元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「めぐり逢わせのお弁当」

2014-08-29 06:23:12 | 映画の感想(ま行)

 (原題:THE LUNCHBOX)脚本がダメだ。ラストに至っては話が空中分解している。通常のインド製娯楽映画のルーティンを踏襲していないので上映時間が(インド映画にしては)短いが、それだけ対象をじっくりと扱う手間暇を惜しんだと思われても仕方が無い。

 ムンバイに住む専業主婦のイラ(ニムラト・カウル)の生活は、小学生の娘を送り出した後に取り掛かる夫の弁当作りでほぼ午前中が潰れる。あとは家事をしながら帰りの遅い夫を待つだけだ。その弁当は、ダッバーワーラーと呼ばれる弁当配達人が家から夫の職場まで配達してくれるのだが、何かの手違いによって、保険会社の経理担当者サージャン(イルファン・カーン)に届けられるようになる。

 勤続35年であと1か月で退職することになっているサージャンは、妻を亡くして今は一人暮らし。味気ない毎日を送っていたが、思いがけず美味しい弁当にありついて驚く。イラはすっかり空になった弁当箱が帰ってきたのを見て喜ぶが、やがて腕を振るって作った弁当が赤の他人に届けられていることを知る。サージャンは空の弁当箱に料理の感想や身の回りのことを書いて同封するようになり、イラも返事を書く。こうして見ず知らず同士の“文通”は始まる。

 ダッバーワーラーという制度は興味深いが、誤配がほとんど無いというこのシステムにおいて、どうして間違って弁当が配達されるようになったのか、その背景が全然見えない。原因を暗示するような配慮が欲しいところだ。また主人公2人の境遇は、作為的に過ぎる。イラの父はガン闘病中で、母は父の治療費の工面に四苦八苦。弟は受験に失敗して自殺。唯一気安く話し合えるのがマンションの一つ上の階に住むオバサン(声だけで姿は見せない)だが、このオバサンも夫の介護で苦労している。さらにイラの夫は浮気しているという、まさに絵に描いたような逆境だ。

 サージャンの孤独も作者が頭の中でデッチあげたようなもので、楽しそうな隣家の家族団らんの様子を意味ありげに見つめるあたりは、芸が無い。さらに、実際に会いたいというイラの申し出を、自らの加齢臭に幻滅して固辞してしまうというくだりは最低。オッサンをナメるなと言いたい(爆)。

 サージャンの後任になるシャイク(ナワーズッディーン・シッディーキー)は悪質な経歴詐称をはたらいた挙げ句、仕事で失敗をやらかすが、それをサージャンが安易に庇うのもオカシイ。シャイクは孤児だったという設定がそうさせたのだと思うが、それで通用するほどビジネスの世界は甘くない。

 ドラマが後半に入ると筋書きは混迷の度を増していき、登場人物達は動機も示さないまま突発的な行動を繰り返す。結局、イラは今の生活とどう折り合いを付けるのか、サージャンは退職して故郷に帰るのかどうか、まるで分からないまま唐突にエンドマークを迎える。これでは、ストーリー構成が行き詰まって作劇を放り出したと思われても仕方が無い。この監督(リテーシュ・バトラ)の腕前は三流だ。

 わずかに面白かったのが、彼の国での弁当の有り様である。4段重ねの箱に入れられ、職場の食堂で皿に載せて食べる。しかも、とても美味しそうだ。観終わってインド料理が食べたくなった私である(笑)。

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