瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

檻の外を理解しようとすること

2016-12-10 11:19:13 | 随想
人は自分のことしか解らない。精確に言えば自分のことも解っていないのかもしれないが、ともかくも他者を理解することは困難であり、自分のことは少なからず理解できてはいる、としておく。
人は自分という檻の中にいるのである。

大抵の場合、人は一生、自分という檻の中からは出られない。自分を生きるしかない。しかし病を得ると別の自分を生きることになる場合もある。



http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50288



病後はそれまでの自分とは別の自分とつきあうことになる。それは二度目を生きていると言ってもいい。二度目を生きることでそれまで見えていなかったことも見えてくる。見えてくることで初めて自分が見えていなかったことに気がつく。

自分という檻の中にいては世界の広がりは解らない。檻の中からでは隣にいる人の中に広がっている世界すら解らない。ましてやさらに周辺にいる人たちの世界はもっと解らない。

檻から出るのが一番なのだが、それはなかなかに難しい。それこそ修行でもせねば達し得ない境地だろう。
だから想像力が武器である。どこまで檻の外の世界を想像できるか。しかしそれもまた所詮檻の中からの風景であるという自覚はなくてはいけない。解らないということが解っていないと誤解を増幅させるだけである。解らないということが解っていれば謙虚でいられる。それは他者を尊重するということでもある。

理解しようとする態度、それは愛なのである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 衆愚政治 | トップ | 曲がり角 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。