LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

アラン・ドロンさん映画新作を語る(1)

2017-05-11 | INTERVIEW
ドロンさん引退というニュースが昨日発表されましたが、それに先立って5月6日にベルギーの映画祭に出席されたドロンさんとジャーナリストのFabienne Bradfer氏とのロング・インタビュー記事が以下の「Le Soir」誌のサイトに掲載されていました。(現在は見れなくなっています。)

Alain Delon: «J’ai eu une vie fabuleuse mais pas forcément celle que j’aurais voulue» - Le Soir Plus

今回はその中から一部翻訳しましたのでご紹介します。

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Fabienne Bradfer(以下FB);私はちょうど日本への旅行から戻ってきたところなんです..

アラン・ドロン(以下AD);だったら私が誰だかわかりますね!

FB;あなたが誰であるかを知るためにわざわざ日本に行く必要はありませんよ。
ですが日本ではあなたはいまだに神様のように考えられていましたよ。

AD;私はそれがなぜなのかわかっています。
50年前、外見的に私は彼ら日本人の理想の男性でした。彼らにとっての白人の理想像がアラン・ドロンだったのです。
私のような服装や髪形をした日本人を当時何人か見ました。
私は最初それがなぜなのかわかりませんでしたが、後になって映画『太陽がいっぱい』がその理由であることがわかったのです。
太陽の帝国(=日本)では、この映画と主演俳優は天からの啓示でした。
このルネ・クレマンの映画と日本人との間に何か特別なことが起こったのです。
映画のタイトルも良かった...それは1960年にさかのぼります。おわかりですか、57年も前の出来事なのですよ!

FB;そして、あなたの名声は今も色あせていません!

AD;今はもう昔ほどではありませんが、当時の日本での私は特別な存在であったことは確かです。
ほぼ毎年のように日本に行って、私はとても信じられないほど歓迎されました。
まるで王様が上陸したような感じでした。

FB;あなたは母国のフランスではそのような関係ではありませんでしたね...

ADそれは全くちがっていた、実際にね!
誰も自分と同じ国の人間を預言者とはみなしません、フランスでは特にその傾向が強いです。
自国の人間が他の国で喜ばれるということはフランスの人々を困惑させるのです。
彼らはこう言いました。
「確かにあいつはあまりにもハンサムだ、だが性格は良くない、いけ好かない野郎だ。」とね...

FB;そういったあなたに対する理解のないフランスの人々に悲しまされましたか?

AD;はい。当時の私は日本でのような神がかった人気を(フランスで)欲したわけではありませんでしたが、それでももう少し理解はしてもらいたいと思っていました。
でも今の私はキャリアのおかげで当時よりはより理解はしてもらっています。
それはおそらく、私が今もここに存在しているからでしょうし、私がこれまで出演してきた映画が否定されるようなものではないからでしょう。
しかし、私が栄光の絶頂にいた時でさえ、周りからの特別な嫉妬心を感じました。
彼らはこう言ってました。
「奴は確かに美しい、だけど奴はペテン師だ、とかなんとか。」、私はあまりにも、あまりにも、あまりにも(ひどいな)と感じました...

FB;しかし、セザール賞アカデミーがあなたに名誉賞を授与するとなったら、きっと素晴らしい時間となることでしょう、そう思われませんか?

AD;私の友人でセザール賞の創始者であるGeorges Cravenne,が亡くなって以来、私はセザール賞については忘れることにしました。2000年に、舞台の上で彼にセザール名誉賞を与えたのはこの私です。

FB;明日もし、セザール・アカデミーがあなたに名誉賞を授与するとなったらどうします?

AD;私は拒否することはできませんが、そうならないことを願っています。

FB;1960年の「太陽がいっぱい」から2008年に公開された「アステリックス、オリンピックに行く(日本未公開)」まで、あなたのフィルモグラフィーは驚異的です...

AD;そのことは私も意識しているし、本当にうれしい。
フランスでは、過去の話ばかりしている者のことを愚かな老人と呼びます。
だからあなたがもし、あれは今とは全くかけ離れた別の時間、別の映画だったなどと言ったならばあなたは愚か者扱いされます。
しかし、それは真実なんです。私が経験したことは今とは全く違う別の時間、別の映画でした。
映画に精通している人はそのことをよく知っています。

(次回に続きます。)

原文はこちらです。

Je reviens d’un voyage au Japon…

Alors vous savez qui je suis !

Je n’ai pas besoin d’aller au Japon pour savoir qui vous êtes mais effectivement, au Japon, vous êtes toujours considéré comme un dieu vivant…

J’ai compris pourquoi.
Il y a cinquante ans, physiquement, j’étais leur idéal.
Quand ils se rêvaient blanc, ils se rêvaient comme Alain Delon.
J’ai connu des Japonais qui se coiffaient comme moi à l’époque, avec la mèche.
J’ai voulu savoir pourquoi et en fait, ça remonte à Plein soleil.
Dans l’empire du Soleil Levant, le film et l’acteur du film ont été une révélation.
Il s’est passé quelque chose de particulier entre le film de René Clément et le peuple japonais.

Peut-être à cause du titre… Ça remonte à 1960. Vous vous rendez compte… Ça fait 57 ans !
Et votre nom ne ternit pas !

Ça change un petit peu mais c’est vrai que j’ai fait des choses extraordinaires là-bas. À l’époque, j’y allais quasiment tous les ans et j’étais accueilli de façon incroyable, j’avais l’impression d’être le roi qui débarquait.

Vous n’avez jamais eu ce rapport-là avec la France…
Pas du tout le même, effectivement !
Nul n’est prophète en son pays et cela se vérifie très fort en France.
Tout ce qui plaisait dans le reste du monde agaçait en France. On disait : il est trop beau, il a un sale caractère, il nous emmerde…

Ça vous a attristé de ne pas avoir cette reconnaissance ?

Oui. Je ne voulais pas la reconnaissance quasiment mythique que j’avais au Japon mais j’aurais quand même aimé avoir une certaine reconnaissance.
Je l’ai plus maintenant que pendant ma carrière.
Parce que, sans doute, je suis toujours là et qu’on ne peut nier les films que j’ai faits.
Mais à l’époque où j’étais en pleine gloire, j’ai senti une certaine jalousie.
On disait : « oui, il est beau mais il est con, etc. ». J’étais trop, trop, trop…

Il serait pourtant grand temps que l’Académie des Césars vous remette un César d’honneur ne pensez-vous pas ?

J’ai décidé d’oublier les Césars quand mon ami Georges Cravenne, créateur de la cérémonie des Césars, est mort. C’est moi qui, en 2000, lui avais remis sur scène son César d’honneur.

Mais si demain, l’Académie vous honore, vous dites… ?

Je ne peux pas refuser mais j’espère qu’on ne me le proposera pas.

De « Plein soleil » sorti en 1960 à « Astérix aux jeux Olympiques » sorti en 2008, votre filmographie donne le vertige…

J’en suis conscient et vraiment heureux.
En France, on me traite de vieux con, il ne faut pas parler du passé.
On vous considère comme un imbécile si vous dites que c’était une autre époque et un autre cinéma.
Or, c’est la vérité.
Ce que j’ai vécu était une autre époque et un autre cinéma.
Ceux qui connaissent bien le cinéma le savent.


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