元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「PK」

2016-12-02 06:32:47 | 映画の感想(英数)

 (原題:PK)全然ピンと来ない映画だった。その理由は明らかで、当方、宗教ネタとは縁遠いからである。特に一神教とは相容れない。生憎こちらは八百万の神々が存在する国の住人だ。どの神が絶対的に正しいかどうかなんてのは、まるで興味なし。だから救い主を求めて主人公がいくら奮闘しようとも、観ているこちらには響くものがない。

 インドからベルギーに留学していた女子大生のジャグーは、ナイスな二枚目と出会って恋に落ちる。しかし彼はパキスタン人で、当然のことながら宗教が違う。親の反対もあって泣く泣く別れるハメになった彼女だが、それから数年経った今は母国のテレビ局で働いている。

 ある日、ジャグーは地下鉄で黄色いヘルメットを被って大きなラジカセを持ち、“神様、行方不明”と書かれたチラシを配る奇妙な男を見かける。彼は地元の者達から“PK”(酔っ払い)と呼ばれる変人で、話を聞いてみると、彼はヨソの天体からやってきて、自分の星に帰るために神様を探しているのだという。これはテレビ番組の絶好のネタになると思ったジャグーは、彼の行動をカメラで追うことにする。

 冒頭、地球にやってきたPKがトラブルに巻き込まれて母船を呼べなくなったくだりが紹介されるが、このSF仕立ての設定を宗教ネタに結びつけようという強引さには、正直ついて行けない。星間移動が出来るほど文明の発達した世界の住人であるPKならば、こういう面倒くさいプロセスを経ずに科学力で何とかなりそうなものだと思ってしまう(笑)。

 本作の主題は、宗教というものは人が生きる上で心の支えになり得るが、ヘタすると悪用されて害悪にも繋がるといったものだろう。それを宗教同士の“派閥争い”(?)が絶えないインドの状況と重ね合わせて、社会派テイストをも醸し出そうという作戦である。しかしながら、信心深くないこちらとしては、正直どうでもいいハナシなのだ。ここは単純にジャグーとPK及び件の彼氏による三角関係をフィーチャーしたラブコメに徹した方が、楽しめたかもしれない(爆)。

 監督のラージクマール・ヒラーニと主演のアーミル・カーンとのコンビは、かつてあの快作「きっと、うまくいく」(2009年)を生み出したが、再タッグ作であるこの映画は、まるで気勢が上がらない展開に終始。インド映画にしては上映時間は短めだが、キレもコクもない演出によってとても長く感じられる。ラストシーンなんか蛇足以外の何物でもない。挿入される歌と踊りのシーンは、楽曲のレベルが低くて興ざめだ。

 アーミル・カーンは頑張っているが、前作「チェイス!」(2013年)での肉体改造がそのまま継続している感じで、何やら不自然にマッチョである。ジャグーに扮するアヌシュカ・シャルマは正統派美人ではなくショートカットが似合うファニーフェイスだが、とても可愛い。本作は全米公開もされたとのことなので、ひょっとしたらハリウッド映画出演の話もあるかもしれない(^^;)。

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