おうちBAR開店

本格的なパーティー料理から手抜きお手軽料理まで、私のキッチンから発信します。毎日の出来事を含めて楽しくご紹介。

出石皿そば たくみや

2017年05月04日 | 蕎麦
ゴールデンウィークの後半に突入しました。
ここからは本気で仕事モードです。
とはいえ世の中のまったり休日ムードは
閉ざされた室内にもジワジワと侵入し
少し書いてはボーッ、
少し書いてはゴロン、の繰り返し…
やることリストの消し込みが滞っています。
なのにブログで気分転換(笑)。


先日、山陰地方まで取材に出向きました。
取材先様は京丹後市にございますが
午前からの取材だったので
前日に前乗りして豊岡駅周辺で宿泊。
出発ギリギリまで取材をしており
豊橋を出たのが16時近く。
到着予定は21時手前でした。
豊橋→名古屋までは「こだま」
名古屋→京都までは「のぞみ」
京都→福知山までは「特急きのさき」
福知山→豊岡までは「特急こうのとり」
乗り換え3回・・・
空路も考えましたがロスタイムが多すぎるため
陸路の選択に落ち着いた次第です。



福知山到着

ここからまだ1時間^^;



豊岡駅到着

雨ザーザーの中
頼りない折り畳み傘でPCとカメラを守り
ずぶ濡れになりながらホテル到着。
翌日に備えまして
街をフラフラ徘徊することなく
お部屋でおとなしくウィスキーをちびちび。


お陰様で翌朝は快晴でした!
取材での晴れ率、非常に高いと思います。
日頃の行いには全く自信はありません。
多分偶然でしょう。



取材先様の熱い思いに触れ
時間を忘れてしまいました。
いつものことながら感動の連続です。
この感動をしっかりお伝えしなければ・・・


脳みそと口先をフル稼働させまして
お腹はペッコペコになりました。
お昼をだいぶ回っていましたので
空腹に負けて妥協する考えも浮かんだんですが
ここまできたら出石へ蕎麦を手繰りに行こう!
と腹の虫たちに言い聞かせて一路南へ。


ここで出石と蕎麦のゆかりをご説明。
出石(いずし)は古事記や日本書記にも登場する
歴史ある街です。
室町時代に応仁の乱を引き起こした
山名宗全の山名一族がかつて本拠地にしており
但馬の中心都市として栄えました。
戦国時代には織田氏に攻め入られるなどし
江戸時代に入ると松平氏が出石城主に着任。
西暦1700年を過ぎた頃
松平氏と信州上田城主の仙石氏が国替えになると
仙石氏は信州からお抱えの蕎麦職人を帯同したため
この地に蕎麦文化が伝えられたようです。
信濃の高遠城主だった保科正之が
転封先の会津若松に蕎麦文化をもたらすなど
信州人のそば愛は筋金入りですね。
また、出石のそばは出石焼きという
白磁に盛られるのが主流。
一人前に満たない蕎麦が
五枚の手塩皿に盛られて供されます。
女性なら15枚、男性なら20枚ほど食べるんですって。
重ねた皿が箸の高さになるのが基本だとか。


出石皿そば たくみや

ありがたいことに
出石の皿そばやさんは
通し営業しているお店が多いです。
14時手前でしたが絶賛営業中。
勘を頼りにこのお店を選びました。



お品書き

趣のある町屋を改装した店構え。
土間のお席と小上がりのお席があり
小上がりに通していただきました。



本山葵が嬉しいですね



出石皿そば薬味セット

生卵ととろろが必須アイテム。
小さなお皿に分けるのは
色々な食べ方を楽しむための工夫かも。



蕎麦汁

出石焼きの白磁の徳利に
蕎麦つゆがなみなみと注がれています。
どのお店もオリジナルの徳利と猪口を用意しているみたい。
ちなみに蕎麦汁は蕎麦をたくさん食べるための配慮か
かなり薄めに作られています。
江戸の辛汁とは真反対の印象。



皿蕎麦登場



見た目よりも柔らかめ

蕎麦の主張もおとなしめです。
この蕎麦あってのこの汁ですね。
普段口にする蕎麦とは異なりますし
求める方向性は違いますが
郷土食として根付いたこの蕎麦に
色々な意味で興味がそそられます。



箸の高さには及びませんね。。。


上質なお店の雰囲気と接客の心地よさ。
これが城下町クオリティなのかしら?
蕎麦うんぬんはさておき
とてもいいお店でした^^
ご馳走様です!


さて、次のお店へ向かいます。

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