良い子の歴史博物館

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先史時代

2005年12月27日 | 雑談
ノルトの抱く石器時代に関する基本概念が間違っているのでは?との指摘があります。
ノルトの書いたものに根拠がないとの批判を受けています。
根拠を提示しろという実に理にかなったご指摘ですが、
ほとんどが二十年ぐらい前に読んだ手元に無い資料に基づくものばかりなので、
残念ながらきちんと提示できません。

そもそも「石器時代」とは学者たちでどのような概念なのかは
厳密なものはノルトは知りません。
ワールド・ブック百科事典によれば
「世界のある孤立した土地では、
古代の石器製作技術として知られる技法の
ほとんどすべてが西暦1900年代まで
引き続き用いられてきた」
そうです。
実際、「石器時代」研究者たちの関心を惹き付けた部族が幾つか存在しています。
1970年代のある部族に関するある記述では、
フィリピンだったかブラジルだったかのある部族は
「穴居生活をしており,
最近まで石器しか用いていなかったので
文字どおり『穴居人』で『石器時代』の人間であるが,
普通こうした言葉づかいでありありと描写されているような,
額の引っ込んだ,残忍な表情をした,毛深い,
半ば前かがみの姿勢をした類人猿に似た原始人とは
似ても似つかない人間である」
とのことでした。

厳密な定義とは異なるかもしれませんが、
一般的なイメージでの「石器時代」のイメージは、
「額の引っ込んだ,残忍な表情をした,毛深い,
半ば前かがみの姿勢をした類人猿に似た原始人」が
登場するものと解釈していました。

でも単に「技術区分」に基づくものとしたら、
ある民族は最近まで石器時代となりますが、
彼らはノルトのような一般人が抱く「原始人」イメージとは
かなり異なっています。
現代の普通の人間と全く同じで、
もっと便利な文明の利器の存在を知ったとたん、
即座にそちらに切り替えることができました。
「進化」する時間は全く必要なかったのです。

ノルトが小学生の頃に感じた点にも批判がありました。
>>それぞれの人種が違う「猿」の系統から出たなら、
>もっと人種間に違いがあるんじゃないか
>では伺うが、どの程度の違いがあれば納得するというのであろうか。

もし白人と黒人あるいは黄色人種との間に子供が生まれないほどの違いがあれば、
それぞれの人種が異なる「系統」から出たと考えることが可能です。
実際には人種間に、生物学的な違いがほとんどありません。
「形質」がどんなに異なっても、「種」は同じホモサピエンスなのです。
そのため異なる人種の異性を愛したとしても、
獣姦になるわけではありません。
異人種間で子孫を設けることができます。
人種差別主義者であったヒトラーですら、
人種間の生物学的相違はさしたるものでないことを承知していたのです。
「科学的な意味では人種というものなどないことは……百も承知だ。」
と語ったことがあります。
ところが「学者」の中には、
平然と人種の違いを「猿」系統図の違いで主張し、
さらに人種によって発展段階が異なると決め付け、
「劣等人種」を見下してきたのです。
こういう「学者」はヒトラーより悪質です。


>極端な言い方をすればすべての理化学的年代測定法は仮定に則っている。
>しかし、その仮定に起因する誤差も併記している事が多いのが学術書である。
>これは考古学者でなく主に理系の化学者が担当していることもあろう。
>年代測定に出してみたらあまりの古さに逆に考古学界が驚くということもある。


考古学者なら、ご存知でしょうが、
放射性炭素による測定法も初期の頃に比べると、
新たな理論が生まれて進歩しているそうです。
ところが、そのためますます「仮定」とすべき“パラメータ”が
大きく増えているのではないでしょうか?
例えば、炭素14をつくり出す宇宙線が,
過去1万5千年ないし2万年間変化しなかったという仮定は
間違っていることが
少なくとも20年ぐらい前には、わかっていました。
専門家が言えることは、放射性炭素はおそらく,
分解速度の75%と161%の間の速度で生産されているだろうという程度で,
それ以上確定的なことは何も言えないそうです。
さらに標本の汚染の問題は常に付きまといます。
まともな考古学者なら、
測定された年代をそのまま全面的に受け入れることはありません。

以前に中央アジアで発見された少女のミイラが
6千年前と大きく報道されたことがありました。
確かに理化学的年代測定ででた数値なのでしょう。
まもなく、実際には2千年前ぐらいじゃいか、
ということに訂正された記憶があります。
着衣があまりにも精巧なので、6千年前じゃ古すぎるということで、
再検討されたとの記事内容だったと記憶しています。
誤差とするには大きいのですが、この程度の誤差なら、許せる気もします。
しかし、時には2桁以上の違いが出ることがあるとの記事を読んだことがあります。


>しかしだからといって、
>何でもそれにこじつけて批判できると思ったら大間違いだ。

との批判もありました。

1980年代の資料ですが、
サイエンス誌「古人類学の力関係」1981年8月
「主だった科学的証拠といえば,哀れなほどわずかな骨の陣列であり,
それを基にして人間の進化の歴史を構成しなければならない。
ある人類学者は,その仕事を,無作為に選び取ったわずか13ページをもって
『戦争と平和』全巻の筋立てを再構成しようとすることになぞらえた」

サイエンスダイジェスト誌の記事(1982年5月号)では
「注目すべき事実を述べれば,
人間の進化について知るために我々が持つ有形の証拠は,
全部合わせても一つの棺の中に入ってしまい,なお場所が余るのである。」
「例えば,今日の類人猿はどこから出て来たものとも思えない。
彼らの過去は不明であり,化石の記録はない。
そして,今日の人間,すなわち,直立し,毛や羽毛やうろこがなく,
道具を作り,脳の大きい人間の本当の起源についても,
もし我々が自分に対して正直になるならば,
同じように謎であることを認めねばならない」

先史時代に関する多くの説には、
それらが想像や推測が主で、根拠薄弱なケースが多いことについての
記述を他にも読んだことがあります。

どちらにせよ、考古学者たるものは、
謙虚にあらゆる可能性を疑う姿勢が重要と考えます。
特に、素人の素朴な疑問に対し、
やたらと「権威」ある「根拠」を求める姿勢は改めた方が良いでしょう。
そういう権威主義が、やがて権威盲信につながり、
次の藤村新一を生み出すのではないでしょうか?
第一、素人がきちんとした根拠をすぐに提示できるわけ無いじゃないですか?

結局、藤村新一の捏造を暴いたのは、
素人のマスコミ取材チームだったのは、
実に象徴的な出来事でした。

特にノルトが主張したいことは、
現段階で、謎の多い先史時代を確証された事実であるかのごとくに、
歴史教科書に載せるべきでないということです。
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1 コメント

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訂正あり (ノルト@管理人)
2005-12-28 07:18:11
少し、文章を変更しました。

それでも、まとまってませんが。

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