海亀亭日乗

海亀のように静かに生きたい。しかし実際はある企業の事業戦略室で激しく働く男の愚痴と希望の入り混じった日記のようなもの。

生きて行く上で「目的」って必要なのだろうか

2006-01-15 06:16:56 | Weblog
スポーツや冒険を通じて、それをメタファーとしていろんなことに気づくことがある。特に私はアウトドアスポーツや海外旅行が好きなので、そこからいろんな「気づき」や「教訓」を得ることが多い。しかし昔はアウトドアから得られた教訓に納得していたのだが、どうも最近違和感を覚えるようになってきた。

例えば山登りにしても、大好きなシーカヤックにしても、大自然から得られる英知はたくさんある。しかし、そのどれもが「ゴール」の存在を前提としているのだ。山登りには、当然ながら山頂を目指すというゴールがある。またシーカヤックも、向こう岸に着くというゴールがある。そうしたゴールを前提としたものからは、今までリーダーシップや障害の克服の仕方など、たくさんの「気づき」を得てきた。これらの教訓は、仕事でプロジェクトを動かすときや、部下指導に大きく役立ってきた。

しかし人生はについてはどうだろう?人生は仕事と違って、納期や決められた目的なんかない。自己啓発本には、ゴールをハッキリと決めて力を集中させれば目標は達成しやすい、なんて書いてある。だからみんな自分のゴールを見つけようとキリキリしている。でもそんな簡単に自分のゴールなど見つけられるものだろうか。どの自己啓発本も「ゴールを決めよ」と脅迫し、目的のない生き方をしては充実した人生が生きられないように宣伝するので、就職を控えた大学生などセンシティブな人は「私には人生の目的がない」などと言って落ち込み、ひどい時には鬱になったりする。最近、こうした目的や目標ありきの思想に疑問を持ち始めているのだ。

順番が違うのではないか?もしくは、手順を飛ばしているのではないか。人生の目的や目標を性急に作ることは難しいだろう。にわか作りの目的などは、どこかの自己啓発本から借りてきた信条や、誰かカリスマの生き方から拝借してきた仮の目的でしかないだろう。それでは、本当に自分にシックリ来る目的を得られないのではないだろうか。

また目的がない生き方はダメなのだろうか。人生の目的などという大仰なものがなくても、気持ちのいい状態が恒常的に継続すればそれで良い、特別に何かを達成しなければならないという拘束はない、という考え方はダメなのだろうか。

漂泊?それが近いかも知れない。漂泊というスタイルは、日本でも過去に存在した。西行、一遍、芭蕉。みな旅の中で創作して行き、旅を生きがいとした。旅には目的がない。旅をするというプロセス自体を楽しむことが目的化している。旅をする。新しい刺激を受ける。自分という器がそれに感応して、何かを反射する。その反射を繰り返すうちに、ひとつの型が出来る。その型は自分にとってなじんでいて、好きな反射だ。それが思想だとか、哲学だとか、スタイルだとかいうものであろう。

スタイルはゴール(目的)を必要としない。ゴールなんてなくても、スタイルは生きて空気を吸っている間中成立するものだ。目的を決めずにプロセスを楽しむ、結果を重視せずむしろスタイルを大切にする、そんなものは他にないだろうかと思いをめぐらしたところ、あった。私にとって「旅」がこれに該当する。

私はどちらかというと一人旅が好きだが、長期の休みが取れた場合、よく海外旅行に出かける。その際は、あまり詳しい計画は立てないようにしている。インドに行ってタージマハールを見ることが目的ではなくて、現地に降り立ち、情報を調べて、自分で考え、騙されたりボッタクられたり予想外の人情に触れたり、試行錯誤や色んな経験をすることが楽しいのだ。極論すれば旅の行く先はどこでも良くて、そこに至るプロセスや経験がより重要なのだ。

人生に引き戻して考えると、人生の目的など何でもよくて、日々生きている上で得られる経験こそが重要。メシ食ってクソして空気を吸って、そのプロセスが楽しければ上々の人生だ。ただし生きて行く上でスタイルや流儀といったことは大切で、美しく生きて行くためには一定のルールを自分に課さなければならない。腹八分目とか、体を鍛えるとか、友達は裏切らないとか、そんなの。

こうして考えると、曽野綾子さんが書いていたキリスト者の信仰生活に似ている。キリストの言葉はシンプルだが、それを本気で実行することは大変困難である。「汝の隣人を愛せよ」といわれたら、天なる神に対して嘘偽り無く隣人を愛さなければならない。この人は美人だから愛するけど、この人は腹が出ていてハゲだから愛さない、という生き方はキリスト者には出来ない。キリスト者は魂の救済を神と契約して、その契約に基づく責務として戒律を守る。アジアの宗教のような現世利益的な色彩が少ない。反論や例外はいくらでもあるだろうが、まぁそう感じるのだ。

翻って、私のスタイルはどうだろう。スタイル、ルール、掟、なんでもいいのだが、それは私が美しく生きるためには必要なものだ。ルールなのだから、今日は疲れてるから破ろうとか、上司に言われたから破ろうとかいうのは気持ち悪い。スタイルやルールは勝手に決めたものだから、私が生まれる前から存在している世間様とは衝突するかも知れん。けれどスタイルを守ることによって短期的には損するだろうが、長期的に見れば自分で納得できる美しい生き方ができるのだから、それはお得なのだ。キリスト者もこんな気持ちなのだろうか。

話を元に戻して人生の目的について。「目的を持て」という生き方は、支配者にとって都合のいい思想だ。だってその方が人間は精進するだろうし、生産性が高まるでしょ?スポーツ選手やエリートビジネスマンなど、短期的に爆発的な成果を上げなければならない人にとって、目的は大切なのかもしれない。そして、そんな人たちを束ねる支配者にとっても。けれど、それを個人の人生にまで当てはめるのは困難だ。無理にそれらしい目的を作っても、違和感があるし、今は「本当の目的だ」と思っていても長い間に変わってしまうだろう。だから個人が長い人生を生きて行くには、「目的」ではなくて「プロセス」が大切なのではないか。プロセスが充実していれば、人生を楽しんでいれば、後から振り返ってみたとき、きっといい人生になっているだろう。

そしてユルユルダラダラの人生にならないように、美しく生きるためにスタイルやルールが必要。スタイルは自分で見つけること。反復してみて、違和感がない、気持ちがいいものがきっと自分のスタイルだ。スタイルのある大人は、とても魅力的だ。自分のスタイルを作り上げることは大変難しいけれど、それが成熟するということだし、スタイルを作り上げることはカッコイイし、カッコイイ大人を見てもっと若い世代は自分もスタイルを作ろうと思うのだから、自分ひとりの問題じゃないと覚悟して、世の大人達はぜひスタイル作りに精進して欲しい。

素早く正確な意思決定のための休日の過し方

2005-11-27 18:26:10 | Weblog
最近とにかく忙しい。前職も超がつくほど忙しい会社であったが、忙しさの種類が違うのだ。前職では、あるプロジェクトに対する明確なデリバリーの時期があって、それに間に合わせるためには連徹も辞さずという種類の忙しさであった。それに対して今の仕事は、比較的タームの短いミッションを与えられ、その解決に向けて毎日全速力で脳を働かせる。その間にも、ポンポンと重たい課題が突発的に発生して、これまた即答が求められる。ひとつひとつのイッシューは、時間さえ充分に与えられれば論文のネタとしてヨダレが出そうなおいしいネタなのだが、いかんせん上司は今すぐにでも答えが欲しいので、上司の問いに即応できる瞬発力と手広い見識が必要だ。

いくら即答が必要といっても、私個人の感想を求められているワケではなくて、ちゃんと論理的根拠を持った仮説が必要。そんなワケで、何かを問われる前に事前準備が必要になる。私が「自主練」と呼んでいる休日の作業がこれに当たる。まず判断の基準となる基本数値。人口統計、経済統計、株価、為替、地価、日経新聞に載っている程度のものはおおまかでも頭の端に覚えておく。次に自社環境と外部環境。売上高、営業利益率、当期利益、売上構成、及びその推移。少なくとも、自社が何で儲けているのか、構成要素、要素別の重み、儲けの仕組み、トレンドを押さえておく。そして自分の担当領域の専門知識。業界の発展史から始まって、現在の経済規模、マーケットシェアといった過去の情報と、ライバルの最新動向、日々上がってくるリサーチデータといった現在の情報、そして空いた時間に将来のシナリオ展開を簡単に思い描いておく。会議の席で、キーマンがどんな思考パターンを持っているのか分析しておくのも有効だ。上司、その上司、上司ではないけれどカリスマ的なオピニオンリーダー。人の脳を借りてシミュレーションができるので、会議分析は有効なツールである(事業本部長は役員会議に出席しているので大きな数字の勘所を押さえて判断しているとか、情報が集まっているので総合的な判断ができるとか。オピニオンリーダーは技術的裏づけから次の戦略を予測できるし、海外動向に通じているので日本の次を予測しやすいとか)。

週末のようなまとまった時間が持てる日は、重たい課題に取り組むのに最適だ。私が今取り組んでいるのは、自分が受け持っているビジネス領域の発展史。「賢者は歴史に学ぶ」の言葉通り、歴史はケース分析の宝庫だ。今の勢力地図が、何を契機に作られていったのかが分かると、次のシナリオも予測しやすくなる。今ネット業界でホットな話題のひとつは民放各社のネット動画配信だが、利益モデルはVideo On Demandのような直接課金方式から、広告挿入型の無料放送に重心を移しつつある。ネット業界と広告との関係は古いが、大半はポータルサイトや検索結果のリストにスポンサー広告を表示する形態である。それに対してTV番組の無料配信は、TVと同じCMを動画に挿入する形態なので、旧来のTV放送と同じく広告代理店が広告枠を取り仕切り、スポンサーに売り歩くことになる。このスキームでは、ネット広告界の巨人であるGoogleもOvertureも、成長著しいサイバーエージェントもカヤの外である。放送局のようなCP"Contents Provider"と電博のような旧来型広告代理店が主導権を握ることになるので、Yahoo!のようなポータルサイトや、Googleのような検索エンジンプロバイダーにとっては面白くない話だ。ポータルサイトと検索エンジンプロバイダーは、軒先を貸すという賃貸収入しか入らない。また、GoogleのAdsenceの登場によって、やっと個人の零細サイトでも広告収入が得られるというWeb2.0的な展開になってきたのに、TV放送モデルでは再び中央集権的な強者しか広告収入を得ることが出来なくなる。また昔に逆戻りだ。一矢報いる方法はありそうだが、これは週明けの会議ネタとして取っておこう。

話をもとに戻して、週末の自主練習。じつはいくらこうやって準備していたとしても、突発的に発生する課題には対処できない。全く専門外のことで、なおかつ重要な課題を振られる場合が多いので、これには素のままの経験値で戦うしか方法がない。コーポレートスタッフはマーケティングのような高度専門職とも違い、守備範囲が広い上に専門性も求められる苦しい仕事である。言ってみれば、事業本部長の軍師。事業本部長が意思決定しやすいように、いくつかの戦略オプションを提供する。しかもコンティンジェンシープラン(次善の策)も考える。いつもいつもかっこよくベストプランを提供できるワケではないが、プロとして恥ずかしくない打率を稼ぎ、たまにスマッシュヒットを飛ばして顧客の印象に残る仕事をしたりする。なんとか業界の片隅で、今日もメシを食わせていただいております。

GREE招待率で千葉県が大阪に勝つ?

2004-10-11 23:06:49 | Weblog
この間mixiに招待されたこともあり、最近メディア露出度の高いSNSに興味が湧いたので、最大手のひとつであるGREEを覗いてみた。やっぱりというか、「現在、alphaバージョンをリリース中です。alphaでは、すでに、GREEに参加している方の紹介でのみ、新規の利用者を募集しています。」とのことで、誘われていない私は門前払いを食わされました。

ただこのまま帰るのも忍びないので、説明書きなど読みつつ、どんな人が参加しているのかと思い参加者内訳を読んでみる。一見して大都市圏に集中しているように見えるが、どの程度のバラツキになっているのか気になったので、ちょっとプロットしてみた(図1)。

図1.


47都道府県のGREE参加者を棒グラフでまとめてみたのだが、関東一極集中があまりに極端なので、見やすいようにy軸を対数化してある。最大は東京の42,020人、最小は島根県の65人、算術平均は1,999人、中央値は269人と非常にいびつな分布となった。全国平均に近いのは愛知県の2,112だが、東京・神奈川がはずれ値として突出しているので、ここは中央値が事実上の全国平均といえるだろう。今回は群馬県がメジアンの位置にあり、日本の平均としてマーケティング調査によく使われる静岡県は、GREE会員の数としては上位グループにより近づいている。今回47都道府県を、GREEの参加人数別に大きく4階層に色分けしてみたのだが、TOP10だけで実に88%を占める寡占状態にある。TOP10をさらに分析してみると、さらに東京を中心とした関東経済圏、関西経済圏、そして愛知、福岡、北海道といった地方大都市圏の3階層に分けることが出来そうである。

さて、GREEの会員が首都圏で異常に多いということは分かったが、その原因は何なのだろう。特に東京、神奈川のツートップが強すぎる。最初に思いついたのが、ネットの普及率。インターネットのコミュニティサイトなのだから、ネットにつながる人が多ければ当然GREEへの参加者も増えるだろうという単純な考えであった。都道府県別のインターネット普及率を総務省あたりから落としてきて、さっきのグラフに重ねたのがこれ(図2)。y軸は普通に戻してあります。

図2.


うーん、ぜんぜん関係ないですね。奈良県なんか、ネット普及率で東京を上回っているのに、GREE参加人数は比べるべくもありません。ちなみに両者の相関係数は0.41で、ほとんど無関係と言って良いでしょう。なんかヒントはないかと、先ほどのGREE会員内訳ページを読んでいると、年齢別の分布が載っていました(図3)。

図3.


なるほど、30歳までの会員が74.4%を占めており、ずいぶん若いコミュニティーだということが分かります。どうも年齢と関係ありそうですね。人口動態といえば総務省のお家芸なので、また統計データを拝借して来て、図1と重ねてみたものが図4です。

図4.


来ました!いい感じで近似しています。2者の相関係数は0.783に跳ね上がり、どうやら15歳から29歳までの若い世代の多さが、GREEの会員数に強く影響を与えていると考えても良さそうです。と、このグラフを眺めているうちに、面白い現象を発見いたしました。それが千葉と大阪、京都と愛知の関係です。千葉-大阪、愛知-京都はGREE会員数で見たところあまり大差はないのですが、その15歳~29歳人口の数が著しく差があるのです。GREE会員数が同じの場合、15歳~29歳人口が相対的に少ないということは、より少ない若者数でGREE会員数を増やしているということですから、千葉や京都の若者は、大阪や愛知の若者に比べて、友達を招待する率が高いということです。大都市圏のGREE会員数が多いということは、恐らく大学や企業数が多いことと関係があると思われますが、TOP10の中でも県によってこれだけ招待率が違うのは興味深い現象です。仮説としては、千葉や京都の学生達は、けっこう大らかに友達を招待しているということでしょうか。噂に聞く「GREE八分」などとは無縁の国、それが千葉県。県民性が影響するのだろうかと思い、「県民性の法則」を調べてみると、
なんでも

  「気候が温暖で土地が豊か。県央は東海道の諸藩が移封された
り、県南には徳島からの移住があり、「よそ者」がやたら多
い。いきおい、郷土意識と深謀遠慮に淡い県民気風が醸成さ
れた。細かく見ると、気っぷのいい外房と小技策士の内房、
そして、こだわらない内陸と性格は異なるが、おしなべて可
もなく不可もなしといったタイプ。」

なんだそうな。あんまりセクショナリズムに固まらず、いいと思ったサービスは気風良く紹介しているってことでしょうか。大阪人の特性としては「駆け引きを楽しみ、コテコテと相手を振り回すのが仕事だと思っている」との記述がありますが、せっかく苦労してGREEに入ったんだから、そう簡単には教えてやらない、という心理が働いているのでしょうか。大阪の皆さん、ご意見お待ちしております。

こうしてみると、若年人口で拮抗している福岡-北海道という新たなライバル関係も見えて来ます。わずかに福岡がリードしているのは、「なんでんかんでんよかよか」文化によって、こだわりなくインビテーションしているからでしょうか。

ここまで書き進めてみて、ちと疑問が湧いて来ました。いくら若年層が多いからといって、やはりネットに繋がらなければGREEには入れないはず。若年人口はGREE会員数の先行指標になっても、直接の原因にはならないのではないか。ということは、都道府県別のインターネット人口との関係を調べてみれば、もっと有意な関係が見られるのではないか。ぴったりの統計データは存在しないので、ここでは総務省の人口統計と、ネット普及率統計を掛け合わせて、都道府県別のネット人口を試算しました(図5)。

図5.


そしてプロットしてみると、予想通り図4よりもさらにGREE会員数に近づいて来ました。相関係数は0.798と、とぼ正比例と言って良いほどの強い相関性を表しています。最後に、5つの変数間の相関をまとめたものが図6です。

図6.


結論として、GREE会員数との相関係数が一番高いのは、15-29歳人口をわずかに抜いてインターネット人口でした。考えてみれば当たり前で、GREEの統計上の最大勢力が15~30歳だったとしても、その他の年齢の人間も参加しているのですから、ネット人口の方が相関係数が高いに決まっているのです。

その他に興味深い数値としては、都道府県別総人口と15-29歳人口の相関係数が0.998と異常に高いこと。若年人口が増えれば総人口が増えるのか、いや逆に総人口が多いから、若年人口が多いというべきなのでしょうか。次にネットの普及率とネット人口があまり相関していないのは驚くに値しないことでしょう。これは統計のマジックで、たとえば奈良県のネット普及率は62%を越えていますが、もともと人口が少ないのでネット人口は899千人しかいない。その一方で、東京都の普及率は56.6%とやや劣りますが、推計上6,920千人となる。これで相関係数の低さの理由が分かります。

県民性とGREE会員数だけで、いろいろなことが推測されて非常に興味深いデータが取れました。今後大都市圏のGREE会員は増え続けるでしょうが、各ライバル県達の変化も気になります。逆に島根県のように会員が少ない場合でも、65人全員を集めてOFFをすれば楽しいのではないでしょうか。数だけ多ければ良いというわけではないでしょうし、むしろ少数であっても強い絆で結ばれることがネットワーキングの本来目指すところでしょうから。


Eliica?? Eureka!!

2004-10-03 03:45:57 | Weblog
今日は畑違いの電気自動車の話です。

私は若気の至りで、かつて環境保護活動をしていた過去があり、今は積極的な活動をしていませんが、それでも環境汚染に対する不安な気持ちは変わりません。そんな自分が、少量なりとも温室効果ガスを排出すると分かっている自動車に乗るのは自己矛盾を起こすため、今も自動車を保有していません(嘘。本当は首都圏では維持費が高すぎて、保有するのが非合理的なため)。昔はけっこう頑張って活動しましたが、変革の動きは遅く、戦い続けることにも疲れたので、挫折感たっぷりに転向(ころ)んでしまいました。そんな私の目に飛び込んで来たのが、未来志向のコンセプトカー「Eliica」のニュース。

Eliicaは慶應義塾大学と協賛38社が作り上げる、近未来に向けた究極のエコカー。私がふてくされている間に、地道に研究していたエンジニアはたくさんいたんだ。片山右京さんも書いてらっしゃいますが、技術の進歩というものは、人類の幸福に向けて何かしらの貢献ができるからこそ、多くの人間の心に火を燈し、時には時代を(ほんの少しでも)変える力を持つんじゃないでしょうか。

片山さんは、大学の研究室が開発した自動車に、しかも400km/hものスピードを出す電気自動車のテストドライバーととしてオファーされたとき、正直腰が引けたそうです。私だって大学院の研究レベルを思うと、命預ける気持ちになりません。それでも片山さん、あんた男だよ。少し長いけど引用します。



  でも、これが世界記録挑戦であること、そしてクルマの未来を
切り開く実験であること、そして何よりも研究室のメンバーが
夢を追いかけて何年も準備してきたという事実が、僕をこの挑
戦に突き動かしました。

  アポロによる月面着陸や、スペースシャトルによる宇宙との往
復、もっと遡ればライト兄弟の飛行機実験など、人間は勇気を
振り絞って新しい扉を開いてきた。

  今回の挑戦が、そんな過去の偉業と比較できるようなレベルか
どうかは分からないし、それは歴史が決めることだけど、チャ
レンジする気持ちだけは同じ。しかも、冒頭に書いた地球温暖
化対策としても電気自動車は有効で、その普及に一役買うこと
もできる。

  そういう意味も感じて、「エリーカ」のコックピットに座るこ
とにしました。



南極探検隊といい、テッド・ネルソンといい、「誇り」「名誉」というものにどうして男の子は弱いのでしょう。前人未踏の技術的地平に向かって、スポンサーに嘘ついて(失礼)ファンドレイジングしながら、家族を捨てても徹夜で研究するのが技術者としてのロマン。思えば私がIT業界に入ったのも、学生時代にアラン・ケイやマクルーハンを読んで、ITの未来がまぶしく見えたからだ。いつか世界中の人たちがネットでつながり、言語を越えて人類の英知を分かち合う日が来るんだという、ナイーブな夢に興奮したからでした。

あの頃と違って、今はERPだとか金融工学だとか、頭だけでひねくり回した心のこもっていない商品を企業に売りつけている自分が恥ずかしくなる。もうやめた、初心に返ろう。

大型アウトソーシングは終わり?

2004-09-30 01:53:07 | Weblog
記念すべき初回書き込みです。

今日は業界の話をしたいと思います。もう先週の話になりますが、日経新聞に「JPモルガン、IBMへの業
務委託解消
」という記事が載りました。

読んでいて「おや」と思ったのは、このフル・アウトソーシングというのは最近大流行りで、IDCなんかも唯一大幅成長が見込めるITサービスだとか言っていたからです。

私も、ITフル・アウトソーシングサービスというものは、財務的に苦しい事業会社にとっては中核機能ではないIT子会社を売却することで財務が良くなるし(その年だけ特損は入りますが)、一方のアウトソーサーにとっては、5~10年という長期契約が主体ですから、長期的に固定料金が入って来るし、両方にとってお得なサービスだなと思っていたのです。唯一の懸念は、日本国内で最近フル・アウトソーシング契約をした企業は、みんな財務状況が悪すぎるので、アウトソーサーはこんな長期契約して回収できるのかな?という心配があるくらいで、結構注目していたのです。

そこへ来て、アウトーシング最大手のIBMが、かつて派手派手しく宣伝していたJPモルガンとの契約を解消したので、怪訝に思ったのです。アウトソーシングビジネスに、なんらかの変化が起こったのでしょうか。

Forbesを読んでみると、大型のアウトソーシング契約が早くから進んでいたアメリカでは、けっこう手痛い失敗があるようです。アウトソーサーにとってはせっかく長期契約を結んだのに中途解約されて大損したとか、事業会社も小口契約にして各社に競争させたりと、どうも日本の未来を見るようですね。今回のIBMとJPモルガンとの契約解消も、「典型的な大型契約の問題」なんだとか。

日本の大手アウトソーサーさんも、金に飽して長期契約ばっかり結んでいると、いつか不良債権化するかも知れませんよ。銀行とかの合併による中途解約、買収したIT子会社の親会社からの契約打ち切り、EDSが失敗したようなデバッグ地獄などなど、株価に影響与えるくらいリスクは大きいですからね。