ファンタジーは現実と共にあるべき・・・
もしもオフェリアと同じような辛い現実を目の前にしたとしたら・・・それに潰れそうになるくらい私自身も精神的には弱いのだと思う。もう大人となってしまった私には現実をシビアに見つめることしか出来ないし、ここまで勇気を奮い立たせ困難に向えることが出来るか、そんな自信も実際にはあまりない;
きっとオフェリアはそんな現実を受け入れてなくて空想の世界に逃げ込んだというよりは、普段から本を読み空想をし、実際よりもっと厳しい空想の裏世界から現実で生きる術をもうすでに学びとっていたのではと思う。妖精はいつも目の前に現れるわけではく、きっとあのタイミングで彼女の前に現れたのは必然的だというか。
何もなければナナフシや迷路な庭園など興味さえ沸かないだろうし、新しい父の事も恐さとかも感じず、ただ目の前にある現実を当たり前の様にもっと受け入れていたのだと思うのよ。。。困難さえ彼女の人生にはなかったかもしれない。それを困難だと思いもしないというか。。。実際には辛い事があるからちょっとした事が楽しく感じられたり嬉しいもの。ずっと楽しいことばかりっていうのはお話の世界には存在しない。そしてそれは現実の世界にも。現実と空想の世界は裏表一体。そしてそれは大人になるに連れて段々その比率が現実の方に傾いていく。
現実とオフェリアの空想の世界は裏表。空想の世界で彼女はその心を試される試練を与えられ、彼女の選択によって現実が変化していく様が同時進行するように見せてくれる。「ネバー・エンディング・ストーリー(はてしない物語)」では現実の世界が物語の世界を浸食し変えている事を描いていたけれど、その逆をいく本作。空想の世界で起こったことで現実が変わるなんて・・・もしかしたらその方が信じがたいのかもしれないけれど、でも自分の抱くイマジネーションそのものが現実に影響する事ってたくさんあるよね。
イメージトレーニングすることで現実をそれに近づけようとする事が出来るものだし。
現実的には痛い事、苦しい事、辛く厳しい試練が、空想の世界ではそれが幸せへの手がかりとなるなんて。子供にとって暗闇というものは恐怖そのものであるし、そこにあえて逃げ込むなんてわざわざしないであろうに、空想の世界へといざなう階段は同時に好奇心の対象でもある。空想とはいえ妖精やクリーチャー、そして自分が王女様かもしれないなんて・・・なんて魅惑的なんだろう。
もしかしたらこうやって飴を与えられないと、ムチをあえて受けようとはしないのが私達人間なんだろうね。だから決してオフェリアは現実逃避したのではなく、あえて自分でその現実を受け止めて選んだと思えた。
ラストに向うに従って悲壮感はさらに高まるのだけど、それと同時に彼女は確実に問題と向き合いながら心を磨いていく。そして同時に現実世界の大人たちの攻防も激化していくのだけど・・・こちらも善と悪は裏表。どちらか善でどちらが悪か線引きは出来ない事がむしろ私には目についた。勿論ビダル大尉は冷酷に描いてはいて誰しもがそれに少なからず嫌悪するのだろうけど、付き人であるメルセデスだってゲリラ部隊の一人であることを隠しているし、彼女も善という名の元に人の心の隙間をついているところは一つの恐さがある。憎しみは人の心を更に暗闇へと誘うものでもあるし、大人はその憎しみというしがらみを簡単には消し去ることは出来ない哀しさを感じてしまう。
どんな時もファンタジーの世界には勇気と希望が溢れてて、そこに人はいつも辛い現実から逃げ込みたくなるのだろうけど、白いチョークはおいそれとは出てくるこ事はない。何かを繊細に感じ取り、そしてそれに感動し、自分自身の自由な発想を広げていなければファンタジーはファンタジーにはなり得ない。その世界を認めることもなしに自分の価値観ばかり押し付けて見ているのでは他人の自由さを認められずに、また自分の自由な心も自ら放棄してるようなもの。
そして、夢がなければ心は渇くばかり。夢が現実の自分を支えていてくれるって子供の頃は結構容易に思えたりしたのだけど…夢を心の糧とし、辛い現実と向き合いながらもその選択が良かったと思えるようなそんな生き方は理想的。
ファンタジーの世界には現実の壁を超えるキーがたくさんあったりするもの。それを探しながら迷宮をさ迷えるような冒険心と、そしてそのキーをいつでも探しに行けるような好奇心や遊び心もいつも忘れたくはないな・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
製作年 : 2006年
製作国 : メキシコ=スペイン=アメリカ
配給 : CKエンタテインメント【Cubical】
監督・製作・脚本 : ギレルモ・デル・トロ
出演 : イバナ・バケロ 、 セルジ・ロペス 、
マリベル・ベルドゥ 、 ダグ・ジョーンズ 、 アリアドナ・ヒル
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1944年、内戦終決後のスペイン。父を亡くした少女オフェリアは、身重の母と共にゲリラが潜む山奥で暮らし始める。そこは母が再婚したフランス軍のビダル大尉の駐屯地だった。体調の思わしくない母を労りながらも、冷酷な義父にどうしても馴染めないでいた彼女の前に妖精が現れ、森の中の迷宮へと導く。そこではパン(牧神)が王女の帰還を待っていた。オフェリアは魔法の王国に戻るために3つの試練を与えられるのだった(goo映画)
もしもオフェリアと同じような辛い現実を目の前にしたとしたら・・・それに潰れそうになるくらい私自身も精神的には弱いのだと思う。もう大人となってしまった私には現実をシビアに見つめることしか出来ないし、ここまで勇気を奮い立たせ困難に向えることが出来るか、そんな自信も実際にはあまりない;
きっとオフェリアはそんな現実を受け入れてなくて空想の世界に逃げ込んだというよりは、普段から本を読み空想をし、実際よりもっと厳しい空想の裏世界から現実で生きる術をもうすでに学びとっていたのではと思う。妖精はいつも目の前に現れるわけではく、きっとあのタイミングで彼女の前に現れたのは必然的だというか。
何もなければナナフシや迷路な庭園など興味さえ沸かないだろうし、新しい父の事も恐さとかも感じず、ただ目の前にある現実を当たり前の様にもっと受け入れていたのだと思うのよ。。。困難さえ彼女の人生にはなかったかもしれない。それを困難だと思いもしないというか。。。実際には辛い事があるからちょっとした事が楽しく感じられたり嬉しいもの。ずっと楽しいことばかりっていうのはお話の世界には存在しない。そしてそれは現実の世界にも。現実と空想の世界は裏表一体。そしてそれは大人になるに連れて段々その比率が現実の方に傾いていく。
現実とオフェリアの空想の世界は裏表。空想の世界で彼女はその心を試される試練を与えられ、彼女の選択によって現実が変化していく様が同時進行するように見せてくれる。「ネバー・エンディング・ストーリー(はてしない物語)」では現実の世界が物語の世界を浸食し変えている事を描いていたけれど、その逆をいく本作。空想の世界で起こったことで現実が変わるなんて・・・もしかしたらその方が信じがたいのかもしれないけれど、でも自分の抱くイマジネーションそのものが現実に影響する事ってたくさんあるよね。
イメージトレーニングすることで現実をそれに近づけようとする事が出来るものだし。
現実的には痛い事、苦しい事、辛く厳しい試練が、空想の世界ではそれが幸せへの手がかりとなるなんて。子供にとって暗闇というものは恐怖そのものであるし、そこにあえて逃げ込むなんてわざわざしないであろうに、空想の世界へといざなう階段は同時に好奇心の対象でもある。空想とはいえ妖精やクリーチャー、そして自分が王女様かもしれないなんて・・・なんて魅惑的なんだろう。
もしかしたらこうやって飴を与えられないと、ムチをあえて受けようとはしないのが私達人間なんだろうね。だから決してオフェリアは現実逃避したのではなく、あえて自分でその現実を受け止めて選んだと思えた。
ラストに向うに従って悲壮感はさらに高まるのだけど、それと同時に彼女は確実に問題と向き合いながら心を磨いていく。そして同時に現実世界の大人たちの攻防も激化していくのだけど・・・こちらも善と悪は裏表。どちらか善でどちらが悪か線引きは出来ない事がむしろ私には目についた。勿論ビダル大尉は冷酷に描いてはいて誰しもがそれに少なからず嫌悪するのだろうけど、付き人であるメルセデスだってゲリラ部隊の一人であることを隠しているし、彼女も善という名の元に人の心の隙間をついているところは一つの恐さがある。憎しみは人の心を更に暗闇へと誘うものでもあるし、大人はその憎しみというしがらみを簡単には消し去ることは出来ない哀しさを感じてしまう。
どんな時もファンタジーの世界には勇気と希望が溢れてて、そこに人はいつも辛い現実から逃げ込みたくなるのだろうけど、白いチョークはおいそれとは出てくるこ事はない。何かを繊細に感じ取り、そしてそれに感動し、自分自身の自由な発想を広げていなければファンタジーはファンタジーにはなり得ない。その世界を認めることもなしに自分の価値観ばかり押し付けて見ているのでは他人の自由さを認められずに、また自分の自由な心も自ら放棄してるようなもの。
そして、夢がなければ心は渇くばかり。夢が現実の自分を支えていてくれるって子供の頃は結構容易に思えたりしたのだけど…夢を心の糧とし、辛い現実と向き合いながらもその選択が良かったと思えるようなそんな生き方は理想的。
ファンタジーの世界には現実の壁を超えるキーがたくさんあったりするもの。それを探しながら迷宮をさ迷えるような冒険心と、そしてそのキーをいつでも探しに行けるような好奇心や遊び心もいつも忘れたくはないな・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
製作年 : 2006年
製作国 : メキシコ=スペイン=アメリカ
配給 : CKエンタテインメント【Cubical】
監督・製作・脚本 : ギレルモ・デル・トロ
出演 : イバナ・バケロ 、 セルジ・ロペス 、
マリベル・ベルドゥ 、 ダグ・ジョーンズ 、 アリアドナ・ヒル
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1944年、内戦終決後のスペイン。父を亡くした少女オフェリアは、身重の母と共にゲリラが潜む山奥で暮らし始める。そこは母が再婚したフランス軍のビダル大尉の駐屯地だった。体調の思わしくない母を労りながらも、冷酷な義父にどうしても馴染めないでいた彼女の前に妖精が現れ、森の中の迷宮へと導く。そこではパン(牧神)が王女の帰還を待っていた。オフェリアは魔法の王国に戻るために3つの試練を与えられるのだった(goo映画)












この映画、想像していた以上にブラック度が強くビックリしました。
現実の世界が悲しすぎるからこそ、オフェリアは非現実の世界を作り上げたそのことが余計に見てて悲しくなりました。
それにしても義父のビルダ大尉が切れた口を縫うシーンは思わず目をそらしてしまいました。
>、ただ目の前にある現実を当たり前の様にもっと受け入れていたのだと思うのよ。。。困難さえ彼女の人生にはなかったかもしれない。それを困難だと思いもしないというか。。。
本当にそうですね〜
子供って順応力が高いから、どんなに悲惨な状況でもそれしかない場には適応しちゃいますよね。
いろいろな体験を重ねた大人は新たな状況を受け入れられなくて苦しんだりしますけど。
(「潜水服」のボビーさんがすごいのはこの辺だと思います。あ、本も読みました♪)
私はファンタジー部分に出てくるクリーチャーがあんまり気持ち悪いので、そればっかりに気をとられてましたが、シャーロットさんのふか〜いレビューを読んで、また見たくなりましたです。
私はやっと見れました。いや、早く見たかったのですが、どうも時間が合わなくて;
そうですね、ファンタジーにしては暗いものでした。
でも戦時下ではそれも当然のことで、その時代をあえてもってきてファンタジーを作り上げようとした視点には興味がいきますよね。
でも私には非現実の世界を作り上げたというよりはあれがオフェリアにとっては現実であり、現実がその裏にあるような…そんな風に見えてました。
そうそう、痛いシーンもグロいシーンもたくさんでしたが、そこがきちんと描けていないと幻想がそれこそ嘘っぽく感じてしまうのかと。ファンタジーこそリアルな表現が必要かもですね〜
あー、ちょっとその順応っていうのとは違うニュアンスかも。
えっと、元々本を読むのが好きでファンタジーを楽しむ事が出来る少女だからこそ、ナナフシ等の虫、そして森や自然の植物等に興味が沸いたり、そこで自分のイマジネーションを膨らませる事ができるんだと思うんですよ。普通の女子なら、虫こわーい、洋服が汚れるー、新しいお父さんは恐いけど召使もいっぱいいるお嬢様だしー・・・ってな具合に、何にも恐怖もなく普通に弟が生まれるのを待っていたんじゃないかと思うんですよ。でもファンタジーが身近にある子供って、必要以上に繊細でちょっとした事が恐く感じてしまうのだろうし、なんでもない事が人より楽しかったり哀しかったりしちゃうんじゃないかしら。それか、あまりの恐さに自分自身を封じ込めて心を失ってしまうかどっちかじゃないかなあ。。。
確かに大人は幻想の世界にはまり込んでたら、あの人おかしい?!ってな目で見られてしまいますけど、
適応能力は子供も大人も関係なく、ある人にはあるし、ない人にはない、と私は思うんです・・・。
ジャン・ドゥーは前者だったって感じ?
オフェリアには適応能力っていうこととは別として・・・現実の裏とされる幻想の世界があったからこそ、現実に立ち向かえることが出来た…という感覚で映画を見てましたんです。
いや、クリーチャーにも注目してましたよ〜。ちょっと気味が悪かったけど、これが監督の幻想の世界なんでしょうねえ。。。実に男子の世界だなって感じ。私が考える妖精ってウエンディっぽいもんなあ。笑
>普通の女子なら、虫こわーい、洋服が汚れるー
現代の先進国の都会の女の子ならばそれが普通なのかもしれないけど、私はそっちが普通だとは思いたくないなぁ。(笑)
年齢的に微妙なところではあるけれど。
中学に入ってからは確かにふぁっしょんなどに目覚めてしまったけど、小学生の頃なら外での戯れも大好きでしたわ。
キモチワルイ虫もそりゃあいるけど、ナナフシなんかはめちゃめちゃ魅力的ですよね?!
女の子がキャーって逃げるカエルだって、手で掴めたもーん。
>元々本を読むのが好きでファンタジーを楽しむ事が出来る少女だからこそ、ナナフシ等の虫、そして森や自然の植物等に興味が沸いたり
昔は絵本より先に自然があった気がするんだけど、今の子ならば絵本やTVが先なんでしょうね。
と現代都会人はそうかもしれないけど、オフェリアの時代、境遇の場合も本が先なんでしょうかね?むむ。
バクタイはどこかにファンタジーを見つけていたんでしょうかー。
そうですね、親に子供のファンタジーの世界を思い切り否定されてしまっていたところは、胸が痛みました。でもあの状況であったら、もしかたしたら私も同じ様に言ってしまったかもしれないと思うところもあって、複雑でした。
むーん、私も確かに女の子であれ、虫大好き真っ黒大好きで洗濯させーの親泣かせであったし、男の子とよく遊んでいたから野球とか一緒にしてました。中学ではテニスしてたし、高校ではサッカー部。笑
でも一応小学校高学年になると手芸にも目覚め(笑)中でもチマチマなんか作ってる女子でしたけど、あー一応ピアノ少女だったんだ。爆
ってそんなの関係なーい話;
…ちゃんと書けなかったんですが、やはり自然が身近にあるというのは、もうそこでファンタジーなんですよね。都会の子を中心に考えて書いていたところはあるんで、ちょっと訂正;
オフェリアの時代などの子供達は本が身近でなくても自然の中で育ってますから、ファンタジーとはもっと近い存在でいるでしょうね。でもそれでもやはり興味がわかなければそれでおしまいっていう感じの子供もいたかもしれないなあってちょっと思ったり。
皆がオフェリアと同じ様にファンタジーの世界を作り上げていたりするのかはなんとも言えない気もするし。昔の子供達のほうがやはり死と隣り合わせだったりするだろうから、もっと大人びているのかなってちょっと思ったりもしてたんですよね。
よくわからない・・・
バクダイにもファンタジーは身近にあったと思いたいな。10歳くらいまではもっとお話の中でも生きてほしいと思うんですが、どちらかというと、それはタリバンごっこをしてる男の子達に言いたかったかも;
オフェリアには心の用意が出来ていた・・・。
うん、とっても素敵な心の解釈だと思います。
彼女にとっては、それがいつか現れても決して不思議ではない世界だったんですよね。
むしろ、そっちが正解で。
そして、メルセデスとビダル大尉を、どこか同位置に置いてしまう、シャーロットさんの考え方も、驚きでした!
憎しみが人の心を闇へと誘う、とは納得してしまいます。
おっしゃる通り、善も悪も、現実も夢も、表裏が一体の世界だったと思います。
ファンタジーを楽しむっていう事は現実逃避なんかじゃない!って私自身はいつも思ってるところがあるんです。お話の世界って現実を比喩していたりデフォルメされてるだけでほとんどリアルな世界観だと思うんですよね。ってこんな事書くと妄想壁のある危ない人かもしれませんが;
現実世界で悪者となってる人達こそ、夢の中ではその裏側、善の部分が出てくると思いたいところもあって;大尉が父の時計を大事に持ってる姿に実は視点があっていたりしました。本当は大尉の裏側も覗いてみたくもあり。視点は片方だけでは本質は見えないものですよね。
この作品を「ダークファンタジー」のジャンルにすることが現実逃避なんじゃないかな?なんて思ったりも。
大尉の事もね、残忍だとは思うけれど、何故か憎めなかった私でした。
善悪で割り切れない戦いを見るのは辛いです。「コッチは味方。アッチは悪役!」って言ってるほうがどんなに楽か・・・なんて思うのです。
シャロットさんのレヴューとても素敵です。
痛々しいまでの思春期の少女の現実と夢と。
この作品のレビューを読むたびに、それぞれ色々な解釈があって、これがまたこの作品の凄いところだと思っています。
私もやっと見た感じでしたよ〜
たいむさんも現実と空想が逆転して見えてましたか〜。でもあの大尉はホント空想の世界では悪役そのものって感じだし、自分は悲劇のヒロインみたいな役回りで。お母さんは優しいけど死んじゃうし;;それこそ空想みたいな現実ですよね。
ああ、こんがらがる@@
でもホント、人を悪い人と良い人って分けられない事と同じように、物事には両極がありますよね。そうそう、決めちゃったほうが楽かも;
まあ、でも私的には希望の物語なんです。空想することでいくらでも現実は変えていける。ってことですよね。その通りにしようと努力する事は大事ですし。
でもイメージトレーニングなど、私は結構する方なんですが、どうもね、体がついていけないのよんw爆
お褒めいただきありがとうござりまする。
たいむさんもいつもコメント残してくださり感謝感激ですー
そう、たくさんの自分の思いをレビューに託されてる方が多くて、映画を見終わってもなお、ずっと語り合える作品ですよね。皆様、色んな解釈があって。
こういうファンタジーは日本昔話にもありそうです。
坊や〜、良い子だ、ねんねしなぁ。今も昔も変わりなく〜♪♪
…おそまつ。。。
同じ戦時下のファンタジーと考えると、入り込んだ世界観は共通点があるものの、現実の世界が違ってたかなぁ。親子関係という精神面での辛さもあっただろうし、「戦争や争いが永久に続く」かのように現実をとらえていたような。
観終わった直後よりも、後からじわじわと思いだしてしまう映画でした。
同じファンタジーでもこちらの本作ははるかに現実に近い気がしました。
戦時下では普通ならファンタジックになんてなれないものです。でもそこであえておとぎの国へ自分を招いて行けたオフェリアは、そんな厳しい現実に逃避してるのではなく、あえて現実と向き合うことをしていたように私は思えたのでした。
親子関係も兄弟関係も、国内国外関係ともに一筋縄ではいかない人間関係・・・。争いごとはきっと終ることはないのでしょう。平和であればあるほど人は人に気を遣わなくなるのでしょうし、学ぶこともなくてぼーっとしてしまいそう;
・・・そんなこんなですが、今年もどうぞよろしく♪
去年、某TVで某Gさんが絶賛していたので気になっていたのですが、年越しでやっと観ることができました。
予告映像からダークファンタジーだろうとは思っていましたが、こんなにもブラックというか、戦争映画の生々しさや残酷さもしっかり描写されていて、逆にオフェリアの純粋無垢な想像の世界が美しく感じました。
彼女の言動が現実逃避だったのか現実だったのか、見る人によって捉え方は違うと思うんですが、一つのものから色々なモノが見えてくる想像力て大事だなって感じました。自分の幸せを想像する自由は、誰にだってありますからね。
何を想像し、何を疑い、何を信じるか、人間の永遠のテーマだと思いますが、この三つはいつの時代も自由に持ち続けたいと感じました。
そうそう、甘さがないファンタジーでしたね。
こんな世界観、ハリウッドのファンタジーに慣れているとガツン!ときちゃいます;
監督自身の想像力もすばらしいものがありましたし、そのおかげで見るものの想像力さえも広げてくれる作品自体の力もとても大きいものでした。
想像力は大人こそ自由に持つべきかなーなんて思います。子供の特権にしておくのはもったいないですもんね。
疑う…という目線は私的には持たない主義なんですが、多角的に本物を見る目は持ちたいです。
今年もよろしくお願いしまーす
子供のころ、熱が出ると
暗い壁を見ていると、よく七福神が浮んでは消えていました。今はありませんが
時は過ぎ、息子も やはり熱を出すと
うなされて同じような事言ってました。(タミフルを服用した訳でもありませんが、遺伝なのか爆)
そんな事ってありませんでした?
この映画を見て思い出しましたよ。
極限状態に、更にこれでもかの応酬、縫うところや、金槌には見てられず。
ラスト、少女は弟を救ったというのに、やっと開放された世の中になったのに、訪れたのは救いと言えるのでしょうか?
SWさん的にはやはりこういうオチはイマヒトツなんでしょうね。やっぱりハッピーエンドで終って欲しかったというのが本音でしょうか。
私には、このオチでこそ、この世界観を受け入れる事が出来るかな。彼女の魂そのものは幸せになれたのですもの。…でもそれは裏の世界、彼女が創り上げたファンタジーの世界での話で、ですが。
自分の選択で生まれた結果。
彼女に悔いはあったのでしょうか。。。
私にはそれはなかったと思えたのでした。だって一生懸命生き抜いていたもの。自分に素直に、心の従うままに。死というものはもしかしたら裏の世界では永遠の生なのかもしれないなって、ちょっと思えました。…ってこんな私は危ないかすら??爆
ちなみに新興宗教など宗教の類いは一切信仰してませんぜ;わはは
コメントだけ残します(gooには、オートコンプリートが効かなくなるんですよ。なんでかなぁ?)
ところで、3カラムにしたんですね?
間違ってきたかと一瞬思いました(⌒▽⌒)アハハ!
映画の感想については、コメントしません(爆)
4月は忙しくて、もうこれないかもです。
映画も観に行く暇がごじゃいません。
やっと、桜が咲いたんですよぉ〜〜〜★(笑)
そうそう、一瞬たちどまるっしょ?笑
ここはしゃーろっとさんちではない…と思って皆読み逃げしてるに違いない;爆
へ、なんで映画のコメントなし?
もう忙しくてこの先来れない?
映画も見れない?
・・・それって別れの挨拶みたいぢゃん;;涙
サクラ散る散る・・・もうこの辺は葉桜・・・
寂しい
私は単純に現実逃避に思ってしまったのですが、オフィリアの空想が過酷な現実に対する自分自身への試練だと考えたとすれば、その試練を耐え抜けば現実も変わるんじゃないかと考えたのかもしれませんね。そしてその空想があったからこそ、あの戦時中の世界でも生きることができたと…。
確かに子供の頃って、雲の向こうにラピュタがあることを信じてみたり、鏡の向こうに別の世界があるんじゃないか、なんて思ったりもしました。そんな空想が新しいことを学ぼうとする原動力にもなったりするわけで、それが逃避とは言い切れませんよね。せめてオフィリアの空想がああいった結末ではなく、現実に打ち勝つものであったなら良かったのに…とは思うのですけど。。。
まあオフィリア自身は、自分への試練だから頑張って受け止めよう〜がんばろ〜って直接は思ってはいないと思うのだけど;子供心と無意識のうちにその興味の対象をクリアしようとするゲーム感覚に似たような感じで取り組んだのかなって思います。
で、結果的に凄まじい戦時下でもなんとか生き抜いていくことが出来たというか。
逃避って、難しい言葉の一つだと思うのだけど、嫌なことから逃げる為に空想の世界はあるわけではなく、子供にはそれこそが必要だと私は思っているので、逃避ではないんです。
ようするに自分次第って事ですよね。
このお話が、「逃避の結果の残念な結末だった」とするか、「勇敢に自分と戦って生き抜いた」とするか。
お話の世界は自由です。
何だか昔、わくわくして読んだギリシャ神話
や日本の神話にも相通ずるあの世界、
楽しい私の庭だったような気がするのです。
見るな、食べるなのタブーも付き物ですね。
オフェリアは初めは自分の為に葡萄を食べて、王国への扉を閉ざしましたが、
最後は弟のために王国の扉を閉ざします。
「たった数滴、血を流すだけだ。」
というパンの巧みな誘惑を退けて。
根っこの赤ん坊がミルクの中で愛らしく動くさまが、小さいものへのオフェリアの愛情を引き出したように思いました。
また、火に投げ込まれた根っこが苦しむさまも。
オフェリアだけに見える想像の王国がなせる業のような気がします。
「よく選んだね。」
と私は褒めてあげたい。
末期の夢は美しく、オフェリアを包みます。
私もオフェリアは生き抜いたと考えます。
そうでしょ、子供の頃に読んだお話の世界を思い出さずにはいられませんよね。
子供の頃はそんなに深く考えませんでしたけど、以外にキャラクター達は俗っぽかったりだらしがなかったり、キレイごとばかりのお話だけではないのですよね。
気がつくと、どちらかというとアンデルセンとかより何故かグリムでしたし。
そうそう、見るな、食べるな、なんて日本昔話にはよくあることですよね。
好奇心が自分への課題を生み出し、それを乗り越える力と勇気を試されて、失敗して・・・なんて物語をたくさん私達は知ってるはずです。
でも、それらの物語の主人公には共感できずとも、オフェリアには寄り添って見ていけるんですよね。
良く頑張ったねって私も褒めてあげたい。頑張る力ってそういう希望を持つ事だって思えます。
三つの試練も、よくある神話的モティーフです。
「サーカスの日々」様というブログに、大人へと精神的にも肉体的にも変化する初潮前の少女の成長の過程と捉える、卓越した解釈があり、ううん」と唸りました。
神話と同様寓話的意味や暗喩が散りばめられている作品ですね。
「サーカス〜」様とまでは行きませんが、私もパンが言った「王女としての資質を失っていないか。」という視点で試練を読み解いていました。
一番目は恐怖に打ち勝つ勇気、二番目は自己の欲望への制御、三番目は一と二に支えられた他者への思いやり。
三の試練を乗り越えたことによって、二の試練での失敗は補うことが出来たのでは。
以上三点は、王女様には不可欠な資質では有りますが、同時に立派な大人になるためにも大切な要素ですね。
よく出来た試練です!
それから継父の大尉も実に興味深い人物です。
ファシズムに傾倒するあの体質を形作る経験がきっと幼少期に強烈にあったのではと、感じずにはいられない。
壊れた時計、鏡、剃刀、靴を磨くなどなど、気になるところが一杯。
何かに深く囚われているという点では私の偏愛領域に微妙に足を踏み入れかけている人物です。ちょっと激しすぎるので、あのままでは困るのですけれど。
何度もありがとうございまーす。
そうそう、kimionさんはいつも素晴らしい文章をお書きになりますよねえ。
私いつもTBいただいてもコメントを返せないの;;だってあまりにも良すぎちゃって、私の駄文なコメントをつけると格が下がりそうでこわひ;爆
で、ミ・アモーレさんへのお返事もなんて返そうと悶々としながら頭を抱えておる事も多いわけで;
王女たるもの、やはりどんなに小さくても品格を問われますものね。たとえ現実の世界では王女様ではなくても、それは一般的なレディーとしても通用する事でもありますもの。
ほんと、脚本はお見事です。
それと・・・あの大尉。
やはりミアモーレさんもそんな幼少の頃を気になさいますか!私もどこかに書いたっけ。
悪役とされているけどホントは善人だったり王子様だったり…なんて物語もあったりしますよねー。
几帳面さとかが、余計に私の好奇心をくすぐるんです〜(笑)隠れた裏の顔を覗きたくなりますよねえ。確かにちょっと激しくって、まさかホントは素敵な王様だった・・・なんてーことはありえないかもですが;