♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして8年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄 2017年9月号

2017-08-26 10:25:31 | 随想
慶(きょう)聞(もん)抄(しょう)  2017(平成29)年9月号
(NO、46) 了雲寺 釈幸華

        9月のしつらえ

戦没者を悼む

夕方の散歩はたいてい山コースですが、その途中に墓地があります。一画に戦没者の墓碑が二十数基。故陸軍一等兵何某・・。側面には、昭和十年代や二十年の没年と中国やフィリピンの地名。つい立ち止まって姿勢を正してしまいます。やはり他の多くのお墓と違って、強いられた無念の死がそうさせるように思います。

先の戦争での軍人・軍属の死者は230万人といわれています。ある先生が、事細かにその死因を調べてみると、何とその過半数は餓死か病気、つまり戦闘で亡くなった訳ではないとのこと。大岡昇平の「野火」などの戦争文学や、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげるの話などから驚きはしないけど、余りにも指導部の無能さ、無責任さに改めて腹が立ちます。一銭五厘の「赤紙」で駆り出され、鳥の羽根よりも軽いと言われた兵士の命。当時は「臣民」、人権が制限された存在の末路を思うべきです。*例の籠池さんが幼児に言わしていた「教育勅語」てのは、もの言わぬ「臣民」作りの装置だったわけで、「いいところもある」って言って摘まみ食いする、そんなシロモノではないのです。

宗門は、毎年9月18日に千鳥ケ淵戦没者墓苑において、全戦没者追悼法要を修行、今年は第37回になります。一昨年、私は大阪教区の研修でお参りに行かせてもらいました。以下は、去年の石上(いわがみ)総長による「平和宣言」の一部です。*写真2枚も去年の本願寺のウェブサイトから。


          平和宣言をする石上総長

形を変えながら続く暴力や争いの連鎖は、なぜ止まることがないのでしょうか。釈尊は、誰の心にも、むさぼり・憎しみ・怒りの心があると説かれました。親鸞聖人は、「欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして」と、根深い欲望と愚かさに根差しているのが私たちであると示してくださいました。こうした姿に気づかないとき、自分だけの都合で判断し、行動してしまい、安易に他人を傷つけ、おとしめ、蹴落としてしまうのではないでしょうか。・・中略・・歴史と現実をしっかりと見つめ直し、仏さまの慈しみの心に促される行動を通して、容易に克服することのできない暴力の連鎖という壁を打ち壊し、新たな世界を構築してをいくよう精いっぱいつとめるのです。

歴史と現実

この「歴史と現実を見つめ直す」というのがこれまた難しいのです。因みに、昨年賞を取ったアニメ「この世界の片隅で」。息子のUSBで観ました。広島に原爆が落とされる数年前からの主人公・すずさんの日常が淡々と描かれています。声を担当したのんさんが「戦争中はモノトーンだと思っていた。」と。いやいや、赤、黄、青・・カラフルな世界。今とそう変わらない・・・平和な日常が突然破られ、頭の上に焼夷弾が降ってくる・・てな訳ないのです。平和に見えていたその間にも、朝鮮で、中国で、そして東南アジア、太平洋の島々で、日本軍による占領と殺戮と強奪があったのです。情報が操作され、真実が隠された中、「臣民」は「戦勝」に喜んでいました。負けて初めて戦争はいけないと気が付いたのでしょうか、日本人は。すずさんの日常と私たちのこの日常とが違うのか同じなのか、考えてしまいます。      


                 平和の鐘

そんな時、目にした記事。
「全日本仏教会(先程の石上総長が理事長)、首相・閣僚の靖国神社参拝中止を求め安倍首相宛に要請文」 
宗門も歴史と現実を見つめ直していることに、ちょこっと安堵しました。

*お寺カフェ 9/20、10/18  合掌                        
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