけないから生徒と平等、目線も合わせるために教壇も取り払い、生徒が傷ついたらそれはそれは大変なので大きな予算でカウンセラーもあちこちに配置されました。礼儀や掃除のような作業も、イヤだと思う生徒の人権が大切だそうです。教師と生徒の会話も仲良くタメ口になって、卒業式の歌も「仰げば尊し我が師の恩~」から「旅立ち・・・」に入れ替わってしまいました。最近は蛍の光も歌わないから、「蛍雪の功」の意味も伝わりませんねえ。だいたいにして冬に蛍が光るものかー!

 そうなれば、生徒の学ぶ事に対する尊い気持ちは薄れて、「師」の側の思い入れも軽くなり、教師もサラリーマン化するのは必至です。伝統的な価値観や秩序が崩れ、国の成り立ちや郷土を大切に思うというというような自然な感覚からくる気持ちですら、あたかも危険思想であるかのように攻撃の対象とされてしまうでしょう。そんな狂った考えが大手を振って歩くような世の中にならなきゃいいですがね。

 それにしても 「ナンバーワンにならなくてもいい~オンリーワン」の歌の通り、現在、我が国の人々は、それそれが世界に一つの花になれているのでしょうか?これからなれるのでしょうか?だいたいにして、世界にオンリーワンの花じゃ、絶滅危惧種じゃん?おしべとめしべは出会って、どのように子孫を繁栄させていくのでしょうか?逞しさに欠け、環境に適応できなくて絶滅確実だー!

 ちなみに、自分はスマップに恨みはありませんです。あの歌はカラオケ向きの実に良い歌です。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

勉強する意味、全然わかんない?・・・だから勉強するんでしょ!

2013年07月27日 | 日記

「勉強する意味前々全然わかんない?・・・だから勉強するんでしょ!」

 数年前のことですが、手製教材の「古代鏡:青銅鏡(※画像)」をあるクイズ番組で紹介してもらったことがあります。番組の中で、ある個性派タレントが「学校なんて勉強なんて・・・自分がぁ大切でしょ?個性第一、自分らしく生きるウ~ことですよ」と言い放ちます。ついで司会の所ジョージさんが、「個性」のために茶髪にしているという高校生から質問を受けるシーンがあったのです。「勉強する意味前々全然わかんない!だってさあー数学とか理科とか何の役に立つのかわかんないしー。」と高校生が聞くと、所ジョージさんが答えるには「そりゃあんた、意味わからんでしょうよ。あんた、それがわからないから勉強するんでしょ?」と見事に言い放ってくれました。タレントの中にもしっかりした人もいるのだなあと関心したものです。

 その昔、世界の大半が列強大国によって植民地化されていた時代、銃や大砲などの武力を使わずして現地の人々を最も有効に支配する方法は、『文字を読ませない』『教養を身につかせない』『向上心を持たせない』ことであったのです。要するに、教育を受けさせない・勉強させないことで、単なる労働力・金づるとして、まんまと民衆を支配することに成功していたのです。アヘン漬けにされて国を搾取された王朝もありましたね。さらに、占領政策として、最も力を入れたのが、『その国の文化や伝統、誇りを徹底的に破壊すること』であったのです。自己実現とか、人として当然の権利とか、そんな事を考えるのはもってのほか、と現代で言うところの人権感覚は微塵もない粗野な世界が広がっていたのでしょう。今でも正しい歴史観・国家観と称して、人民は平等であり、とにかく等しく労働・作業を大切にし、一部支配層のために人生を尽くすことが使命であり、人民の努めであるかのように教育された国は少なくないかもしれません。

 「自分らしく生きる」の肯定群と低学力群が見事に一致するという調査結果があるそうですが、テレビで個性派タレントが言うように、個性を大切に自分らしく生きるために、学力や努力を否定してみせることが一見正しそうに見えますね。社会や学校から、秩序なり伝統なり、受験なりを押しつけられたくはないということなんでしょう。でも、そこからは自己都合的学びがらの合理的逃走が透けて見えてくるのです。10代そこそこの子どもが主張する自分らしさっていったい何でしょう?今後、こういう子供らばかりが大衆を形成していけば、それこそ支配しやすい民衆となるだろうことは自明の理でありましょう。

 何のために教育が必要か、勉強することの意味を歴史を題材に偉そうに問いかけてみました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

夢って食べられるものなの・・・夢が持てないって本当かな?

2013年07月25日 | 日記

「夢ってべられるものなの・・・夢が持てないって本当かな?」
 
少し前の話なんですが、ある発展途上国で理数科教師(国際開発関連事業?)をしている若者から手紙を頂きました。施設や予算が少なく、水道や電気のような基本インフラすら乏しい国で奮闘中とのことでした。自分が、身近な素材でお手軽低予算の理科教材開発に関わっていることをネットで知ったらしいです。その国では、子供も学校に通えるのであればまだ良い方、生活のために稼ぐので精一杯の現状であるため、実験器具が不十分であることを想定して、身近な素材、動物の毛やミルク、岩石や植物を使った化学実験テーマをCDに入れて送って差し上げました。

 かの国の子供たちに将来の夢の話を聞くと、「先生、夢って何?それ、食べられるものなの?」などと、日本なら阿呆タレントのジョークにもならないことを言う子どもがいるのだそうです。もちろん、中には医師や教師になって力強く豊かな国家を建設したいという意志を持つ子も確かにいるのですが、今日という日を生き伸びるだけで精一杯という子供にとって、夢を持つことがいかに大変なことかが伺える生々しい情報です。

 先日、ある人権(?)講演会なるイベントで話を聞く機会がありました。おそらくは主催者が相当な講演料を支払って来ていただいた著名な作家に違いないのでしょうが、これが遅刻はするわ講演のテーマすら忘れるわのどうにもならない非常識な人物で、特にその講演の中での無神経な発言が気になりました。「今の日本の子供たちは夢を持てなくなっていてカワイソウだね・・・あは、君たちのことかな、あははー」「今の世の中、君たちは、いくらがんばってもダメなんだよ・・・まあ、君たちのせいではなくオトナとか教育委員会や文科省が悪いんだけどね・・・」と・・・。

 聞いていて気分が悪くなりました。こんな講師を金を支払ってお呼び立てする主催者にも問題があるのですが、「夢のくだり」は本当にそうでしょうかと疑問に思いました。

 少なくとも自分の世代には、オモチャ屋や肉屋、八百屋、電器屋などの小商店主の子息がたくさんいました。彼らには、問答無用で当然の如くに家業を継がされた者が多かったのですが、産業構造の変革の中で、ほとんどが廃業に追い込まれていったことは想像に難くありません。生業のないサラリーマン家庭の子供も、少ない選択肢の中から進路を選ばざるを得なかったのです。わずか数十年前の話なのです。歴史上最速で発展を遂げた日本であっても、蛙の子はカエルという諦(あきらめ)に近い言葉に現実味があり、発展途上国の子供たちほどではないにしろ、深刻な事情、理不尽なことでも受け入れざるを得ないことが普通であったのです。

 しかし、現在の我が国の若者達はどうでしょう。雇用や少子化による社会保障制度の劣化が若者に不安を抱かせるものの、本当に若者にチャンスはないのでしょうか?この変革期にむしろチャンスは、若者の目の前に、その先にもいくらでも転がっているではありませんか?ドラゴン桜よろしく、本人の意志や努力によって、いくらでも夢を現実に近づけることができる世の中ではないでしょうか!先の人権講話のように、未来を否定的に捉え、格差社会や若者の無気力とか、安っぽい言葉で、希望を持つことの重要さを否定しようとするのは、卑劣な試みではないでしょうか?

 歴史年表を遡って読ませてみましょうよ。先人が安定して豊かな社会を目指し、いかに苦難の道を歩んで現在に至ってきたものか、柔軟な若者なら理解できるはずです。昨日より今日、今日より明日と、夢や希望は思い切りでっかく、誰に迷惑なものかと堂々大志を抱かせて良いのだと思います。

手紙をくれた若者の国際社会での健闘を期待したい。

自分はその大志に乾杯!

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

火遊び禁止・・・危ないからすぐ禁止するオトナで良いのか?

2013年07月22日 | 日記

海水浴のシーズンですが、あちこちの海岸でバーベキューなどの火気使用が禁止されるところが多くなってきました。そのような取り決めが作られてしまう経緯や根拠について、すべて理解できないわけではありません。しかし、すでに環境保護の美名のもと、学校や空き地を含めた公(おおやけ)の場での火の使用が極端に制限される世の中になっています。ひとたび制限事項が成立すると、それがあちこちに拡大解釈がゆきとどき、少しでも危ないところはないだろうかとまるで虫眼鏡で探すかのように熱心になる方々が少なくありません。熱心は結構ですが、同等の熱心さを持って、火を取り扱う機会そのものを奪い過ぎることの代償にも着目すべきだろうと言っているのです。あれは危ない、これだめ、それはもちろんだめばかりでは、それはそれはひ弱な指示待ち人間ばかりが育つのはあたりまえでしょう。

 その昔「ワンパクでも良い、たくましく育って欲しい」というコマーシャルの名文句がありましたが、あれこそが真理をよく言い当てていると思います。そりゃあ、事故がないにこしたことはないですよ。でも、小さな事故やケガなどのリスクを過度に怖れるばかりに、正常な危機管理能力というか、いざというときに適切な判断や行動ができない、そういった状況をオトナ社会自身が作り出しているのではないでしょうか?火遊びを禁止すれば、子供は「正しく」育つはずだ。だから危ないことは取り除き、機会を消し去ってしまおう、と。昨今の学校には、このテの一見オトナの判断に見えるような愚かしい習慣が蔓延しているような気がしてなりません。子供が多少わんぱくでもいいからいろんな事にチャレンジして失敗から学んだり、危機を察知したりする能力を育む機関、それが学校だったはずです。事故や災害、組織内での対応のミス等々に関わるニュースを見聞きするたび、とにかく目の前をリスクを避けさえすれば良いのだという、そんなオトナの判断が遠因になっているように思えてくるのです。

→画像はもろ危険な火遊び実験!炎が熱くないわけないですが、なぜこんな事ができるのだろうと考えるから学習なのだと思います。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

光るエコアクセサリーつくってみました

2013年07月19日 | 日記

暗くすると→よく光ります!

夏休み前の補充授業で工作実験をやりました。この実験は、①トウモロコシの樹脂から得たエコ素材(生分解性プラスティック)で、廃棄しても自然に還るという触れ込みの素材、②高輝度の発光剤、③身につければ暗闇でもよく光ってみえるから交通安全教育、という3点の要素を持つ実験としてPRしているものですが実験のレパートリーの中では特に人気のある実験です。4年ほど前に実験のレイアウトを公開して以降、全国の小学校から大学まで問い合わせは数知れず・・・。携帯ストラップにするという発想が若者に受け入れられたのでしょう。ちょっと実験の様子をyouyubeにアップしてみました。(少し顔が写ってはいますが個人は特定されないでしょう?) → http://www.youtube.com/watch?v=F0ePDOproio&feature=c4-overview&list=UULeBzOERfR5lJBQWKxnZtsQ

それにしても持ち帰り実験には予算が必要で、実施にはまず勇気が必要です。個人の所有物となるのだから、一人あたりのコストに生徒数とクラス数を掛けねばなりません。でも、当のご本人様たちはさして気にするでもなく童心にかえって工作実験を楽しんでおりました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2歳児がスマホ!まさかこんな時代になろうとは・・・

2013年07月17日 | 日記
「まさかこんな時代になろうとは!」
 先日、さるところで2才くらいの幼児(もしかしたらまだ乳幼児か?)が器用にスマホを扱っているところを目撃してしまいました。扱うといってもさすがにメールは打っていませんでしたが、アプリらしきものを意図的に駆使してスイスイ画面を走らせていました。確かに見ました。
 思えば20年くらい前にアメリカのゴア副大統領がインターネット構想(ハイパー何とか)を語っているとき、トンデモない世の中が来るような予感がしたものです。しかし、それはトンデモない世の中のまだまだ序章にに過ぎなかったんですねえ。授業でも「いずれの御時には、壁掛け極薄や名刺サイズのテレビがポケットに入る時代がくるのじゃぞうー」と偉そうに語ったものですが、もうそういった時代はとーっくのとうに到来して、通信機器を持って世界中の情報を自分から探して引っ張ってこれる、そんなツールを持って闊歩する若者達を眼にすることになるとは、とほほー。と机上のガラパゴスに眼をやる…。このガラパゴス携帯なかなか壊れないんですよね、頑丈無骨だけが取り柄かなと。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ったく、手応えのない環境になったもんだ

2013年07月16日 | 日記

「ったく、手応えのない環境になったもんだ」  かつて、テレビのチャンネルを兄弟姉妹で争っていても、生活感というか科学感が養われたものです。チャンネルを回すという動作から導電性のある金属の接触する感覚が手から伝わってきました。あの手首をひねる動作も、カチャカチャという音も、画面が切り替わる瞬間のあのぐちゃ映像も無駄なことではなかったのでしょう。今や、リモコンのボタンを押せば信号なるものが赤外線にのって通信されるからまことに便利この上ありません。が、簡単な理屈はわかるものの赤外線という代物に手応え感がないせいで、何がどうなってそうなるのか考える必要がなく、そういった習慣も持たなくてもさして困ることがない生活レベルになったということなんでしょう。もっとも、少子化の影響で争う相手すら少なくなり、いたとしても塾や習い事で衝突する時間が少なくなり、各自でパソコンやスマホがあるのだから余計な心配というものです。ただ、このような利便な生活の中で、ものごとの仕組みを理解したり、探求心や好奇心を育むことが難しくなっているのは間違いないと思います。 『理科離れ』という言葉は、自分が教職に就いた頃からあったなあー、とずいぶん前に先輩の教員から聞いた覚えがあります。戦後の一定時期にはすでにそういった認識があったとすれば、これは教育課程のちょこまかした変遷レベルの問題ではなく、子供が基本的に持っている興味や関心が上手く育たなくなっているからではないかと思います。改めて指摘する程のことではないでしょうが、こういった環境の中で「理科に親しむ」とか「科学的な探求心」を育てるということの難しさを思うばかりです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

リスクはありますがあ・・・お試しブログに挑戦!

2013年07月14日 | 日記

先日、ブログなるものもあるのでしょうが、どうもあのカレンダーをいちいち開くのが使いづらいなどと管理サイト(らくらく化学実験:http://rakuchem.com/)に書き連ねてしまいました。おまけに、トラックバックとかなんとか、クリックしているうちにどこに飛んだのかもわからない、やはり旧来の方法でホームページからリンクをかけては書きつらねるという方法に落ち着いたなどと。舌の根も乾かぬうちのとはこのこと。ふと思い直してブログなるものに触れてみることにしました。ただ、時流にのって手がけてみたFB(フェイスブック)同様、まだまだ自身が発展途上のようで、どうにも活用を広げていけるような環境にはないような気もします。というか、一定の組織に属している身ともなれば、組織の一部を代表する立場で勝手にモノを言うわけにもいかないわけですから、匿名かイメージキャラに変身でもしなければ本音も表明できません。どこの誰が発信しているかなんてことはググってみれば割と簡単に突き止められてしまいますし、完全に情報を秘匿することは不可能です。また、公の場面やその立場を利用して収集した情報も含まれるので、もともと際どい側面があるわけですよ。ネットに情報を流すこと自体がそういったリスクを冒すことを前提にしている以上、外部から指摘を受ければすなおに受け入れざるを得ないでしょうしね。でも、これだけネットワークを通じて情報が行き来する時代です。明らかに人権を侵害するとか、組織運営に悪影響を及ぼしているということでなければ、過度に神経をとがらせるのはいかがなものでしょうか?被害を及ぼしかねないから、その可能性があるから規制するのだということなんでしょうが、本末転倒の気がします。窮屈な世の中に対する救済の側面があるからこそ、これだけネットが浸透しているということでもあると思えますしね。・・・初回から言い訳屁理屈こねてますが、このあとこの記事はどうなるのかな?ブログの設定がイマイチ理解できませんで。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加