ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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鬼にお会いしたかった

2012-02-21 15:30:51 | 好き・応援
鬼に訊け。見に行きました。


お客さんは10人程度だったので、ゆったりくつろいで見る事が出来ました。


見た感想は、ものっそごいい!!ってこと。

寺院建築のことのみならず、棟梁と棟梁を取り巻く人たちの生き方が垣間見られるドキュメンタリーだったと思います。

棟梁の語られた逸話のなかで一番有名なのはたぶん「木の生きてきた年数だけ材木は持つ」「南向きに生えた木は南に使え」ってのではないでしょうか。
ただ建物を建てるだけではなく、その建物が一千年もつ為の根幹を棟梁は解いています。
もともとの木材が生きてきた背景を知る事で、より強くしなやかな建物になるのです。
建物は生きているんですね。

西岡棟梁は、もともとは法隆寺の棟梁を務める西岡家の三代目でした。
映像の中の棟梁がおっしゃってました。
「修理の時に材を削るやろ、そしたらふわぁって木の香りがするんや」
「瓦をよけるやろ、ほんなら梁が数日かけて元通りとは言わんけど戻ってくるんや」
「一千年経っても、木は生きている」

すごいですよね。
樹木としての寿命は終わっていても、材木としては現役だってことです。


西岡棟梁は、棟梁の家に生まれながらも大学は農学部に行かれたそうです。
お父様は建築科に進ませたかったそうですが、これは棟梁のおじい様のご意向なんだそうで、その考えのもとは「素材を知る」と言う事でした。
使われる木材の性質。それはその木が生えている環境で大きく違うそうです。
どこに生えどう育ったかを見極める目が、一千年の時を支える木材を選ぶ目となる事をおじい様はご存じだったのです。
図面で建物は立たない。木をどう使うかで決まる。と棟梁はおっしゃってました。
おじい様の選択のおかけで、棟梁は木材を見ただけでどこの木材か解るほど詳しくなられたそうです。


西岡棟梁と言えば、古代の道具の復興やその建築設計の理念が有名ですよね。
槍鉋や鐇などはオイラでも知っている道具です。
「鐇は足の裏削って一人前」なんて笑っておっしゃってました。(怖い怖い^^;)

設計の理念と言えば当時新聞を賑せるほどだったので、詳しくは知らなくてもオイラも小耳にはさんだ事はあります。

・法隆寺の金堂の時には鉄骨騒動。
・薬師寺の金堂の時には鉄筋コンクリ騒動。

どちらの話も、棟梁のお話を聞いているとなるほどと思います。
棟梁のおっしゃっていた事を要約すると、こんな事。
「一千年持つ木の中に、200年ほどしか持たない鉄やコンクリートを入れてどーする!」(←要約し過ぎ・笑)

同じ鉄でも、鋳造されたものと地鉄(日本刀などで使う鉄。)では全く違うらしく、入れるならせめて地鉄だとおっしゃってました。

国宝など今あるものを今守ろうとする政府と、建物ごと次代に残そうとする棟梁との考えの違いでもおあると思いました。


ドキュメンタリーの中で棟梁がおっしゃっていた一番心に残った言葉。
西塔の落慶の折「棟梁のおっしゃる(鉄骨などを使わない、古代建築)木造の塔が完成しましたね」とお祝いの言葉に、「まだ試験を受けてないから完成じゃないよ」と答えられたそうです。
棟梁のおっしゃる試験とは・・・
東塔のように多くの天災を受けてなお、建ち続けると言う事。
阪神大震災を経てようやく棟梁に合格をもらった西塔なのでした。


晩年、病に伏された棟梁は薬師寺に棟梁を辞する願いを出されたそうです。
しかし薬師寺はそれを受理しなかった。
それを聞かれた棟梁は男泣きに泣かれたそうです。

法隆寺の棟梁という家に生まれ、棟梁になる事が運命づけられた西岡棟梁ではありますが、亡くなるその一瞬まで棟梁であり続けたのは運命ではなく棟梁の選んだ道だったのだと思います。
揺るがない信念、その芯の強さが棟梁たらしめたのだと。
そして関わる人すべてに、棟梁の心は波及したのではないかなぁと思ったドキュメンタリーでした。




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