今日もまた少し前の話題となりますが、浅田真央ちゃんが2年ぶりにトリプルアクセルを解禁し成功させ、「四大陸選手権」で見事ぶっちぎりで優勝いたしました。
良かったですね。
この2年間はほんとに苦しんだことだろうと思います。
私は、トリプルアクセルを大会で使わない、というようにしてきたのは、「現行の採点方法を考えるとハイリスクローリターンだから。」という試合に勝つための戦略に過ぎないと思っていました。
彼女はシロウト目には見ていてもよくわかりませんが、これまで大会で綺麗に「決めた!」と思ったときでもトリプルアクセルを回転不足と採点されていたことが結構ありました。
トリプルアクセルがダブルアクセルになったってそれはすごいことだと思うのですが、最初からプログラムにトリプルアクセルを飛びます、と申請しておいてそれがダブルアクセルになってしまった場合、減点されてしまうのですよね。
それならば、最初からダブルアクセルでいいやん、ということにしたのだ、と思っていたわけです。
しかし、そんなセコイ理由ではなかったようです。
浅田選手も佐藤コーチも見据えていたのは同じ、ソチオリンピックでの金メダルでした。
そこで勝つためにはやはりトリプルアクセルは絶対条件だろう、と。
そしてそこで勝つためにこそ、佐藤コーチは「今は封印だ。」と決断したのです。
なぜなら浅田選手の基礎スケーティングが少し狂ってきている、というように見抜いたから。
そして基礎が出来ていないものがトリプルアクセルに挑んだってしょうがないだろう、完全に基礎をつくりあげてからだ、というように考え、この2年間は封印したんですね。
それはもちろん色んなことを総合的に考えての佐藤コーチの英断だったろうとは思うのですが、浅田選手にはそれはどうやら伝わっていなかったようです。
彼女自身はずっとトリプルアクセルに挑戦したかった。
ソチオリンピックで勝つためにこそ、その前哨戦でのいろんな国際大会で飛んでおくべきだろう、と思っていたのです。
「なぜ、飛ばせてくれないの?」
「まだまだ。」
と、ふたりの間には結構目に見えない確執があったようです。
そうだったのか~
それは浅田選手にとっては、「飛ばせてもらえない」ということ以上に乗り越えなければならない壁があったろうな、そっちのほうが大変だったろうな、と思いました。
それは「信頼」です。
フィギュアスケートの選手たちってシーズンごととかに結構ころころとコーチを変えますよね。
あれは競技の特性上必要なことなんでしょうけれど、であれば余計に浅田選手には、最終的に「佐藤コーチを解任する」という権利があり、どうしても「納得できない。」と思えばその権利を行使するという選択肢があるわけです。
その権利を握ったまま、コーチを全面的に信頼するというのはできないはずです。
だから彼女には佐藤コーチを「信頼したい。」「でも納得できない。」「納得できないまま信頼しなくては。」「それって出来るのか?」「いや、しなくては。」「しない、って手もあるよ。」「コーチ自体を自分の考えと同じコーチに変えることだよ。」「そうだなぁ・・」「さぁ、どうする?」「いや、佐藤コーチを信頼する、って決めた限りには納得できない自分の気持ちをこそ封印しよう!」・・・とまぁ、このような流れがあったのでは、と思うのですね。
どれだけ叱られたって、納得のいかない指導を受けたって、その場では言い返したり、反抗したりはできない。
その代わり、心の中で、(まぁ、いいや。いざとなれば、このコーチ切ればいいんだから。)という考えが頭をもたげ始める。
その頭をもたげそうになる龍を抑え込みながら毎日を過ごす、というのはお互いにとって健康的なことであるはずがありません。
そこには本当の信頼は育たないでしょう。
選手側が「はい。」と素直に従うのは、(どうせ、いざとなれば辞めてもらってほかの人に変えるだけだからいいさ。)と思っているからというだけ。
その本心はまったくコーチには見えていない。
コーチは当然のこと、目標達成までは二人三脚だ、運命共同体だ、と思い込んでいる。
この差は大きいですよ~
これだけ両者が立っているフィールドが最初から違っていてうまく噛み合うはずがない。
やはりお互いの歯車が噛み合うためには両者が本当に同じフィールドに立っている、と腰を据えたところからしかホンモノの信頼は生まれないと思います。
浅田選手の場合、ほんとうの彼女の心の中にどんなものが浮かんでは消え、消えては浮かびしながら腹を据えるところまで行ったのか、そしてもう一度栄冠をつかむまで行ったのかは誰にも知ることはできません。
でもきっといろんな逡巡があって、そしてどこかで吹っ切れて「よし! コーチにすべてをお任せして頑張ろう!」と思った瞬間があるはずだ、と思うのです。
迷いが吹っ切れ、(最終手段としてはもう1度コーチを変えるという残された最後の禁じ手も私にはあるわけだ。)なんていう選択肢を捨てたあとに本当の光明を見る道程が始まったのではないかなぁ、と勝手な私の推測ですが思ったのでした。
これと同じことは私たち一般人の日常にもいっぱい潜んでいると思います。
たとえばずっとニュースが絶えないいじめ問題にしたところが、いじめられている側が、心のどこかで(いいさ。やらせておくさ。だっていざとなればこんな学校変わるだけだもん。)と思うことによって毎日のいじめに耐えられるのだとする。
それはその子どもにとっては心が完全崩壊しないための選択としてしようがないことでしょう。
しかし、そう思うからこそ耐えてしまう、ということであれば、少なくともいじめる側といじめられる側の問題は解決はしません。
いじめる側は「あいつは明日も学校にやってくる。」ということを前提としていじめているわけで、それに対していじめられる側は「いざとなれば登校しないことはいつでもできる。」と思うことによって耐えている。
そこにはそもそものズレがあるわけですから。
そうして耐えに耐えた結果、最終的に(いいさ。やらせておくさ。だっていざとなれば死ぬだけだもん。)なんて考えに変わっていくのかと思うと、ホントにやりきれません。
大変なことだけれど、私たちは常にどんな問題であっても「自分のほうがこの最終的な武器を握っている。」と思うものを相手の前に投げ出してお互いが丸腰になって向き合わないと根っこからの問題は解決しないし、相手との距離も縮まらないのだ、と思います。
私自身、考えてみれば長い間生きてきた中でこの「自分のほうが最終的なナタを振り下ろす選択肢を持っている。」ということをお宝のように温めながらきたこと、というのが数え切れないほどあります。
親にさせられていた習い事がイヤでイヤでしょうがなかったとき。
(いいさ。もっと勉強に時間使わないといけないと思うようになったから、って言えばこれをやめることを親は許してくれるだろう。それはいつでも言えるからこの先生に叱られたって今日のところはハイ、ハイ、って言うだけにしておこう。)
付き合っていた彼氏に疑問をもちはじめたとき。
(いいさ。それで好きっていう気持ちが冷めたら私から別れを持ち出せばいいんだから、そう思うと今日のところは波風立てずにニコニコしておこう。)
Etc.etc.・・・・・
話をスポーツに戻しますと。
浅田選手と同様に、この2年間優勝から遠ざかっていた若きプロにゴルフの石川遼選手がいます。
彼は去年の暮れの「太平洋住友VISAマスターズ」で2年ぶりに優勝をはたし、号泣しました。
2位とは4打差まで開いたのを最終ホールでは1打差にまで詰め寄られ、「またダメかもしれない・・」と途中思ったそうです。
そのとき石川選手の頭をよぎったのは、「あまりにも優勝から遠ざかっていたので、勝ち方を忘れてしまっている。」ということでした。
4打差が1打1打詰まっていくときにトップを走る者としてはどういう態度でいるべきなのか、どういうショットを選択すべきなのか、どういうクラブを選ぶべきなのか、それらすべての王者の振る舞いを忘れてしまっていた、というのです。
結果、最後は自分を信じて「池ポチャになってもしょうがない。」と賭けたウッドがぎりぎり227ヤード飛んでグリーンに乗ったのでした。
うぅむ。これまたなるほどねぇ、と思いました。
一度頂点に立ったものが、たとえ自分が納得した練習の取り組みをするためであろうと勝ちの味を忘れるということは避けたいことでしょう。
もしその練習に取り組まなければ、勝ち星を連ねられたかもしれないわけですから。
勝つ味を忘れたがためにヘンに萎縮して自信を失ってしまうようなことは最も避けたいことでしょうから。
けれど、石川遼選手の場合はあくまでも自分の人生の目標、「米マスターズで勝つ!」ためには、今のままのスイングじゃだめだ、もっとスイングのバリエーションを持たないと、と痛感し、スイング改造に取り組んだがために長く国内でも勝てなくなってしまった。
浅田選手の場合はソチオリンピックで勝つために根本的にスケーティングの基礎をつくりあげようとこれまた徹底的に初歩からやり直したため、優勝できなくなった。
どちらもより大きな目標のために、目先の勝ちを捨てたわけです。
大きな目標を見失わず、初志貫徹し、あくまでもそれに向かって頑張る姿って美しいですね。
見習いたいものです。
若者にそういう姿勢を教えられることってほんとによくある。
そしてその過程においては、いつも(いいさ。いざとなれば・・)なんて考え方をせずに、自分を導いてくれている人とは同じフィールドに立って信頼関係を築いていきたいものです。
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