スチャラカランナーの日々

運動部経験なし、40代マラソンランナーの趣味日記。ランニングも趣味のひとつですから。

1月練習のまとめ

2005年01月31日 | 走る&徒然日記
 1月今日で終了というわけで1月の練習のまとめ
 最近の自分としてはよく走れていると思う。今月はともかく2月の犬山国際ハーフマラソンと3月の京都シティハーフマラソン、日比野賞記念中日豊橋マラソンで、80分切りと自己ベストの更新のための調整練習。
 スピード持久力の養成のための自分なりに考えたメニューはそれなりにこなせている。問題は月間走行距離が少なすぎる事。もう少し平日に帰宅ランをして、つなぎの練習をすること。現在はポイント練習しかないような状態で、効果を考えると効率が悪い気がする。
 

1 土 近所 5km
2 日 名城公園 16km
3 月 森林公園 20km
4 火
5 水
6 木
7 金
8 土
9 日 谷川真理ハーフマラソン 21.1km
10 月 皇居4周 22km
11 火
12 水
13 木 帰宅 6km
14 金
15 土 名城公園 25km
16 日 西春新春チャレンジマラソン 10km
17 月
18 火 帰宅 6km
19 水
20 木
21 金
22 土 名城公園 30km
23 日 小牧 10km
24 月
25 火
26 水
27 木
28 金
29 土 名城公園 32km
30 日 可児シティマラソン 10km
31 月
                 月間走行距離213.1km

 今日「小出道場」を見ていると初めてがいきなりマラソンという人はいないと思うけどと書いてあった。ここにいます。マラソンの完走よりも小出監督の初マラソンに向けての練習メニューのほうが大変ですよ。

<今日の練習>
仕事が11時近くまで終わらなかったのでバスで帰る。上記の今月の練習通り休養。

オペラ座の怪人 監督/ジョエル・シュマッカー

2005年01月31日 | 映画
 レイトショウで「オペラ座の怪人」を観た。
 主演の男女三名が葺き替えなしで歌っているらしい。正直な話、どの程度のレベルなのかは分からないが、素人が聞いている分には十分たいしたものだった。
 凄く好きな映画家といわれればそうでもないが、凄くリッチな気持ちになれる映画で、こういうのを観るとお金の掛け方の点で同じ土俵で観客を取り合う邦画は大変だと思わざるを得ない。
 話として納得し難いところもあるが、あの画面でとりあえず納得してしまう。
 とりあえずお金を出して出しただけの価値は感じられると思います。リメイク作品が次々作られる(予告編で、ハリウッド版の「呪怨」と「Shall We ダンス?」の2作がたまたま流れた)中でこれも一種のリメイクだと思うが、大ヒットのミュージカルを当て込んだ作品でちょっと安直感は感じなくもないけど、これは考え方の相違で、ま、出来が良いか悪いかがすべてといえばすべて。

 オペラをうたって様になる役者がそろう、しかもルックスも満たして、という役者の層の厚さは凄いと思う。
 話題作でもあるし、好き嫌いを超えて金返せという気持ちにはならないのではないでしょうか?

 ところで、私は大抵の映画を劇場の一番前の席で観ます。
 今回もそうしたのですが、座席指定の劇場なのですが、混んでるけど良いですかと聞かれた。最前列を頼む人はあまりいないので何の問題もなく買えたのだが、実際は問い疎いいとこ6割くらいの入りだった。日曜のレイトショウとしては相当にいい入りであるが、切符を販売するときにわざわざ了承を取るほどとは思えない。
 じつは昨日の「スパイバウンド」でも、チケットが完売と出ていた。私はこの映画を観るために早めに走るのを上がったので、本当に席はないかを聞いた。早めに打ち切りになりそうな雰囲気が濃厚な映画だということもある。前売りを買ってあったので、土日で1,2度外すと見れなくなる可能性がある。
 非常に小さな劇場で70名程度の収容の劇場なのだが、前の方や恥になってもよければ入れるとのことで一番前で見た。一番最初の入場でもどっち道1番前なんです。

 以前東京にいた頃よく池袋で映画を観た。ある映画館では方針がころころ変わるのか、1番前は売れないとか、ごちゃごちゃ言われることがあった。何度も1番前で観ているので見えないというクレームはつけないと言っているのに。そもそも1列下がったらそんなに観やすいのかね。
 1番前の席は足も伸ばせるし、そもそも後ろの方で観たら、視野角が小さくなっていくら大画面でも結局テレビと変わらなくなるというのが信念なので。
 ただ、音響効果はいわゆる指定席になるようなところで最も効果が出るように設定されているらしいですが。

 今日も「オペラ座の怪人」もかなり新しい劇場で、THXのOKの劇場だったけど、微妙に雑音ぽくて気になる音が出ていることがあった。もしかすると、センターあたりの席だとサラウンドの効果でちゃんとした音に聞こえるようになるのかもしれない。

練習まとめ 1/24~1/30

2005年01月30日 | 走る&徒然日記
練習まとめ
 10日 小牧シティマラソン10㌔翌日 休み
 11日 休み
 12日 休み
 13日 休み
 14日 休み
 15日 ペース走32㌔ キロ4分半ペース
 16日 可児シティマラソンマラソン10㌔
 今週の合計
    42㌔

 今週は結局週末だけ。つなぎの練習がないと効果がいまいちなのは分かっているのだが。

 さっき「勝田全国マラソン」に参加した知人からメールが来た。
 1名は3時間12分台のベスト、もう1名は2時間58分のこれまたベストでサブスリー達成。おめでとうございます。


写真は小牧シティマラソンと可児シティマラソンの参加Tシャツ。手袋とボールペンももらいました。小牧はミズノ製、可児は何も書いてなかったけど、どちらも綿ではない新素材でした。

東海環状自動車道開通 プレイベントというわけで

2005年01月30日 | 走る&徒然日記
 自動車道の開通プレイベントで、コースは自動車道の本線を使用(多分生涯最初で最後の自動車道を走る機会でしょう、箱根駅伝で首都高を走った大学チームがあったけど)スタート・ゴールが自動車道の料金所の中でした。

 というわけで写真は料金所の手前から撮影、向こうに小さく黄色い「可児シティマラソン」のゴールが見えます。

可児シティマラソン 行ってきました。

2005年01月30日 | 走る&徒然日記
 可児シティマラソン 東海環状自動車道開通プレイベントに行ってきた。
 環状自動車道の開通記念イベントというわけで、可児御嵩インターチェンジ内集合、スタート地点は高速道路本線だった。
 5キロ行って戻ってくる折り返しコースで行きが向かい風、帰りは当然追い風だった。意外と上り下りのあるコースで全体に上って、下ってくるのか、その逆かはよく分からなかった。特別参加の形で愛知製鋼のランナーが10名ばかり参加、中山監督もきていた。
 コースは高速道路を使用しているので、幅は十分だった。ただ、折り返し後、6キロの部の折り返しと合流、さらに4キロの部の折り返しと合流でそのあたりからはタイムによっては微妙だったかもしれない。
 もっとも、今回の大会は自動車道の開通プレイベントなので、(可児シティマラソン自体は第23回)特別コースで2度とこのコースで走ることは出来ないと考えられる。デジカメを持って走ろうかと少し考えたが、今回は少し追い込むために参加しているので、結局やめた。

 金曜日(というか土曜の早朝の)の朝まで生テレビを見ていたため土曜は遅れ気味に練習開始でその後映画「スパイバウンド」を見に行ったりしていたので寝不足でつらくて、追い風の後半のタイムが随分悪く、タイムは37分30くらい。入りの5キロを18分20弱で入り、それなりに余裕があったので前回の小牧よりも期待できると思ったが、6キロ地点でつらいというより気持ち悪くなり、少し緩める、ガッツのないレースでした。
 前日の32キロ走の影響もあり、右膝の内側が少々痛く、脚も厳しくなったがこれはそういう練習のために参加しているので予定通り。36分台では走っておきたかった。

 ところで参加連絡のハガキが不親切だと書いたが、やはり今日間違えて手前の駅でいったん降りてしまいバスに乗ろうとすると、レース開始時間までバスがないとのことだった。結局隣の駅からは歩いていけることが判明、再度切符を買いなおし(田舎の駅なので手渡しなら多分乗れたと思うのだが、自動改札なので無理だった)会場へ。ホームページがあるのだから、地図くらい載せてください。

<今日の練習>
可児シティマラソン10K

大阪国際女子マラソン 優勝:エレナ・プロコプツカ選手

2005年01月30日 | 走る&徒然日記
 今日の大阪国際女子マラソンは面白かった。
 ペースメーカーの導入でレースの駆け引きがなくなって、30キロまでは見なくても良いようなレースになることが多い。ペースメーカーはあくまでそのペースで走るだけの事で、それに合わせて走る義務はないのだから、ペースメーカーの前に出ようが後ろに離れようが駆け引きや自分の好みに合わせて走ればいいだけのことだと思うのですが(もちろん風除けになるなどのメリットはあるので向かい風が強いときはしょうがないけど)、男子のマラソンなんかを見ているとともかくペースメーカーに合わせて、全員が走っているように見える。そのペースにあった人には有利だと思うけど合わない人には不利に働くんだから。

 残念な結果だったが、大南選手は勇敢だった。ペースメーカーが入ることでペースメーカーに選手が合わせていくようになるので、大南選手の組み立てが成功していたら、ペースメーカーに縛られる心理の裏をつく面白い戦略になったのだが、結果的には失敗に終わってしまった。UFJの廃部でアピールをしたいというそんな気持ちもあったのかも知れない。

 優勝のエレナ・プロコプツカ選手は11月のニューヨークから約3ヶ月で大阪国際女子に出場したということになる。タイムも自己ベストだし、22分台というタイムは世界的にもいいタイムである。どこまでニューヨークで追い込んだかということはあるが、外国人選手は名古屋に走ったら、オリンピックは無理とかそういうことはなさそうな印象だ。もちろん純然としたプロ選手である彼女達はオリンピックだけに合わせた調整がスポンサーとの関係などで難しい面もある。
 エレナ・プロコプツカは1万メートルがこれまでは本職の選手のようだ、夏に行われるオリンピックのマラソンはちょっと別競技のようになってきているが、ラドクリフはかって「マラソンは人生にたとえられたが、今はスピード化で人生に例えるようなものではない」と言っていたように思う。
 小崎選手の2位といい、マラソンは特別というより、1万メートル×4の競技という感がするレースだった。
 小崎選手は2回のマラソンがいずれも23分台という高いレベルの記録で安定していて、日本の女子マラソンのレベルが高いので目立たないがたいしたものです。ただ監督が体が弱いようなことを言っていたが、小倉キャスターが練習が出来れば凄い記録が出せる選手になる可能性がある選手といっていたが、高いレベルの練習がつめるかどうかがそもそも問題で、高いレベルの練習がつめれば、高いレベルの記録が出るのは当然で、最大の問題はそういう練習が出来るかどうかでしょ。
 
 今回は若手有望選手が軒並み期待はずれだった。小崎選手が29歳、弘山選手が36歳とベテランの二人に若手が結構遅れている。

 ところで大会を中継しているKTVは今回ネットでFLASHで中継を行ったはずだがうまく行ったのだろうか?選手の通過タイムがネット上に掲載されていた。(5キロおき)さすが国際レールって感じがしていいですね。

スパイバウンド 監督/フレデリック・シェンデルフェール

2005年01月30日 | 映画
 32キロの距離走の後「スパイバウンド」を観た。
 名古屋では上映館が少なくしかも70席弱の小さな劇場のため4回の上映時間中3回が満員売り切れだった。監督は多分日本での公開作品がない人のようで、全く知らない人です。ちなみにフランス映画です。
 さて映画の中身だが、実話を基にしたスパイの足抜けの話という事になるのだが、全編の大半は任務の遂行の様子が描かれる。実話ベースとの事なのでけちをつけてもしょうがないのだが、任務の遂行の頃はこれを最後にスパイを止めたがっているとの告白がされたりするのだが、そのための伏線を引くとか、準備をする訳でもなく、困難さを語っている割には正直というかなんというか。
 また、これは監督を含め映画製作者の堰にとも言いにくいが、宣伝では「私、スパイやめます」などモニカ・ベルッチを主にして語られているのだが、この話の展開は・・・。
 終了のクレジットがあがり始めたとき、えっ終わりって感じです。いや話が面白くて時間をわすれたということではなくて。

 ホームページや宣伝はベルッチをメインにした宣伝展開で、こと日本では完全に旦那のヴァンサン・カッセルよりも格上になってきている。プリティーウーマンとプリティブライドのジュリアロバーツとリチャードギアみたいになってきたな。もっとも映画中のクレジットはまだカッセルの方が前。それにしてもモニカベルッチ+ヴァンサンカッセルと宣伝しているが、この組み合わせでないモニカベルッチの作品てむしろ少ないんですよね。私の印象では。
 「オーシャンズ12」のカッセルはかなりシャープに絞っていたが、今回はかなりナチュラルな感じだった。昔、映画のプロモーションの関係でヴァンサンカッセル、モニカベルッチを見たことがあるが、ベルッチは黒のタートルネックのセーターで体のライン出しまくり、カッセルはチェックのワークシャツでなんだかおっちゃんだなあと思った記憶がある。カッセル自身がいわゆるデニーロアプローチをする人なのかもしれない。 

収容車

2005年01月29日 | 走る&徒然日記
 大阪国際女子マラソンの前に縁起でもない収容車の話。
 大阪は現場で見たことはないが、聞いた話では東京などとも同じようなので。このクラスの国際大会の場合参加者があまりないことと5キロおきに関門が設定されていることもあり、レースの後ろをバスがついて走っていきます。
 当然バスの後ろにいるようなら、次の関門はクリアできませんね。
 実際問題として、関門に比較的余裕のある3時間を切るようなレベルの選手は女子の場合は本の一握りですから(今年の東京の場合招待を含めても50人程度)結構多くの人はバスに追い立てられるように走っていたりする。たいていの場合大型の観光バスです。
 このプレッシャーがいやだという人もいるようだけど、参加者も少ないので、関門に掛かった瞬間にバスに乗り込めるわけで(しかも座れます)昨年の大阪のように非常に寒い場合など、収容者に乗らずに済めばその方がいいのは言うまでもないが、待ち時間がなくてまあいいといえます。

 ところで仲間とかすみがうらマラソンに出たときの話し。2名の仲間が故障のためリタイアをすることになり、収容者を待つことに。
 とはいえ、関門に掛かったわけではないのでなかなかバスは来ない。ただ故障によるリタイア選手もいるので、いくらかバスは走っていたようだ。ただこういったレースの場合は参加者も多くまたレベルの多様なので、多くの選手がリタイアする。
 1名は15キロ過ぎで膝を故障、もう1名は25キロあたりで同じく膝を故障した。二人も陸上経験があり、古傷が爆発してしまったものだ。
 先の1名は比較的早い段階だったこともあり、バスにはなんとか乗れたのだが、もう1名は1台目2台目に満員で乗れず、体が冷えるので先へ歩きながらバスが来たら乗るつもりで足を引きすりながら先に進んだ。25キロまできているので先に進んだ方がゴールに近づくので。
 かすみがうらマラソンではオフィシャルの給水所以外にも、地元の人が自宅前などでお菓子やお茶みかんを出してくれていたりする。
 その時彼は故障で足を引きずっていたことで周りからは、凄く励ましを受けていたらしく、子供たちがお菓子やバナナ、みかんなどを走って持ってきてくれたらしい。最初は喜んでいた彼も先へ進むうちにさすがに満腹になってきて、ついに腹一杯で食べられないような状態だったらしい。
 足を引きずっているのでスピードもないので子供たちが走ってお菓子を持ってくることから逃げることもできず、すべてもらったものは食べたようだ。通常腹に殆ど何も入れない腹ペコ状態でレースに入るわけだが、ゴールしたときに満腹なったのはその時だけだったと本人は語っていた。そりゃそうですね。ちなみに、ゴールまでは結局歩く羽目に。追いつくバス追いつくバスすべて満車で乗ることが出来ず、ゴールまで歩いてしまったのだった。

 私も2度収容者に乗ったことがあります。1度は一昨年の東京国際女子マラソンの記念大会、もう1回は一昨年の防府マラソン。

 東京の時は、ベストをあの暑さ(高橋尚子選手の失速したときの大会です。)の中ベストを狙って飛ばし、15分前にスタートした女子ランナーに追いつけ追い越せで、知人の女子ランナーを励ましつつ走ったが、30キロ手前で全く足が動かなくなり、40キロの関門に掛かってしまいました。
 高橋選手とは想定どおりの地点ですれ違いましたので、収容車失速したとの話を聞いてひどく驚いたものです。収容車には水がろくなくて、あの時の大会では給水所から水が消えて道路に落ちたスポンジを拾って絞って水を取る人が出るなどひどい状態だったので、水がないのはほんとに危険な状態でしたね。
 防府マラソンではベストを狙ってペースをコントロールしていたのですが、関門を勘違いしていて、掛かってしまったものだったのですが、関門のところに小型のバスがとめてあったようです。バスには抜かれていないので。これは上記の東京も同様です。
 ドヨーンと雰囲気が重くてあんまり乗るものではないですね。乗りたくて乗っているわけではないけど。

<今日の練習>
名城公園にて32キロ(先週同様キロ4分30秒 最後の2週はキロ4分と100㍍×5を流し)
明日は可児シティマラソン何しろスタート時間が早く、遠いので6時すぎには家を出ないといけない。

先週はナイキショックスで足首が痛くなったので、今日は同じくナイキのペガサス

ブログ ブロガー

2005年01月29日 | 走る&徒然日記
 ブログ、ブロガーが凄いペースで増えていることは皆さんご存知の通り。
 ところで、8年ぶりに出版の状況が好転したとの事だった。雑誌は関連は苦戦も書籍の健闘の結果だそうだ。
 昔、読者は作家志望者の人数とニアイコールかもしかすると作家志望者の方が多いのではないかなどの話が語られた。それくらい読む人が少なくなって書いてみたいという人しか読んでいない等といわれたが、そんな意味ではブログというのはとてもその状況に即しているメディアだ。
 自分で書いては他の人の書いたものを読んでのトラックバックなど、読む人と書く人が共通というか双方向というかというのが最も特徴なツール、メディアだから。
 11万人の読者と11万人の書き手がいる、凄く健全なことなのかもしれない。

 写真は今週月曜日の空を飛ぶ渡り鳥。この直前まで凄く見事なVの字を描いて飛んでいたので、デジカメを取り出して撮影したが、そのときはこの状態になってました。
 昨日今日は渡り鳥が飛ぶ姿を殆ど見ない。シーズンが過ぎたのかな。

サブスリーを目指した頃⑤ ~達成 2002年大田原マラソン

2005年01月28日 | 走る&徒然日記
 さて、自分なりに手ごたえを感じていた「北海道マラソン」に惨敗してメニューの見直しと、練習のため、恒例になっていた「諏訪湖ハーフマラソン」をパスすすことにした。そして9月。
 9月は祝日も多く、時間のかかる距離走を連続して行うことにした。
 基本的に月間走行距離が短すぎることも問題だが、それ以上に一回に長い距離を走る練習がなさ過ぎるとの指摘を受けたからだ。

 土日もしくは連続する祝日で連日の形で距離を踏むことにした。一つは一回あたりの距離を伸ばすことと、翌日続けて距離を走ることで、35キロ過ぎの壁に代表される終盤苦しくなってからの粘りを養うためである。
 もちろん、いきなりは難しい面もあるので、とりあえずは初日20キロのペース走(ここからのペース走はすべて5キロ21分から22分程度でコントロール、上がりの5キロはもう少し上げる感じで走っていた。)で翌日は20キロのLSD(脈拍が140程度までの範囲になるように、結果的にはキロ5分前後のスピードだった)を行った。次週は25キロのペース走に20キロのLSD、次は25キロのペース走に25キロのLSD、さらに30キロのペース走に25キロのLSD、最終的には30キロのペース走にLSD30キロという組み合わせまで持っていった。それよりも長い組み合わせはなしだった。

 35キロくらいまでくると少々ダメージが大きすぎると判断しているので、現在でも練習では殆ど30キロを超えるペース走は行わない。回復を考えると結果的に効率が悪いと思っている。また、もう一つ考え始めたことがフォームの改造というか、イメージの変更である。
 ジムに通いだしてから半年程度が経ち、徐々に走る感覚が違ってきていたが、よりフォームをイメージしながら走る事を心がけるようにした。
 北海度マラソンでは失敗レースになったとはいえ、レース後の足の疲れ方がこれまでと葉大きく違っていることをはっきり感じた。従来腿の前の筋肉が痛くなっていたものが、この時は太腿の後ろ側に筋肉痛がでて、前の筋肉は比較的筋肉痛がなかった。
 基本的に脚の後ろ側の筋肉は加速(前進)用、前側は減速用というのがその役割である。したがって、前の筋肉に疲れがそれ程ないということはブレーキを使っていないということで、効率のいい走りが出来ているということになる。

  この9月から10月に掛けての1ヶ月で初めて走行距離300キロを超えた。現在も300キロを超えたのはこの時も含めて数回程度しかないので、生涯で最も距離を走っていた頃だ。
 記録を掛けた大会である「大田原マラソン」は11月下旬なので、回復のため11月に入ってからはLSDのレベルの練習のみで疲れを取ることを最重点にした。
 皇居でのペース走を繰り返す中で、30キロではあったが、ある程度余裕を持って走りきれるようになっており、自分なりには体調さえ問題なければ、2時間55分前後のタイムが出ると予測していた。
 大田原マラソンでの結果は2時間56分、無事サブスリーを達成した。練習を始めたのが、2001年の8月お盆明けからだったから、15ヶ月サブスリーを達成することが出来た。

 この時ちょっとしたつてから、2002年ホノルルマラソンのツアーにペースメーカーとして参加することにもなっており、サブスリーとして参加できることはとてもうれしいことであった。もっともペースは4時間半程度で走るのが担当だったので、もちろん持ちタイムがそれ程問題なわけではないが。

 そして2003年の勝田マラソンで2時間54分でベストを更新した。翌年の勝田マラソンも2時間54分台だったが、2003年の方がわずかに早かった。これが現在のベストとセカンドベストということになる。2003年の勝田マラソンは2月に資格の試験があったので、勉強時間を確保するため会社まで90分の道をテキストを読みながら歩いて通勤した。
 
 やはりフォームというか骨盤の使い方や体の使い方を意識して練習することはとても重要なポイントだと思う。現在一番気をつけていることは足の地面の踏み込みと腕の使い方のタイミング、それと骨盤の動かし方である。走っているときに脚の表側か裏側かどちら側が疲れているかなどを一つの目安にしている。
 ただ、正直な話最近ではフォームをいろいろ参考の書籍などを読んでいる内に何が良いのか良く分からなくなってしまっている。

 この頃の1日目にペース走を行い2日目にLSDという組み合わせで行っていた練習を現在見直し、ここ最近の大会前日に距離を走りつかれた中で、10キロ程度を粘るというスピードの面から言えば、当時とは逆の組み合わせにしている。練習量が落ちている中で体に与える刺激をちょっと変えたいという事とより後半の局面でスピードを維持していく粘りをつけていきたいと考えているので。
 昨年同様の規定を「福岡国際マラソン」の参加資格に適用にする場合に備え、2月の「犬山国際ハーフマラソン」もしくは3月の「京都シティハーフマラソン」の陸連公認大会で80分を切るグロスタイムを記録するためにも多少のスピード持久力のアップが必要なので。これまでも80分は何回か切っているが、残念ながらすべてネットで、グロスタイムは必ず微妙に超えたタイムになっている。
 あとは3月の日比野記念中日豊橋マラソンで、2時間50分をなんとか切りたいと考えているので、殆ど行っていない、インターバルを組み入れるつもりだ。

<今日の練習>
明日は35キロのペース走のつもりなので、休養。
あさっては「可児シティマラソン」ハガキに書いている会場へのアクセスが分かり難かったのでネットで大会のページも見たが、アクセスのコーナーがなければ、大会住所もない。ホームページを作っているのだから、もう地図やアクセスなどは載せておいてほしいものだ。

gooブログサーバー入れ替え

2005年01月28日 | グッズこんな物使ってます、買いました
 サーバー切り替えの効果だと思うけど、「混雑しているの・・・・」というメッセージが出なくなっている。
 アクセスも早くなっているような気がする。
 なにせ部屋に電話回線がきていないので、実はノートパソコン(プリウスエアデッキとか言うやつです※写真)にPHSカードモデム(定額制)で繋いでいるので、現在の標準的な環境からするとかなり遅いんです。
 このところ、つながらずで書き込みをあげられないことがあり、書き直しになる羽目によくなったのでとても快適だ。
 ブログもますます増えて、1日に800位増えて、こないだ10万件を超えたといっていたのに、11万件をすでに超えているんだもんな。

大阪国際女子マラソン

2005年01月28日 | 走る&徒然日記
 気づいたら今週の日曜は、大阪国際女子マラソンじゃないか。
 注目はやはり誰が日本人トップで、世界選手権のマラソンへの参加資格を得るかということですね。
 シドニーの選考大会以来、2時間22、23分あたりが連発されていたので、なんだか26分くらいだとすぐにでも出そうなイメージがあるのだけれど、一昨年の東京国際女子で高橋尚子選手が失速して以来、案外その辺のタイムを出している選手って少ない。昨年は雪の中のスタートでほんとに寒そうでした。フロストバイトを走り終わり、携帯に入ったメールを確認すると、大阪国際女子に参加している知人からメッセージが。「げっ、大雪です」

 今年の招待選手は以下。ヌデレバの妹が参加しています。妹がマラソンランナーとは全然知りませんでした。ケニアとかは5人兄弟でも少ないらしいので、もしかしたら他にもマラソンランナーの姉妹、兄弟がいるのかもしれない、軍団で出たら面白いのに。

 無責任な観客としては今回は名古屋国際の方が面白そうな面子だでど。去年の大阪女子はリアル日本選手権て感じだった。

1.リディア・シモン
  自己記録:2時間22分54秒(00大阪1位)※シドニー五輪2位
2.エレナ・プロコプツカ
  自己記録:2時間24分01秒(03ロンドン7位)※アテネ五輪1万m7位
3.オリベラ・イエブティッチ
  自己記録:2時間25分23秒(03ロッテルダム1位)※アテネ五輪6位
4.ミハエラ・ボテザン
  自己記録:2時間25分32秒(03ロンドン9位)
5.アナスタシア・ヌデレバ
  自己記録:2時間29分03秒(03ベニス1位)
6.マリナ・イワノワ
  自己記録:1時間11分09秒(02ラ・ブリオンハーフ1位)※初マラソン

31.弘山 晴美
  自己記録:2時間22分56秒(00大阪2位)
32.大南 博美
  自己記録:2時間23分26秒(04ベルリン2位)
33.小崎 まり
  自己記録:2時間23分30秒(03大阪5位)
34.松岡 理恵
  自己記録:2時間24分33秒(02パリ2位)
35.大山 美樹
  自己記録:2時間27分58秒(04名古屋4位)
36.那須川 瑞穂
  自己記録:2時間29分49秒(04大阪4位)
37.小尾 麻美
  自己記録:2時間33分34秒(04長野5位)
38.大越 一恵
  自己記録:2時間36分27秒(04大阪13位)
39.斎藤 由貴
  自己記録:1時間09分43秒(04札幌国際ハーフ2位)※初マラソン
40.岩本 靖代
  自己記録:1時間10分06秒(01世界ハーフ9位)※初マラソン

北海道マラソンで買ったウィンドブレーカー

2005年01月28日 | 走る&徒然日記
たたんで、ウィンドブレーカー自体のポケット入った状態はこんなです。
どうしても大会に行った時など収納に苦労することがあるので、こういう形で収まると凄く便利です。アディダスでも同様に上着はそれ自体のポケットに、ズホンもそれ自体のポケットに収納できるやつを持っています。ま、そのうちに画像を載せます。

サブスリーを目指した頃④

2005年01月27日 | 走る&徒然日記
 想定外に早くボストンマラソンの参加標準記録を達成したためにサブスリーを狙う気になってしまったわけだが、今度は自分にとっては思ったより難しいということを感じざるを得なかった。
 ここから、練習メニューを切り替えて本格的にサブスリー狙いの練習になった。
 ゴールデンウィーク明けから開始された「北海道マラソン」のエントリーへは初日にエントリーした。
 8月下旬に開催される「北海道マラソン」にはまだ約4ヶ月あり、十分な期間があると考え練習の中身を切り替えた。
 以前書いたように2月中ごろにはジムに入り、場所が皇居に近いこともあり、休日にはジムから皇居へ行き、通勤ランだけではなく休日にも走ることにした。
 また、練習ではこれまで通勤ランのみだったので、15キロ以上走っていなかったわけだが、皇居を6周(約30キロ)というメニューも月に数回取りいれた。
 ただしこの頃はまだLSDで十分という考えをもっていたので、一周25分(キロ5分ペース)での練習だった。
 恐らくこの頃の月間走行距離は180キロくらいだったと思う。休日に距離を走る反動で、平日の帰宅ランの回数が減り気味なったこと、そろそろ暑くなってきた事もあり、思ったよりも距離は伸びなかった。
 ただ、30キロ走などでは徐々に楽に感じ始め、力が底上げされてきている実感はあった。
 7月にはジムで合宿、山の方へ行き、一応高地トレーニング。
 
 いよいよ、8月の「北海道マラソン」を迎えることになった。実は北海道へ行くのはこれが初めてだった。
 今回は自分なりに期するものもあり、一週間前に皇居の5キロ走で、体に刺激を与えるなど調整の真似事も行った。自分なりにはかなりいいペースで走ることが出来て、仕上がりはかなりいいと思っていた。後は当日の気候である。

 さて当日はというとスタートから、20分強のペースで刻み、途中で知人のサブスリー女性に追いつき、後ろについて走った。女性のトップランナーの場スピードがあるというよりもスタートからゴールまでイーブンペースで走る人が多いので、ペースメーカーにするにはもってこいだと思ったのだった。
 しかし、15キロくらいからお腹の具合がおかしくなり、20キロ地点で喫茶店のトイレを借りる羽目に。実質的にはこの瞬間サブスリーは不可能になった。
 そんかこんなで、3時間15分程度のタイムでゴール、大失敗のレースであった。もっとも8月というコンディションが悪い時期にベストを狙う事自体あまり賢明な判断でないというのも事実だが、まあこの大会に走ったからといって秋の大会に出られないわけではないので実害もないわけだが。モチベーションを保つ意味でも、メニューをもう一度見直す気になったという点でも出ておいて良かったと思っている。
 秋からのマラソンに備え、毎年参加していた「諏訪湖ハーフマラソン」をパス、11月の「大田原マラソン」へ照準を絞ることにした。大田原は前年参加してボストンマラソンの参加標準記録を出したゲンのいい大会であること、参加資格が4時間を切っているものということで、大会がこじんまりして走りやすいことがその理由であった。

 さて、11月に向けて見直した練習は次回。

<昨日の練習>
gooブログのサーバーメンテナンスのため昨日書き込みできなかったので。
朝の通勤、夜の帰宅を歩き(10キロ)足の甲と足首の調子は大分戻っているが大事を取って休養。

<今日の練習>
朝の通勤を歩く(5キロ) ええ、練習はまたしても休養です。
土曜は35キロ走のつもりなので、明日金曜日も休養するつもり。こんなだから距離が伸びないんだよね。

写真はこの北海道マラソンのとき前日のナイキブースで買ったウィンドブレーカー。上着を畳むと上着自体のポケットに収納できる、便利な作りなっています。

サブスリーを目指した頃③

2005年01月25日 | 走る&徒然日記
 第1回「新宿シティハーフマラソン」、「勝田全国マラソン」。
 雨の「新宿シティハーフマラソン」に「谷川真理ハーフ」に続いて参加、84分だった。そして、「勝田マラソン」。このときが始めての「勝田マラソン」だった。
 この初参加以来、勝田は非常に相性のいいマラソン大会になっている。コースは決して平坦とはいえないし、風もそれなりにある、気温は低いがむしろ低すぎるくらいである。
 考えるに、秋口に何回かフルマラソンを走り、ハーフに何回か参加の後のタイミングで参加になることが、結果的に大会への調整という面で非常にマッチしているのだと思う。逆に考えると、この状態になるように練習メニューを組めば良いということになるが、今回とは別の話。
 この大会では3時間6分台のベストでゴール、大田原に続いて2度目のトイレに寄らなかった大会になった。
 この後3月には「佐倉健康マラソン」、「荒川市民マラソン」と参加したが、佐倉で風邪を押して参加したことが(39キロ地点では気持ち悪くて戻しそうになった)原因か荒川でも体調が悪く、この2大会では3時間20分程度のタイムだったかと思う。
 「ボストン」ではネットタイムで3時間9分台でセカンドベスト。翌日曜の「かすみがうらマラソン」でも3時間20分だった。
 この段階で春までのマラソンシーズンは終了、8月の「北海道マラソン」以降にサブスリーへの挑戦は持ち越しになった。

 2001年8月中旬から2002年4月中旬までの参加大会と練習は以下のようなもの。
 ベルリンマラソン
 諏訪湖ハーフマラソン
 大田原マラソン
 つくばマラソン
 谷川真理ハーフマラソン
 新宿シティハーフマラソン
 勝田マラソン
 佐倉健康マラソン
 荒川市民マラソン
 ボストンマラソン
 かすみがうらマラソン

練習メニューは週数回程度の帰宅ラン(15キロ LSD)のみで大会前は帰宅ランを止めたりしていたので、ほぼ毎月150キロ程度の走行距離だった。
 ただし、上記のように大会に出続けていたことが距離走やペース走的な役割を果たしていたことは間違いないと思う。
 そういう点ではLSDのみで一定以上に早くなれるという事は必ずしも正しいとはいえないかもしれないが、大抵の場合大会に出続けながらタイムを狙っていくということが一般的な市民ランナー(これくらいフルマラソンにつめて出るかは別として)の場合普通だと思うので、練習メニューとしての走りこみは1時間程度のLSDを週に数回程度出来ればそこそこのレベルまではいけるのではないか、と思っている。
 LSDは比較的負荷の少ない練習で、故障の危険も少ないし、追い込むトレーニングではないのでつらさも少ない練習なので、この練習をしてみてもっと早くなりたいという気持ちがでるようならば、その時ペース走やインターバルトレーニングなどを考えるということで良いのではないかと思う。いずれにしてもトレーニングできるベースを作っておく必要があるので、その点でも理にかなっているのでないだろうか。

<今日の練習>
相変わらず足の甲から足首の調子が良くないので、休養。
朝の出勤時、帰宅時を歩く。(合計10キロ)