
チョコレートは美味しい^^) Edは大好きである^^)
しかし日本製の何とか製菓や何とか乳業のチョコレートは美味しくない。せんべいのように固くて口のなかに入れても円やかに溶けないし、溶けるとネバネバ歯にくっつく。増量剤とか添加物がいろいろ混ぜ込んであるに違いない。おまけに変に甘くて食べたあと喉のあたりがヒリついたりする。
そいうわけでEdは毎年デパートの暮れのセールで、洒落てはいないがお得なベルギー製のチョコレートを数箱まとめ買いしておく。カミサンは洋ものスウィートより和菓子のほうが好きだからチョコレートにはめったに手を出さない。だからEdが殆ど独り占めする(笑)。酒ではないけれど、ちびりちびり時々つまむ程度だからかれこれ夏ころまでは持つ。
ストックを食べ尽くした後は、仕方がないから食べたいときだけ、せんべいのように硬い国産品で我慢する。もちろん1個何百円もするような高級品ならに日本製でも美味いのがあるにはある。でもそういう高級品にはビンボー人は手が出せない。”危険(目の毒)”だからそういう店には近づかない^^!
大むかしスイスに滞在していたとき、まだ小さかった子供たちにオモチャと一緒にチョコレートを送ってやった。日本でチョコレートといえばフツー誰にでも通用するが、海外ではチョコレート・キャンディーと言わないと解かってくれなかった^^!仕方なく指差して「これっ!」って言ったら”Oh!Chokolate Candy!”だって。ハハハ・・・(チョット恥ずかしかったな)
そういやあ、チョコレート・ケーキ、チョコレート・プリン、ホット・チョコレートなど色々あったわい・・・

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毎月第2と第4火曜日は小学校の保護者会(?)が取りまとめている有価物の収集日で、集まった有価物の売上金が小学校へ還元されるらしい。毎週ではないから予め心積りしておかないと直ぐ忘れてしまうので、我が家では段ボールと衣類だけはこの日に出している。
町の分別収集は年々仕分け方が煩くなってきて、プラスチックや壜・缶のリサイクル品だって一緒くたにはできない。カミサンは面倒さがって細かい仕分けはやらない。紙クズはみんな可燃物と一緒に入れてしまうし、ペット・ボトルと他のプラスチック容器も混ぜてしまい、壜類もリサイクルしない化粧品のガラス容器をごちゃ混ぜにしてしまう^^!
というわけで、ゴミの仕分けはいつの間にかEdの「仕事」になってしまった。町指定のゴミ袋とシールは夫々可燃物(黄)、有価物(緑)、不燃物(赤)3種類づつ(大中小も)あって、使い分けているが最近各家庭で可燃物の減量に努めて欲しいという町からの「お願い」もあって、Edの仕分けが一つ増えた。

これまで可燃物の袋に突っ込んでいた食品のラップ、生協やスーパーがリサイクル品として回収しないプラスチック容器、葉物野菜などを包んであるビニールやプラスチックの袋など、もう一つ別の緑袋(有価物用)に纏めている。これを始めて分かったのは、この種食品包装材がいかに大量に使われ、且つかさばる物かということ!
緑の袋は缶用、壜用、ペットボトル用の他にこの食品等包装材用(都合4袋)を用意しているが、直ぐ満杯になるのが最後の袋である。そのおかげで可燃物の袋(黄)はサイズが中から小に代った。少しは町の要請に応えられたかな・・・
しかし、前から気になっているのは、この様々な種類の包装用プラスチックがごちゃ混ぜに詰まった有価物の緑袋は、町が収集後ゴミ処分場でどう処理されるのだろうか・・・
リサイクルされているのだろうか・・・
折角Edが仕分けして袋に詰めたのに、まさか焼却処理されてるんじゃあなかろうね。
やはり真の解決策は食品の過剰な包装をやめて昔のようにバラ売りを基本にすべきだな!
それが不可能なら、食品のプラスチック包装材は全てリサイクルできる材質に統一することかも・・・

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Edの住まいの近くに競輪選手のトレーニング・コーチだか監督だかしている人が居て、毎朝10人前後の選手を引き連れて走っている。コーチ役の人はバイクに乗って先頭を行き、ペースを保ってリードしてあげているらしいが、選手たちは必死で後を追っていく。
Edのウォーキング・コースがこのトレーナーの家の前を通るので、(Edみたいに朝早くから歩いてるやつは余りいないから)いつの頃からか、行き交うと挨拶してくれるようになった。この辺りでは知らない他人でも朝会えば誰にでも挨拶するから特別なことではないけれど、こっちがウォーキングでなくてランニングしている時は、息を切らしているから挨拶するのも億劫なのだ。相手に声を掛けられれば黙って通り過ぎるわけにもいかないから、こっちはゼイゼイさせながら挨拶を返すが、少々ありがた迷惑だった^^!
先日も霧雨の中ウォーキングして通りかかったEdを見かけたらしい。暫くするとEdの横に大型のベンツが止まって中から例のコーチの人が「濡れますよ、送っていきましょうか?」という。別に濡れるほど降っているわけでもなし、降られてもいいように撥水ウィンド・ブレーカーを着ていたから、丁重にお断りしたけれど、これも少々ありがた迷惑だった。
一昨日、偶然このコーチ氏の率いるハード・トレーニングを目撃した。車のタイヤを引っ張って数百メートル走るシンドイ鍛錬をしていたが、コーチ氏は休憩中の選手たちと一人離れてバイクで休んでいた。何となく和気あいあいといった雰囲気でなく、シラ〜ッとした空気が流れていたように感じたのは、Edの僻目だろうか。かなりお節介なタイプの人だから、選手たちにはあまり好かれていないのかも知れない。
思うにプロの選手を鍛え育てていくのは並大抵の仕事ではないだろう。彼の姿はもう何年も前から見かけているから、ひょっとして実は有名な競輪選手のコーチだったりして^^!人は見かけによらないっていうからなあ・・・


利根川にかかる圏央道の橋は間もなく完成・・・

野尻町の風力発電風車
この土日がバイクの充電走行する最後のチャンスだったから、とにかく土曜日の朝はカミサンを送っていって、トンボ帰りで家に戻った。直ぐ身支度して(といっても、暫く乗らなかったし冬装備はモコモコで動き辛い)バイクに跨った。S/Wオンでスターター・ボタンを押したが・・・アレレ無反応!
先週は元気良く始動したのに・・・と思いながら、キル・S/Wやらニュートラル位置の確認をしたが異常なし。やっぱりバッテリーが死んだのかな・・・フっとヤな予感が。一旦スタンドを上げてから、停車位置に下げてスターター・ボタンを押したらスターターは正常に回り、一発で始動。どうやらスタンドをきちんと所定位置にしないで止めたせいらしい。
ようやく出発できたのは11時少し過ぎ。とりあえず裏のR356で銚子方面へ向かう。今日は100キロ程走ってバッテリーをフル充電しておけばよい。手先が冷たいけれど陽が照っているせいか思ったほど寒くない。佐原から小見川を通過、ノロノロ運転の車が多くて飛ばせない。早く帰りたいので銚子はやめにして利根かもめ大橋で右折、広域農面道路で多古町を経由して、成田空港の裏を抜けていつもの通りわが町へ。3時間で120キロ走行。これで充電は完了だ。ヤレヤレ!
* * * * * * *
昨日は帰宅後、すぐ食料買出しへ出掛けたのでバイクは手付かずで汚れたまま。今朝になってようやく時間が取れたので、掃除と車検に不要なものの取り外しをした。エンジンガードに装着してある左右LEDランプ、ハンドル左右のボトル・ホルダーは前回同様外して小ざっぱり!車体下部のペイントの剥がれた部分は黒のタッチ・ペンで修正した。回転ジョイント部はクレ56で潤滑。後は天候が良くなることを祈るのみ^^!
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GM時代のYKさんから電話があって当時の同僚だったUさんの消息を教えてくれた。もう30年以上も前の知り合いだけれど、つい3年ほど前Uさんがひょっこりシアトルから日本に里帰りしてきたので皆で旧交を温めたばかりだった。
去年、そのUさんが脳溢血かなにかで倒れたという話をJunさんから聞いた。Jinさんはそれまで彼と交友が続いていたから娘さんにその後の様子を何度か電話で訊ねてみたけれど、留守電になっていて連絡が取れず、お手上げの状態だった。
一方YKさんもアリゾナに知人のDKさんがおり、彼女からの手紙で彼女自身の母親とUさんが去年亡くなったことを知らされ、Edニュースを伝えてくれたわけである。DYさん夫妻も彼女の母親にも何度か逢ったことがあるし、GMの仕事でアリゾナへ行ったときはお母さんにはお世話になった。相次ぐ知人たちの訃報に今更ながら自分もそういう年齢に近づいてきたなあと思う。
YKさんと一杯やろうということになり、どうせなら他の仲間にも・・と声をかけて”新年会”の名目で10日・金曜日集まった。話題が話題だけにやっぱりPPKやら体の不具合が話の種になったけれど、いまのところ集まった4人はまだまだ長生きしそうである(笑)。

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鉄馬の車検切れが迫ってきたのでユーザー車検の日を来週月曜日(13日)第2ラウンドで予約した。ところが週初めの天気予報では曇りだったのが雨に変わってしまった。
車だったら雨でもどうということはないのだけれど、バイクではカッパ着ていくのも業腹なので昨晩、予定を15日・水曜日に変更した。Web上での届だから変更といっても簡単なのだけれど、今朝の天気予報では月・火両日とも雨で水曜は曇り。あちゃ〜、ツイてない!
17日の車検切れまで残り2日しかなく、それ以上は先に引き延ばせない。天気予報を睨みながら来週もう一度変更するか考え中である^^!
バイク・ツーリングでは誰も皆雨は極力避けたい。日帰りの一人旅なら天気のいい日を選んで走るから雨に降られることはめったにない。ところが泊りで皆と連れ立っていく場合は、宿泊を予約するからドタ・キャンは許されない。一旦参加を決めたらヒタスラ雨が降らないことを天に祈るのみである。
参加グループにも依るがこの数年、一泊二日のツーリングでは必ずと言っていいほど、どちらか一日は降られた。その度誰が雨男で誰が雨女か冗談の種にしてきたが、今年はどうやらEd自身が雨男になりそうである^^;
3月24〜25日の一泊LCミーティングは、Edが不参加なので多分晴れるだろう(笑)


Edが一人で騒いでも、どうなることではないのだけれど、云わずにはいられない・・・
関西電力の大飯原発3、4号機のストレス・テストについて原子力安全・保安委がテスト評価は妥当でありとする審査案をまとめて有識者の意見聴取会に諮った。これらの意見を踏まえて保安委は審査案を改定し、最終報告を策定するのだという。
原子力安全・保安委なんて、もともと原子力政策を推し進めてきた原子力委員会から、放射能漏れ事故をきっかけに分離した名ばかりの「安全委」であって、実態はイザという時の政府の「隠れ蓑」に過ぎない(とEdは常々思っています)。
従って、「国民を放射能の危険から守るのだ!」などという崇高な思いは端からありません!
あるのは「先ず原発ありき」でしょうから、どうしたら「危険」を「安全」と言いくるめられるかということに腐心してきたのでしょう。
そりぁ〜安全神話だって何だって造れますよ。何しろ時の権力者達の息がかかった原子力の専門家といわれる偉いセンセイがたばっかりですから・・・
ま、チョットでも反原発みたいなこと言ったら直ぐクビになっちゃうでしょうけどね、きっと(笑)
原子炉で核燃料を燃やせば(核爆発させれば)膨大な熱エネルギーとともに自然界には存在しない危険な放射性物質(セシウム137、プルトニウム239、ストロンチウム90など)を放出する。これら人体に有害な放射性物質は一旦生成されてしまえば半減期が極めて長い(30年〜2万4千年)ので、人体には略永久に害を及ぼし続ける。またもし放射性廃棄物としてガラス固化処理されたとしても、それらを安全に最終処分する方法がどこの国でもまだ見付かっておらず、日本では暫定保管場所に集めて冷却を続けながら、毎年大量の処分できない核廃棄物(放射性ゴミ)が積み上がっているのだ。(廃棄物だって何十年も冷却し続ける必要がある!)
人類はまだ核エネルギーを安全に利用できるほど技術を確立していないのに、原発では先走って良いとこ取りだけをしている。原子炉事故による放射能汚染や大量の廃棄物処理の難問は、やってはいけないことをやったツケが今回ってきたことに外ならない。
昨日も今日も日本はあちこちで地震が起きている。日本のような地震列島に原発は最も相応しくない装置だ。原発は即廃棄して地熱発電、効率の高いガスタービン発電、風力や太陽光などの自然エネルギーの利用をもっともっと促進すべきである。自然エネルギーの利用が日本でなかなか進まないのは、技術の問題ではなくて基本政策の問題である。
原発が無ければ電力が不足するなどという低レベルの話ではなく、国民の安全に関わるもっと基本的な問題なのに・・・

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先週金曜日にJinさんを見舞ったときは酷く具合が悪くて殆ど口も利けないような状態だった。あれから未だ4日しか経っていないけれど、昨日もう一度病院を訪ねてみた。
眠っているだろうと思いながら、そっと入口のカーテンを開けたら案に相違して起きている。顔に生気が戻って目がしっかりしているので「具合はどう?」と訊ねたら、「今日はとても気分が良いんだ」という。
お腹に力が入らないのだろう、相変わらず喋る声は小さいのだけれど、彼の意志がはっきり伝わるので今回は会話になった。良かった!先ずは一安心だ。
回復してきた何か理由があるのだろうと思って「抗癌剤の治療をしたの?」と訊いたら「うん」と頷く。
先日2回目の投与をしたらしい。薬が効きはじめたのではないだろうか。本人も「薬が効いたのかなあ・・・」と半信半疑の体だったが、何はともあれ久しぶりにJinさんの笑顔をみて嬉しかった。
そのあと白湯が飲みたいというのでナース・ルームでお茶をもらい、ベッドの脊を少し起こしてやり、加湿器に水を補給してから病室を出た。長居して折角回復しかかった体調をまた悪くしてもいけないので、早々に退却。癌を患った経験のある人によると、良くなるにしても一進一退するそうである。厄介な病気だなあ・・・

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35年ほど前、家を買って東京から千葉へ引っ越してきたとき本籍地はそのまま東京に残してきた。自分のルーツに拘った積りでそうしたのだけれで、今思えば浅はかだった。第一、ルーツといったって東京に住み着いたのは親の代からで、そこにこだわる意味なんかありゃあしないのだった^^!
そういうわけで、戸籍謄本だの抄本だのが必要になる度わざわざ国分寺市役所まで出向くか、郵便小為替を送って郵送してもらう。面倒臭いったらありゃしない・・・残してきたのは大失敗だった。
つい最近カミサンがパスポートの更新をすることになって戸籍抄本が必用になった。「どうして本籍を千葉に移さなかったの?」と眉間に皺を寄せてなじられたけれど、だからと言って今すぐ急に移すことも出来ない。面倒だけれでとりあえず必用な手続きを踏んでやってもらうしかない。
ま、そうそう頻繁に戸籍証明が必用なこともないでしょうから、死ぬ前までに移しておきましょう^^!
そのむかし、Edの親父は国分寺町(その頃は町だった)役場で戸籍係をやっていた。当時は今のように(コピーはおろか)資料が電子化されてなかったから、証明書は全て手書きで写していたらしい。昔は手数料はそれほど高いものではなかったと思うが、プリンターで簡単にコピーが複製できる今のほうが寧ろ高い。戸籍抄本の場合で一通450円もする。役所はぶったくりじゃあないかえ!


人は夫々生まれ育った環境が違うし性格だって千差万別、縁あって一緒に暮らすようになった夫婦といえども、持って生まれた互いの相違を全部呑み込んで納得しているわけではない。そういう類のことは、「我慢してやっている」と思っている方の側が不満が大きくて、大抵それは奥方のほうである。
何しろオヤジたちは現役時代は人生の大半を会社内外で過ごしてきたわけだから、カミサンの挙措動作が気になるほど長い時間一緒にすごしていないし、カミサンの癖や性格を隅から隅まで知ってるわけではない。定年後はカミサンと仲良く二人でのんびり暮らそう、などと脳天気なことを考えている。
一方カミサンさんたちは(子供が小さいころは大変だったろうけれど)家庭内では自分の天下で過ごしてきた。今さら可愛くもない草臥れたジジイに家の中に入ってこられては甚だ迷惑というものである(笑)。
さていよいよオヤジが定年を迎え、毎日家でゴロゴロするようになった。途端にカミサンとしては目障りになるわけだ^^!まさか放り出すわけにもいかないから、渋々「居させてあげる」のだけれど、今度はジジイのやること為すこと皆気に食わない。オヤジの挙措動作を目の端にとめて、イヤ〜な顔しながらシッカリ観察している。そうして折をみてオヤジをチクリ、チクリ嫌味で攻撃するのだ。ヤだねえ・・・^^!
それでもカミサンたちが我慢してるのは、嫌なオヤジでも生きてさえいれば、それなりの年金が入るからで、オヤジのことは「年金」が歩いてると思って世の奥さん方はひたすら我慢しているのだそうだ。参ったなあ・・・
やっぱりEdはこのままづ〜っと死ぬまで働きつづけよっと!

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