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ストレスの正体。ストレスとはいったい何でしょう?

2015年01月14日 | 日記

現在はストレス社会と言われます。しかし そもそもストレスの正体って、いったい何なのでしようか? 少し難しくなりますが、ストレスの正体をはっきりさせるために、これを科学的見地から考察してみる事にいたします。

辞書でストレスを引きますと「寒冷・外傷・精神的ショックなどによって起こる 精神的緊張や生体内の非特異的な防衛反応。または その要因となる刺激や状況。生物学的には、何らかの刺激によって生体に生じた歪みの状態を指す。」と出てきます。つまり、その人にとって 嫌な事・不快な事・怪我の他に、物理的な寒暖などによって “通常ではない刺激や状況” が生じ、肉体的・精神的な歪みが出る! これをストレスと呼ぶ! という解釈ですね。

しかし 何事においてもそうですが・・・こういった意味付けにおいて留意せねばならないのは、上記のような解釈が『商用利用目的で創作されたもの。いわゆる “お金儲けやマーケット的な観点で流布された作り話話ではないか?”』という疑念をつねに持っておくことではないでしょうか。

そもそもストレスとは、医学とはまったく無関係の「元々は材料力学上の専門用語に属する言葉」であって・・つまり そういったある意味 “別分野の使えそうな語句” を、商売に利用できそうだ!として、適当にそれらしく関連付けたものが、現在の常識になってしまったのではないか? といった考え方・物の見方なんです。

材料工学におけるストレスの意味とは・・たとえば スプリングを引き伸ばしたり、ゴム球を押し縮めたりした時に、その物質の内部に生じた歪みや応力の度合いを指す用途で使われ、ここには以下のような解釈があり・・それは ①この加えられた力は、その後 元に戻る力(復元力)として働く!といった力学的認識 ②その物質にかかった力が物理的限界を超えた場合には形態自体が崩壊する!といった物質の加工や形成に関わる論理的見解の二つになるでしょう。

さて、このように分けてみますと・・最初の辞書の解釈が『いかにも』に感じられてくるから不思議ですね。ようするに “もしも この材料工学用語を人間に置き換えるとしたら” ①人間にはストレスが必要である。それは元に戻る力を呼び覚ますからだ。これを利用すれば、免疫力の向上がはかられるのみならず、あらゆる実践的・経験的知性の鼓舞にもながるだろう。よって ストレスとは人間にとって有益かつ良いものである!との結論が導かれるはずなんです。ただし ②ストレスが限界を超えた場合には、人格的・肉体的崩壊が起こるかもしれない。だから その都度、解消したり緩和したりして、ストレスを蓄積させない事が重要になる。よって 人間にとって、ストレスとは有益であるとともに悪いものにも成りえる。といった二つの側面が出てくるのは当然に思われますよ。しかしながら、たいていのマーケットでは良い点が排除されて、悪い部分だけがクローズアップされてはいませんか? これは世間で言われる その他のリスクに関しても同様かもしれませんね。

まとめますと・・・物事には必ず良い面と悪い面がある! けれど その悪い面だけを殊更に強調して恐怖を植え付け「これを克服せねばならない」といったリスク回避における飢餓感を植え付ける行為が世間では横行していて、その最たるものが、何でもかんでも『ストレスが原因。ストレスは速やかに解消すべきもの。』といった観念かもしれない! ということなんです。

そもそもストレスの原因は、ストレッサーと呼ばれ、その外的刺激の種類から ●物理的ストレッサー(寒冷、騒音、放射線など)●化学的ストレッサー(毒・薬・麻薬など)●生物的ストレッサー(病や孤独感など)●感染心理的ストレッサー(不安心理)に分類されています。また ストレッサーが作用した際に生体は、刺激の種類に応じた特異的反応(パターン的免疫作用など)と、刺激の種類とは無関係な一連の非特異的反応(イレギュラー的ストレス反応)の二つを引き起こすことも知られてるみたいですね。

ただ 本来、ストレス反応とは、ホメオスタシス(恒常性=元に戻してバランスを取ろうとする力)によって、一定に保たれてるわけですから・・・それは同時に、生体の諸バランスが崩れた状態(ストレス状態)から回復する! といった作業が、体内で常時行われているがゆえに維持されるものでもある!ということも示します。よって人間とは、つねにバランスを崩した状態から復元を繰り返すことで生命を維持する!安定的であると同時に、不安定な生物である!ともとらえることができるのです。

もちろん過剰ストレスが限界を超えてしまうと、そのせいで身体や心に摩耗も生じますが、この身体的・精神的摩耗の事を、専門用語ではアロスタティック負荷と呼び・・・たとえば、外敵に襲われるような緊急事態においては、生理的・心理的な反応が即座に起こり、すみやかな避難や回避行動を起こさせたりするのですが、それも本能的な生きる力によるものでしょう。つまり、この生体反応こそが、交感神経系によって副賢髄質から分泌されるアドレナリンの効果と一致して、心拍数増加や心拍出量増加・筋肉血管拡張・呼吸数増加・気管支拡張・筋収縮力増大・血糖値増加などの『緊急事態の回避に有効なストレス反応』を生じさせ、日常生活の危険から私たちの身を守ってくれてもいるわけですね。

ここまで考察してみますと・・・なんとなく、ストレスの正体もおぼろげながらに見えてくると思われますが・・通常のストレスとは、身体内の反応を促進する有効なものだが、それは心拍や呼吸などの変化を伴わないため、普段は自分では意識できないし、また意識されてもいない。しかし、異常および過剰なストレスは、危機回避のために有効なものであると同時に、その際には心拍・呼吸などの増加を伴うため、本人にも その認識が明確に生じる!ということになります。

従って、通常ストレスに関しては何の問題もないし、むしろ免疫力・経験値向上のためには、すすんで作り出すべきものでもあるが・・・それは普段意識されていないのだから、殊更に恐れたり避けたりする必要もないはず。しかし異常や過剰なストレスが生じた時には、それは明確に本人が意識できるので、それに立ち向かうかどうか?は、その都度本人が決めることになるわけで・・・要するに、そういった緊急事態において、心拍や血流の増加が【はっきりとその本人に自覚された際】に、ここへ立ち向かうための闘争を選択するのか? ただ避けるための逃走を選ぶのか? は本人次第であり、その対処法いかんで、人生も決まってしまう!という側面も垣間見えてくるのです。

ちなみに科学では、アドレナリンが この闘争・逃走のどちらにも有効であることがすでにわかっていますから「ストレスが自覚された際に闘争と逃走のどちらを選ぶのか?は、ご本人の選択の問題である」ことは、もはや科学的な純然たる事実と言える気もします。いずれにしろ、私たちには・・ストレスを回避したり、上手に騙しだましつきあうといった消極的な言動だけではなく、あえて活用するという手だてもありそうです。そう考えると、もしかしたら、素晴らしい偉人たちは『あえて自らへ降りかかるストレスを真正面から受け止めて、これを有益なものへと活用できる達人だったのではないか?』そんなふうにも思えるから不思議です。