元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「リップヴァンウィンクルの花嫁」

2016-04-24 06:27:35 | 映画の感想(ら行)

 岩井俊二監督の衰えが如実に感じられる一作。卓越したインスピレーションも技巧面の非凡さも見当たらず、小綺麗だが微温的な画像が延々3時間も流れるだけ。何のために撮ったのか分からないシャシンだが、製作側としてはたぶん“岩井ブランド”には今でも一定の商品価値があると踏んでゴーサインを出したのだろう。

 中学校の派遣教員をしている皆川七海は、SNSで知り合った鉄也との結婚を決める。ところが彼女の両親は随分前に離婚しており、そのせいか式に出席してくれる親族は少ない。思い悩む七海の前に突然現れたのが“便利屋”と称する安室という男。彼の勧めるままに代理出席者を多数頼んでその場は乗り切るが、鉄也の母親カヤ子は彼女を信用してはいなかった。結婚からしばらく経って、カヤ子の奸計により七海は浮気の濡れ衣を着せられ、鉄也と別れるハメになる。

 帰るところも無くなった彼女は場末のホテルに職を得て細々と暮らしていたが、またもや現れた安室が今度は彼女に式の代理出席者のバイトを斡旋する。その仕事で知り合ったAV女優の里中真白が住む豪邸でメイドとして働くことになった七海だが、真白は難病を患っていて余命幾ばくも無い。七海は真白に残された日々を一緒に過ごすことを決める。

 黒木華演じる七海の教壇での弱気でオドオドとした態度は、成島出監督の「ソロモンの偽証」(2012年)で彼女が演じた役柄と一緒であり、この芸の無さを見せつけられた時点で早々に鑑賞意欲が減退する。彼女はおそらく身近にいる男とマトモに付き合ったことは無い。SNSで交際相手を見つけようとはするが、鉄也と知り合ってからも“受け身”の態度を変えようとはせず、せいぜい心情をネット上で書き連ねることしか出来ない。

 さらにはどう見ても怪しい安室という男を、単に“目の前に現れたから”という理由で簡単に信用し、結果的に逆境に追い込まれてしまう。こういう依頼心が強くて鬱陶しい女をそれらしく表現しているのは黒木の実力の賜物であるが、頑張れば頑張るほどマイナスオーラが発散され、観ているこちらはウンザリしてくる。

 真白のキャラクターも噴飯物で、演じているCoccoには色気も若さも感じられず、これでAV女優という設定はデタラメだ。そんな真白が邸宅に住める道理も無ければ、手前勝手な願望で七海を巻き込む必然性も存在しない。綾野剛扮する安室のキャラクターに至っては、得体の知れない雰囲気を振りまくだけで全然深く掘り下げられていない。

 このように“宙に浮いた”ような登場人物達が、甘ったるい映像の中で寸劇じみたものを嬉々として展開する様子を長時間見せつけられるに及び、不愉快な気分になってきた。おそらく作者の言いたいことは終盤での真白のモノローグに集約されているとは思うのだが、それをテーマにするならば設定や作劇を根本から見直すべきだ。しかし、今の岩井にそれだけの力量があるとは思えない。

 過去の作品で何度となく唸らされた音楽の使い方も、本作では陳腐そのもの。クラシック音楽に芸のないアレンジを施して、漫然と流しているだけだ。取って付けたようなハッピーエンド(のようなもの)も含めて、鑑賞後の印象は最悪。もはや岩井は見限って良い作家だと思う。

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