ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

今更ですが「風の谷のナウシカ」私的考察

2011年08月13日 23時15分05秒 | コミック・アニメ
今更ながら超名作 宮崎駿監督作品「風の谷のナウシカ(以下ナウシカ)」についてのお話。

以下はカンペキちゃちゃめの個人的で独断と偏見に満ちた私的考察ですので、
「ちゃうやろ!」とか「わかってませんねえ・・・」とかおっしゃる方もいらっしゃいましょうが、
あくまでも個人の考え、感想ですんで、そこはさらっと流してくださいませ。


というわけで・・・ネタバレ必至、ご容赦のほどを。


作品については皆様一度はご覧になっていらっしゃるでしょうか。
ていうか、ご覧になっている前提でお話展開申し上げます。
尚、原作は映画よりずっと長いお話で、更にスケールも大きく広がるのですが
本記事は映画版についてのみの考察でございます。


どこかで聞いたというか読んだ話なんですが、宮崎監督が最も描きたかったのは、
ストーリーの中盤の腐海の底の浄化された清浄の地で、
ナウシカとアスベルが語らうシーンだとか。
そのシーンを最初に思いつき、そこへ持っていくために前後を考えたというお話です。

少々話が逸れますが、芸術とは作者が伝えたいものを伝えるために創作するもの。
手段として美術や音楽、映画などさまざまな手法があるわけですよね。
一人で作る物もあれば、複数の人々が協力して製作するものもありますが
いずれにせよそこには「伝えたいこと」があると思うのです。
小説やマンガ、アニメやドラマなど物語形式の物は特に、
キャラクターやストーリーによってその「伝えたいこと」を伝えるわけですが、
ちゃちゃめのような素人マンガ描きであっても一応曲がりなりにも、
伝えたいことを伝えるためにキャラを考えストーリーを考えてやっております。
つまり、キャラやストーリーは極論すれば「道具」なわけです。

しかるに、プロフェッショナル、殊に「巨匠」などと呼ばれる方々には
テーマを決め、キャラを決め、ストーリーを考えるといった手順は踏まず、
いきなり「描きたいシーン」から入ることがあるのでは、と思うのです。

素人マンガ描きでも「こういうシーンが描きたい」と思うことはよくあります。
しかしそれは「こういうことが言いたい」というキホンがないことがしばしば。
つまり単に絵面として描きたいだけなので、内容は薄っぺらいのですな。
(て、ちゃちゃめだけのハナシかも知れませんが・・・)
しかし、プロともなると、直感的に「描きたいシーン」を思いついても
そのバックには必ず不動の「言いたいこと」が裏打ちされているのではないかと思うのですよ。

で、宮崎監督の「ナウシカ」の話に戻りますが、
この腐海の底でのシーン、それは「描きたいシーン」であると同時に
監督が「もっとも伝えたいことが表現されているシーン」でもあるのではないかと思います。

通常「もっとも伝えたいこと」はクライマックスに持ってこられることが多いでしょう。
あるいはクライマックス後の、主人公が語るシーンとかですね。
でも「ナウシカ」に限ってはこの腐海の底での、
一見地味で静かなシーンこそがそれではないかとちゃちゃめは思うのですよ。
腐海の生まれたワケや存在理由を、ナウシカはこのとき彼女なりに考え結論を出します。

アスベルが「泣いてるの?」と尋ねるのに「うん。嬉しいの。」と応えますが、
まさにそれ、すべてを知りすべてを悟ったからこその喜びの涙なのですね。
実際このシーンを境に、彼女の・・・なんというか、人生観とか価値観とか、
そういうのとはちょっと違うかもしれませんが、何かが180度かわったように思います。
こういっちゃ言い過ぎかもしれませんが、大事なのはまさにここでのシーン、
その前後は、宮崎監督曰くの通り、このシーンを描くために考えられた副産物的なもの。
もちろん、他のシーンにも大事なメッセージはたくさんこめられているとは思いますが、
もっとも重要なことはすべてここに凝縮されているのではないかと思うのです。

クライマックスでナウシカは青き衣をまとい、金色の野に下り立ちます。
まさしくいにしえの伝説が真実であったということが証明される、美しく素晴しい場面です。
これももちろん名場面であることは間違いなく、それを否定する要素は何もないことは確かです。
それでもなお、敢えて申し上げたい、もっとも注目されるべきシーンとは
腐海の底の、清浄の地での静かな語らいのあのシーンだと・・・。

この作品はもう25年以上前に作られた、宮崎監督としては初のオリジナル作品でした。
ビデオがようやく普及し始めたあの頃、
ちゃちゃめも大枚はたいてソフトを買って何度も何度も繰り返し見ました。

自然保護とか環境保護とかいうテーマはかなり以前より存在していましたし、
この作品が発表された当時も、そういう意味では別段目新しいテーマではありませんでした。

しかるに、25年以上たった今、原点回帰というわけではないけれど、
もう一度新たな気持ちで見返してみる時期が来ているような気がします。
原発事故に見る未曾有の環境破壊、環境汚染が起こった今だからこそ、もう一度見てみたい。

今、汚れた土を浄化するために生まれたという腐海は、リアル地球にあるのでしょうか?
自然が、地球がそれを作るとしたらどんな形で生まれるのでしょうか?
それとも、人間がその腐海を何としても生み出さなければならないのか?
人間にできることとはいったいなんなのか・・・??


・・・なんか、大上段に構えてしまいましたが
それはそれとして、今一度、気持ちを新たにして見てみっかな、と思います・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ふっか~~~~~~~~~~... | トップ | KAIGO.介護 巻の百十五 そ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コミック・アニメ」カテゴリの最新記事